• 締切済み

地球は生物の密度が高すぎませんか

今日、畑で雑草を抜いていました。雑草を抜くということは殺すということなんですが、できれば殺したくはありません。 雑草ももっと少なければ抜かずにほっとけるんですが、あまりに数が多すぎるために根絶やしにするつもりで対処しなければ作物に影響が出ます。作物を育てるということはその何百倍の数の生き物を殺すということでもあるのです。 そこで、 この地球は生物の密度が高すぎるのではないか。 なぜ殺さなければ生きていけないのか 生物学的、宗教的にはそれらしい答えもあるのでしょうが今ひとつ釈然としません。どなたか私を納得させていただけないでしょうか。 ちなみに、無除草栽培の方法を聞いているわけではありません。

みんなの回答

noname#25818
noname#25818
回答No.15

腐っても鯛 鯛は鯛 鯛は鯛として生きる. まな板の上の鯛は 後は調理人の腕前しだい 美味いもまずいも調理人の腕次第 自力と他力 日本の料理の真髄は...

noname#25818
noname#25818
回答No.14

切ないねぇ... せめてしぬときは ご免ねと思われながら いっきに死にたい. そして美味しいねと どこかの誰かに言われたい. だろうな.

  • mijinco
  • ベストアンサー率25% (87/346)
回答No.13

地球全体の生物の密度については、比較することでないのでなんとも言えません。 「なぜ殺さなければ生きていけないのか」について。 今までに、そのような問に答える方に3名ほど出会いました。 分からないことを明確に分かったように答えてもらえることはとてもスッキリしていて魅力的に感じます。 ですので、ぐらっと来ることもあるのですが、私はその方々を信用していません。 あなたが、これから出会う誰の答えにも納得しないことを願ってしまいます。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私は生来のひねくれ者のようなので鵜呑みにはしません。 どのような回答がされているのか興味がありますので教えていただけないでしょうか。よろしくお願いします。

  • wwooww
  • ベストアンサー率12% (1/8)
回答No.12

#4です。 shift-2007さんが問うているのは現実問題として目的作物周辺に 生息しているいろいろな命はそんなとこになければ殺さずにすんだ のに・・何故そんなところにまで生息する必要があるのか?そこまで 密度が高くなくてもよいだろう?とそんなことですね。 そしてもうひとつ。食物連鎖という自然界のシステムは欠かすことの できない話ですが、殺しを前提としたそんなシステムに疑問を呈して いらっしゃる。その2点ですね。 答えはでないというよりもshiftさんの考え方次第ですよね。 目的作物が何かは知らないですが、あたたにとって目的であるかも 知れないですが、別にあなた以外には目的でもなんでもない。要するに その周りの雑草と何ら変わらない。その農作物を食べるじゃないか? とおっしゃるかも知れないですが、あなたが作った作物以外にも食べる ものは数限りなくあるので。なので特に目的農作物と捉えているのは あなたのみです。ということは農作物の周辺に一見不要と思われる 雑草や害虫がいても何ら不思議ではないですし、密度が低くなったと してもやはりそこに存在するでしょう。栄養価が高い土壌に目的作物 以外生息するなというあなたの考えが無謀じゃないですか? それでも尚、芋を植えたら芋以外は近くに生息しない。そのほかの 箇所に生息してくれというのであればあなたのエゴですね。そのほかの ところが今は荒地かもしれないですが、いづれ人間がきて、耕し、また 同じ問題に行き当たるだけですから。 別に雑草など目的作物以外のものが絶滅してくれとおっしゃってる ようではないので。 また何故、蛇は生きるためにネズミを食なくてはいけないのか? というような問いもありましたが、構造以外答えがないです。 草食動物は何故肉を食べないのか?肉食動物は何故草を・・ 何故、ハエは糞に集るのか、蟻は何故甘いものが好きなのか・・ そんな疑問はその生物の構造として納得するしかないですよね? ただあなたがおっしゃるのが食する種類ではなく、何故殺して 食べることしか生きる道がないのか?そんなことだとしたら難しい ですね。 すべての生物が酸素を吸ってそれをエネルギーに変換できるなら 殺さずにすみます。水も然り。要するに生物以外のものを取り込んで エネルギーに変換することによって生活できればよいわけです。 そしてそれができないのは・・できないからです。 太陽系惑星で生物が存在するのは地球だけです。もし酸素がなくても 生きていける、水なしでも生きられる、そんな構造をもつ生物があれば 他の惑星でも生息していて当然だと思います。今現在それが確認できないのはそんな構造が無理だからです。 結局、生物は他の生を食してエネルギーに返還するしかないのです。 食物連鎖の話も同じです。殺しを前提とするというよりは他の 生物の生命をエネルギーに変換するという言い方のが適切だと 思うのですが、それ以外の方法というか生体構造がないからです。 いつの日か、ソーラーパワー、火力、風力、波力、原子力などの 電気エネルギーで生活できる人間が現れるかもしれません。 すなわちアンドロイドです。人以外も生命もすべてエンジニアが 設計した動植物。すべての存在が管理され、不必要なものはないでしょう。あなたがおっしゃってるような殺しもありませんよ。

shift-2007
質問者

お礼

今までの回答を読みながら思いましたが、私はきっと神を呪っているのだとおもいます。科学的根拠、宗教的教義、個人の考え方、どれも納得しませんでした。なぜ納得しないのかというと、どれも現状を説明しているにすぎないからです。私が知りたいのはなぜ神はそれを選んだのかという事です。なぜ食物連鎖を選んだのか、なぜ生物の進化、多様性を生む為の手段として死を用いたのかという事です。どれも答えは出ませんね。 生物密度に関しては確かに私のエゴですね。殺したくなと言う気持ちもエゴなのかもしれないという事に気づきました。 ご回答ありがとうございました。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.11

「雑草のごとく」って言葉ありますよね。 印象としてはかなり強い。 生命力が高い。 抜かれた雑草はそこで死に絶えない。 抜かれた程度で死ぬのなら雑草じゃない。 雑草は抜かれて捨てられても、また根を張るし、時には風に乗って胞子を撒き散らし、子孫を増やす。 ただじゃ 死なない。 これが雑草の生命力のすごさです。 ユダヤ人は紀元前より何度も絶滅の危機にありましたが、拡散することで、種を保存しつづけている。 これほど何度も絶滅の危機にありながら、生き延びた民族は珍しいです。 ディアスポラすることで、種を保存するという戦略なわけですね。 人間がやらなくても、自然界の自然淘汰でかなりの数が毎年絶滅しているそうです。 人間の影響力が絶大だと思っても、自然の力には無力です。 日本人のルーツのビデオを観たことがあります。 縄文人が日本列島にやってきて、食料不足の中、なんとか生き延びた。 そのうち農耕がやってきて、定住してほそぼそとなんとか絶滅をまぬがれていた。 やがて大陸から集団が列島にやってきた。 彼らは農耕の高い技術を持っており、かつ戦乱を生き延びた武力集団でもあった。 彼らは鉄の技術を持っており、その道具を利用して木を切り倒し、畑を作っていった。 水田を作り定住していった。 高い農耕技術を持っているので、食料確保が容易なので人口が増えていった。 そしてやがて縄文人たちと接触することになる。 ほそぼそと農耕を営んでいた縄文人 VS 人工的にも武力的にも優れた弥生人。 縄文人の遺骨に弥生人の石槍がつきささっていたことから、両者に戦闘があったことが伺えます。 縄文人同士ではこのような戦闘の形跡が遺跡からは見つかっていない。 弥生人にとってみたら、縄文人は雑草のようで、抜いて捨てられる存在だったようです。 だけど、遺跡から出た骨を調べると、子供の骨ですが、両者の特徴を持っているんですね。 つまり、両者が融合して共存するようになった。 これが現代の日本人につながっている。 そして和の文化というものが作られていった。 自然界と和を築く。 難しい問題ですが、自然界が日本人を絶滅させていない以上、なんとか和は保たれていると思います。 自然淘汰。 人間の力ではこの法則を支配することはできないです。 種の絶滅を危惧して人間が保護したら、逆に増えすぎてしまって生態系が乱れてしまった。 だからといって、みすみす絶滅するとわかっていながら、何もしないというのも辛いものがあります。 結局 人間のエゴなんですが。。。。 人間のエゴは自然界に勝つことはありません。 自然界にとってすれば、人間は雑草だと思います。 打ち捨てられても、打ち捨てられても、根を張り繁殖すつづける。 それに負けたときが人間の絶滅です。 そして自然と和の共存ができなくなったときも絶滅すると思います。

shift-2007
質問者

お礼

自然は人間のエゴも全て了解済みなので、多少の殺生は気にするなというご意見でしょうか。しいて言えば雑草との融合が必要だと。私が知りたいのは、殺すという行為の意味と、もっと生物密度が低ければ殺さずにすむ命もあっただろうという事ですがその問い自体が無意味なのでしょうか。 ちなみに、雑草の生命力は凄まじい物がありますが、無敵ではありません。百姓はそれをよく知っていますので、殺す事はそれほど難しくありません。

noname#37508
noname#37508
回答No.10

すこし趣旨と違うかもしれませんが・・・。 殺すとは何か、生きるとは何か、命とは何か。 思うに、命というものは存在しないただの「観念」だと思います。 考えてみれば世界は物質(とエネルギー)の集まりでしかありません。 世界を単純にした姿はまるでビリヤードです。(物質が玉で重力や電磁気力、核力はその付随物) 長い年月を経るうちに、重力によって玉同士で集まって動くようになり(原子など)、 さらに長い時の中で、物質の塊がさらに多くの塊を作り(分子・結晶など)、塊がある一定範囲内を回る現象がおきるようになっていく。 何度も何度も、一定範囲内を回る現象(「循環」)が起こっては無くなっていく中で、循環の外の状態に合わせて反応を変える機構が偶然有った循環だけが生き残り、外部の塊を取り入れることができた機構はさらに増え、自己と同じ循環を発生させることのできた循環は繁栄する。 しかし結局、原子も分子も金属結合も鍾乳石もたんぱく質も人間も太陽系も、すべて規模を変えた循環のひとつに過ぎない。 そして、数ある中の「循環」のひとつの見方が私たちが呼ぶ「命」です。 循環の範囲の「考え方」を変えてみれば心臓だけでも命と呼べるかもしれないし、「私自身と私の部屋」という塊をひとつの命と呼べるかもしれないし、あるいは「オゾンを破壊するフロン」「地球」「太陽系」も命と呼べるかもしれない。 長くなりましたが、結局「命」とは不変ではなく、どうにでもなる「考え方」に過ぎないのではないか、 また、「殺すこと」も「生物」も「生きること」も、人間的な考え方、ただの物理現象の見方のひとつに過ぎず、世界からすれば特に意味のないことではないか、ということです。

shift-2007
質問者

お礼

10番目にこの回答が来たのはとても意味深ですね。 今までの回答に私は納得はしませんでした。答えが出ないということはとても苦痛ですね。しかし私はこの苦痛から逃げるつもりはありません。雑草を抜くときの罪悪感や不愉快さが私にこの質問をさせたのですが、私が問題にしているのは自分の感情や感覚ではありません。私は目の前の雑草を観念とは呼びません。命をどうにでもなる考え方とは思いません。私には痛み止めは必要ありません。 頑固ですいません。ご回答ありがとうございました。

回答No.9

むかし、むかし、 半村良さんが「妖星伝」でしたか、SF小説で、 生命に溢れる星、地球の面白い本を書いていましたね、 最後までは読めなかったですが。 他の方もすでにご指摘されていますが、そもそも、生命は死ぬものです。 殺すと言うのは、その中のごく一部の特殊な見方です。 人間や動物の場合、特に私とか他者とか、個人の生を強調しますから、 能動的行為が目に付いて、殺す、と言う行為が目立つのでしょう。 この辺りは、生命進化の過程を良く調べれば、問題は軽減されますよ。 例えば、地球に最初から空気に酸素が含まれていたわけではありません 酸素のないときは、酸素を嫌う生命が生まれ、何かの拍子で(曖昧ですか仕方ないのだ) 光合成つまり葉緑素を持つ藻の様な生命が生まれると、地球の空気に酸素が増えてくる。 結局、この酸素の量が、一定のレベルに達することにより、酸素を利用する生命が生まれる。 ですから、環境にある程度の密度が確保されることにより、その環境に適応するのが生命の特徴です。 生命とは大量にコピーして、死ぬことにより、変化していくものでは。 もう一点、生命に関して、3種類の生命と言う考え方も有ります。 普通は二種類ですが、細胞としての生命と、細胞の集まりとしての個体の生命、 それに、種とか類とかに区分できる生命を付け加えることができるかも。 私たちは、一応、寿命があって、それなりに長生きしますが、 私たちの細胞、赤血球や白血球、皮膚や髪の毛、こういった、細胞は 私たちを細菌や汚れ、色々な代謝の中で、死ぬことによって入れ替わっていきます。 去年だったか、中山元さんが、カントの珍しい論文を訳しています。 「永遠平和のために/啓蒙とは何か」この中の、世界市民か起源の憶測のどちらかに このような考えに似た、文章があります。 一番強力なのは、ベルクソンの「創造的進化」ですが。 ご参考になれば。

shift-2007
質問者

お礼

「妖星伝」をご存知の方がいるとは思いませんでした。私も昔よんでいます。そこに登場した宇宙人が地球は醜い、何かの実験場ではないかと言いましたね。もう一度読み直してみようと思います。 >殺すと言うのは、その中のごく一部の特殊な見方です 確かに死の全体数からすると殺される命の数は少ないかもしれませんね。ただ我々を含む生物は食事として生きているものを摂取しなければなりませんので、当人にしてみれば目立つどころではありません。 死と生命の進化については理解できるのですが、殺すことが納得いかないのです。人が一生のうちに殺せる命の数は全体からするとたかが知れるのかもしれませんが、毎日の生活で起きている事ですので目をつぶることはできません。 ご回答ありがとうございました。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.8

基本的に、地球が存在するのは何らかの必然性の結果のように思います。 これは、たとえば地球が存在するために太陽があるわけではないだろう、ということでもあります。 いずれにしても地球は何らかの必然性の結果誕生した、と考えます。 「物理学的地球生命論」なるものを唱えた学者がいました。 彼は、この地球というものは、無機物だけでは存在を維持することができないのではないか、と考えました。 他の惑星とは異なって水があり大気がある以上、仮に生命が誕生していなければ一種のエネルギーの行き場がなくなり、地球は分裂(自己崩壊)するのではないか。 ということだろうと思います。 つまり、人間などの生命は、その分裂を防ぐために地球が編み出したひとつの解決策にすぎないということになるのでしょう。 何らかの生命が地球上に存在し続けることが地球にとっては絶対必要条件であるわけです。 しかし、人間が意志を持つために、あらゆる事象は人間を利するためのものであるべきだという錯覚が生じてしまった。 ただ、それではいわゆる意志を持たない自然としての動植物だけであれば地球にとっては理想的なのか、といえばそうとも言えないのかもしれません。 ある種はある種のみの存続を絶対的優先事項として増え続けようとするはずですし、それは最終的にその種による地球逆支配という結果をもたらしてしまうのでしょう。 その意味で、食物連鎖という仕組みが、 『地球上のエネルギー総量のバランスを保持するため』には、どうしても必要になったのだと思います。 ですから、地球の初期設定としては、どのような種であっても絶滅することは想定していないと思います。 これが「>生物の密度が高すぎる」理由のように思います。 つまり地球は、「食物連鎖システムの暴走」も考慮に入れた上で生命を自らの上に誕生させたわけです。 しかし、自我を持つ人間は食物連鎖のみによって生き延びることに満足していません。 あらゆる模索が行われているわけですが、食物連鎖のバランス自体を崩してしまうということは、地球が存在するためのエネルギーバランスまで壊してしまうことになります。 バランスが崩れることによって真っ先に影響を受けるのは、何でもそうであるようにそこで一番弱い者です。 地球上で最も脆弱な生命体はおそらく人間でしょう。 環境破壊が地球のために云々などというのは詭弁にすぎません。 環境破壊によって真っ先に絶滅するのが人間という種であるということです。 人間がいなくとも、食物連鎖の頂点としてまた別の生命が創造されるだけのことで、地球は大して困らないでしょう。 最悪の場合でも、水や大気など、生命誕生の条件になるような要素を廃しさえすればあえて生命を地上に存続させる必要性もなくなるわけです。  

shift-2007
質問者

お礼

回答をいただけるというのはうれしいものですね。 「物理学的地球生命論」という話ははじめて聞きました。確かにこの地球と生物とは理屈じゃないつながりがあるのかもしれませんね、面白い話です。 地球上のエネルギー総量のバランスを保持するために生命が必要だった、とするならばこれもまた残酷な話ですね。できればエネルギーバランスは生物数ではなく個々のエネルギーの絶対量を増やすことで調整してほしかったです。そうすれば雑草も抜かずに見逃せたのにと思います。 ご回答ありがとうございました。

noname#32495
noname#32495
回答No.7

それは、「生命」というものが、本質的にはたいしたものじゃないということですよ。 短文失礼しました。 人間の密度に関しては、こちらも参考にしてみてください。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2861016.html
shift-2007
質問者

お礼

生命はたいしたものですよ。だから殺したくないんです。 ご回答ありがとうございました。

回答No.6

創造と破壊、誕生と死は表裏一体、不可分なものだからです。 お金で考えてみましょう。 経済で景気のいい状態とは、お金がぐるぐると回っている状態です。 つまり、支出と収入があってこそです。 誰かが、「支出をしたくない」とお金の流れを止めてしまったら、徐々にお金の流れが鈍くなってやがては収入も途絶えます。 水で考える時、「蒸発するだけだから勿体無い」と仮に海を全部蓋をして覆ってしまったとします。 すると、雨はもう降ってはきません。 循環しているからです。 生命も循環しています(食物連鎖を考えればわかりますね)。 平均寿命の長い国で出生率が低くなるのは自然の摂理なのです。 もし、仮に日本人全員が不老不死になったら、もう子供を産まなくなる(産めば人口過剰で困る)だろうと思います。 一つの生物の死は、新しい命の源です。 私は生命に溢れたこの地球を美しいと思います。 (勿論、生命と死は表裏一体なので、生命に溢れた=死に溢れた、という事でもありますが、死がなければ生命はありませんから)

shift-2007
質問者

お礼

>創造と破壊、誕生と死は表裏一体、不可分なものだからです 確かにそうですね、命は流転しているのでしょう。私は死については納得できるのですが、問題は殺しのほうです。殺すことも循環というルールに組み込まれているのであれば残酷ですね。 私も、生物や無生物を含めてこの地球上もものは美しいと思います。 ご回答ありがとうございました。

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