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憲法を哲学してみましょう。

kani-rocketの回答

回答No.3

アドバイス,というのはおこがましいのですが,回答にはならないので,ご容赦願います. 「公共の福祉のために」 これと同じ意味合いで使われ,且つ同種の不穏さを抱かせる文言に,「報道の自由」或いは,「教育を受ける権利」などがあるかと思います. マスコミの持つ影響力と責任回避の特権は一般的に認識されるところで,教育については,その聖職というベールの裏で,例えば酒井女子短大の留学生問題や,最近騒がれ出した「本命の合格発表の前に入学金払わなければ合格取り消し」という,学歴神話を盾に取った悪徳商法などがあるかと思います. …僕個人は,現実的な解として「経済システムの維持」という観点を最重要視しています.もの凄くイヤな喩えですが,憶測に基づいた過剰な報道で,罪なき人が自ら命を絶つような事態が,事実幾つも発生しています.それでもマスコミの体質が改まらない,改めずに済んでしまう理由は,それら報道の生み出す「何か」が,人命よりも全体利益に繋がるから.そう考える権威が,この社会を動かしているから. 勿論,経済システムなど維持しなくてもよい,という考えにも同等の価値があるとは思うのですが,あくまで「現状の理解」に拘ると,この視点から得られる教訓は馬鹿にできないと,僕は考えています. 余談ですが,「イチロー選手と中田選手,どちらの方が上?」という問いに対しても,二人の経済効果を算出することで,何の夢もないけどあながち的はずれでもない解答が提示できると思います. また,「憲法」という着眼点について僕が思うのは,言葉には,それに権威を与える生身の人間が不可欠ではないか,というものです.憲法の解釈については第九条がとびきり有名ですが,それが文言として成立する過程には,無論莫大な労力が注ぎ込まれ,度重なる推敲が行われた筈です. そんな大層なものに対して今更,「解釈が人それぞれで変わっちゃう~」などということがあっていいのでしょうか?そんな大切なものなら,作る時だけじゃなくて維持管理もしっかりしてよ.世相が変わり,事あるたびにその文言に対する国家としての捉え方を明確にし続ければ,別にご託宣でもあるまいし,いざというとき統一見解がとれない,などという恥ずかしい事態にはならないと思うのですが…. 実際憲法のないイギリスでは,すべては判例から解釈されているし. chihokoさんと,問いを完全には共有できていないのですが(勿論,そんなものはそもそも「共有している!」という互いの間に湧き起こる幻想でしかありませんが…),興味を惹かれてしまったので余計なことを言ってしまいました.一応,思い付く限り世俗的な視点と,こちらも可能な限りの理想論をブレンドしてみました. 興味を惹かれたところが,僕のchihokoさんに対する共感です.もしこの文章の何処かしらに引っ掛かるものを感じてくれたなら,それがきっと僕の受け取れた共感なのでしょう. 九拝

chihoko
質問者

お礼

●「経済システムの維持」とは いいところに着眼されていると 思いました。  社会が抱える多くの問題に「経済」に内包されている 人間の弱点と  経済の本質の抱える弱点を 見えるような気がしています。  報道の自由と権利とは 報道される側の「自由と権利を侵さない」上に  成り立つのだ ということに気づいていないのか? 気づいていても実行  できないのか? いずれそのこともおおきな課題ですね。  憲法はそれまでの先人の 汗と涙と知恵の結晶であるわけで  それでも 真理には至っているわけもなく 後を継ぐわたしたちに  よって よりよき文言に変える義務もあるはずです。  憲法があいまいなのは いたしかたないことだと 思います。  九条は 涙なくして読めない すばらしい文言だと 思います。  ご回答ありがとうございました。

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