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藩主と城主と陣屋について

 大きな区分けはあるんでしょうか?藩主は国主でってのが分かるんですけど・・ 合ってるのかも分かんないですけど。城主は??陣屋は??  藩主と城主と陣屋のしくみを教えてもらえませんか?詳しくお願いします!

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noname#30350
noname#30350
回答No.4

#1です。 #1で末尾に書いた内容について分かりにくいので補足しますと、国主クラスの大藩(仙台藩・熊本藩・広島藩など)は一国一城の例外として支城を構えることを許された大名家もありました。そういう大名家の最上位の家臣(一門・家老)の中には代々「城主」として城を預かっている者がいました。熊本藩の八代城主・松井氏、広島藩の三原城主・浅野氏、仙台藩の白石城主・片倉氏などが陪臣の城主(支城の城主)です。彼らは、陪臣ながら二万石・三万石の知行を得ていて、並みの大名クラスの所領を与えられていました。  陪臣の「城主」は、大名の格式としての国主・「城主」・陣屋とは違う一城の主という意味での「城主」なので、前者と後者を”ダブルミーニング”で書いたことを補足します。 ちなみに、城主ではありませんが、大名家によっては「城代」が置かれた支城もありました。(鳥取藩の米子城代、津藩の伊賀上野城代、徳島藩の洲本城代など) 徳川御三家の附家老(尾張藩犬山城主・安藤氏など)は陪臣の「城主」ながら大名格の待遇を受けていて、江戸屋敷を拝領したりしています。 長州藩(毛利家)の岩国領主吉川氏も、表高6万石の領地を有する最大の陪臣でした。幕府は吉川を大名として扱おうとしましたが、毛利本家が関ヶ原以来の因縁もあって吉川家が大名として遇されることを認めなかった為、江戸に屋敷(赤坂)を持ったり、白無垢の着用が許されていたりと大名並みの扱いを受けているにも関わらず、その身分は陪臣でした。 吉川氏を除くと、加賀藩(前田家)の本多氏(加賀八家)が5万石と純然たる陪臣としては一番多く家禄を与えられていました。 徳川御三家や加賀前田家の家老(年寄)は、陪臣ながら大名や幕府要職にある旗本並みに「従五位下」に叙任されました。 幕府も大坂・駿府・甲府などに支城を持っていたので、それぞれ大坂城代、駿府城代、甲府勤番支配といった役人を派遣して、その配下に番士(大坂は大番・駿府は書院番・甲府は甲府勤番)を派遣して守らせていました。 大坂城代は譜代大名が就任するエリートコースで、後に老中に就任する人も多かったようです。駿府城代は旗本の役職としてはトップレベルの役職でした。甲府勤番支配は悪い役職ではありませんでしたが、そのしたの甲府勤番士は典型的な左遷ポストで俗に「山流し」と言われたようせす。 「陣屋」という言葉も、建物としての「陣屋」そのものは、大名に限ったものではなく、旗本の在所の屋敷や幕府代官の代官所も陣屋でした。

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noname#25898
noname#25898
回答No.5

現実に天災、火災などで、焼失してしまった城もあるわけですから、城を建て直すまでの空白期間は、正確には、藩主であって、城主では、ないのでしょうね。

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  • Pinhole-09
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回答No.3

江戸時代城主は藩主でした。 藩主が参勤交代で江戸在府で留守のとき、城代(筆頭家老)が代わりをつとめました。  (城代家老 大石内蔵助など) 大阪城、甲府城の城主は将軍ですから、常時城代が務めました。 藩主には城主(城持ち大名)と領主(陣屋持ち大名)がありました。

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回答No.2

藩主というのは、江戸時代における所謂大名の殿様です。 城主というのは、命令を受け、或いは許可を受け、要地の確保のため、又は住居として、城に住み、管理を任された武将を言います。 陣屋はその名の通り陣地内の建屋であり、転じて城のように強固な防御力は持たないが、領主等が住み、又は役所として使用する建物です。 江戸時代、一国一城と定められ、それ以外の城は破壊されました。 しかし、藩の中で分家をしたり、大名の家臣でも、功績等により城を持つことを許されたりと、例外はありました。 また、甲府勤番のように、旗本等が命じられて、任務として城主を務めることもありました。

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noname#30350
noname#30350
回答No.1

国主(国持)・城主(城持)・陣屋というのは大名の格式の違いのことです。 藩主というのは大名を指すと思うので、国主も城主も陣屋も皆、大名(藩主)には違いありません。 国持大名(国主)は、だいたいが20万石以上の領地を持つ外様大名です。長州毛利家の様に複数の国全域(長門国と周防国)を領地としている国持ち大名もいれば、仙台伊達家のように一国一円(1つの国を丸ごと)治めていない国持ちも多いです。国主の伺候席(江戸城内での控え室)は「大広間」という格の高い部屋でした。(御三家や加賀百万石の前田家はさらに別格で「大廊下」という部屋でした。) 一般の大名は従五位下(朝散太夫)どまりですが、国持ち大名は官位も高くて、従四位下侍従以上でした。 国主に准ずる格式の大名として、准国主もありました。宇和島伊達家・二本松丹羽家・柳川立花家など10万石クラスの外様大名の一部が准国主でした。 城持ち(城主)は領地に城を持つ事を許されていました。 陣屋の大名は城を持つことは許されておらず、城の代わりに陣屋を構えていました。 1万石の城主もいれば、7万石でも陣屋の大名もいました。 官位も、城主は当主と世子(世継ぎ)が従五位下○○守などに叙任されていましたが、陣屋の大名は当主だけしか叙任されていなかったと思います。 城はなく実質的には陣屋だけど、格式として城主の格式とされていた城主格の大名もいました。 また大大名には、城を任された家老もいますが、これらは陪臣(家来の家来)なのでいくら城の主でも城持ち大名とは言いません。長州藩の岩国吉川家、熊本藩の八代松井家、仙台藩の白石片倉家などが大名ではない陪臣の城主です。 参考にならなくてすみません。

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