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シラノの鼻の意味とは?
<人知れず シラノの鼻を 思う春> 何年も、この俳句をいただいてから、その意味を考えてきました。 時には、離れ、また、思い出し。 シラノドベルジュラグ その内容は知っていますが シラノの鼻 とはなにを意味するものと 皆様は思われますか?いろんな方のご意見を伺いたいと 思います。どうぞ、ご教授くださいませ。
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お礼
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補足
(下の補足部からの続きです) そのお便りで先生が最後に仰った様、<闘いはこれから、社会に出てからは比べ物にならぬ厳しい、けれど栄光に満ちた未来が待っている> 波乱一杯のその後の日々をおくりながらも、夏と冬、ご挨拶を欠かしませんでした。私にとり、肉親も見過ごした(と、当時の私は思っていた)<自分の深い部分を認めて下さり称えても下さった>事<真実を見据えるその姿勢>と共に 大きな自信とその後の信条(今に至る迄)にもなる、何かを残してくださった先生との出会いでした。 12年後のお葉書での句ですが。あらためて考えるに、先生は底知れぬ知性と共に独自の<辛辣さ>も持ち合わせていらっしゃったので 卒業という形を私に与えられなかった教師の成果を<道化>と感じ シラノの鼻として表したのだろうか。。などとも考えています。 先生が私に特別な思い、というのは考えにくいのです。何人も 先生曰く、<面白い生徒>が、私を気にかけてくださった様な生徒さんは居たので。 今でも<芯>となって、一連の出来事が私を支えてくださっている事は 先生にも伝わっていたと、自分は信じてやみません。