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信じることに価値はあるか
トーマス・モアとソクラテスのしたことをどう思いますか? 2人の言ったことは正しいですか?
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私は、「まず、疑ってかかる」のを身上にしています。 結果として、信じることになっても、「みんなが正しいと言っている」、「有名な人が言っている」、「長い歴史がある」と理由で、盲目的に「正しい」と信じることは、「本当の理解」や「信じること」にはならない、と考えます。 格言や偉人と呼ばれる人たちの言葉や思想は、非常に勉強になるものが多いのですが、それがどんな状況、前提条件において、「正しさ」成り立つのかを良く考えるべきです。 「どうして、そう考えたのか」、「反対者の言うことに利は無かったか」、「その言葉(行い)が、正しいと言えるのはどんな状況においてか」など、「否定」ではなく、「疑問」を持つことは大事です。 良い答は簡単にでない、というより、絶対に出ないと思いますが、色々考えることが、本質を見極める良いトレーニングになると考えます。 その上で、信じるのであれば、価値があるのではないでしょうか? 盲目的に信じることは、最近の宗教上の一部の過激な派閥に見られるように、疑問を感じる結論を導きだしているように思えます。 いずれにしても、どんな偉人たちも、尊敬できる人間であったことは、信じてよいかもしれませんが、あなたのように悩み多き人間であったことは忘れてはいけません。
- mmky
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[信じることに価値はあるか] 何でも信じないと始まらないのですね。つまり「信じる」が最初の言葉なんです。だれそれが言っているから信じるなんですよ。よく勘違いしているのが、「証明されているから信じる」ということですね。数学などでも定理があり証明されているから「正しい=信じる」とゆうのが普通ですが、難しい定理の証明を普通の人は理解できませんし、お墨付きを与えた数学者もそんなに多くはないのですね。でも世界の立派な数学者何人かがお墨付きを与えたとゆうことで、みんな信じているだけなんです。これは定理が証明された内容を理解しているのではなく立派な数学者の意見を信じていることに他ならないとゆうことですね。アインシュタインの難しい理論もいくつかの実験で確かめられたとゆうことで正しいと主張しますが、その実験を見た人さえいないでしょう。見てもほとんどの人は理解できないでしょうしね。つまりすべてが「信じる」から始まっているのです。何を信じるかで個人個人の世界観さえ変わってきます。つまり何を信じているかによって見えている社会の見方も善悪さえも違っているとゆうことなんですね。結果的には人類と類人猿を分けるのが「信じる」なんですね。ここでゆう類人猿とゆうのはサルのみではなく人間の顔をしたサルも含みますよ。何を信じているかがわからないのでそのままでは多くの人が集まったときに何がおきるか想像できない恐怖ですね、それゆえ規範や法律を創って縛っているわけです。全員が同じものを信じ、同じ価値観であれは、逸脱すればわかりますので規範や法律などはいりませんね。長くなりましたが、「信じる」にはそれほどの価値があるとゆうことですね。仏教では「正しい信仰」なくば「正しい考え」なく「正しい考え」なくば「正しい言葉」なく・・・のように「信じる」が一番にきています。そのように価値あるものですね。 トーマス・モアとソクラテスはいままで語り継がれるほどの立派な方々です。だから彼らの話を信じるしかないのですね。それに異論を唱えるだけの何をもも持っていないとゆうことですね。それが#1の答えですね。まず信じよ、そして行ってみよ、その結果で判断せよとゆうことですね。
- tenntennsevengoo
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信じることに価値はあるか 答えは簡単「○○を信じた人に価値があると感じれば価値はある」 「○○を信じた人に価値がないと思えば価値は無い」 これ以上の正しい答えはありません。
- nabayosh
- ベストアンサー率23% (256/1092)
>信じることに価値はあるか 信じたから価値が現れるのだと思います。あるいは、価値があると信じる時に価値は生じるのだと思います。 >トーマス・モアとソクラテスのしたことをどう思いますか? >2人の言ったことは正しいですか? 具体的に何を指しているかわからないうちに言うのもどうかと思いますが、正しいか正しくないかは言えるものではありません。 信じることができることは疑うこともできるのです。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
「2人の言ったことは正しいですか?」 正しいです。