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国主、国持大名と城主、無城の違い
江戸時代の大名についてお教えください 1.国主=国持大名ということでよろしいのでしょうか? 2.国主と城主、無城とはなにがちがうのでしょうか? 伺候席との関連など、家格の違いがあるというのは分かる(?)ような気がするのですが、それ以外に具体的にどのような違いがあったのでしょうか? 3.wikipediaの大名のところを見ると「大名は国持ち大名レベルはともかく、10万石単位の大名は封土の一円領有が殆ど許されず、大抵は城下周辺とまだらに領土を持った。」とあるのですが、とすると城の周りでさえも、他藩や幕府・幕臣の領土が有った例も多々存在するというようにも読めます。 城の周辺でさえ他領が存在するなどしたら、実際の支配などに不便は無かったのでしょうか? 例えば、自分の城のすぐ近くで犯罪があった場合でさえ、関八州取り締まりや、その領主の手の者が来ないと取り締まりも出来なかったのでしょうか?
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稲垣史生氏によると、国主は一国以上を領している者で、国持二十家と称されている。 国主大名は殿様でなく太守様と呼ばれた。 この国主ほどの領地をもたないが、城郭を持つ者を城主と言い、持たない者を領主と言う。 しかしこれは原則で実際は室町時代からの家格にもとづいて多くの例外があるそうです。 家格にはこのほか、御三家、御三卿、御一門(以上は親藩)譜代、外様大名があるのは、ご存知と思います。 飛び地などの話ですが、例として大中藩(10~20万石をいう)の15万石の姫路藩は領内に8箇所のちいさい天領があります。 相続できない二、三男を旗本に取り立ててもらう為、知行の分与をしたためと思います。 天領ですが管理は姫路藩が代行したでしょう。 他方10万石の淀藩は領地が8箇所にわかれ、どれも広く飛び地の感覚とはづれがあります。 淀城は他領と余り離れていません。 治安はよくは判りませんが、中公新書「目明し金十郎の生涯」に参考になる話があります。 陣屋の小藩の守山藩で隣の藩に逃げた犯人の逮捕に、ばくち打ちの目明し金十郎を使いました。 金十郎は隣藩の知り合いのばくち打ちの親分に頼んで逮捕して貰い、こっそり出向いて引き取ってつれ帰りました。 正式には隣の藩に依頼して追放してもらい藩境で逮捕しなければなりませんが、手間と時間がかかり逃げられる可能性が高かつたからです。 隣藩は黙認していたと思います。 このような裏取引が結構あったのでしょう。
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No.2です。国の概念ということですが、当時の国というのは質問者さんもご承知のように、今の国家というものとは丸で違います。 一つの国は、一つの地方または行政の単位のようなもので、大雑把にいえば今の県に相当する、と考えればわかりやすいと思います。 国は奈良時代の律令制度に基づき、定められたのが最初であろうと考えます。一国の広さはおおむね今の県に相当します。というよりも国を県にしたといった方が正しいかも知れません(厳密には国がそっくりそのまま県になったのではありませんが)。 新潟が越後の国、長野が信濃の国、高知が土佐の国、和歌山が紀伊の国、大阪が攝津の国というわけです。 私は関西出身ですので、関西地方で説明しますと・・・ 紀伊の国(紀州)は、ちょうど丸々今の和歌山県と同じです。今の大阪府は摂津の国、河内の国、和泉の国のように分けられます。 大昔は別にして、江戸時代では一つの国に一つの大名を置いて管理させるというわけには行きませんでした。すなわち大名というのは戦国時代の土豪が、付近を武力で切り取りのし上がっていったものがほとんどです(もちろん由緒正しき家柄の大名もありますが)。 そして徳川氏は、元はその大名達と同格の大名なんです。徳川氏はその大名の盟主のようなもので、大名は徳川氏の家来というものではありません。 江戸時代になっても、徳川幕府は大名達が切り取ってきた領地は、原則的にその大名の領地としました。これは本来大名が力ずくで切り取ったものですから、国の単位とは必ずしも合致しません。薩摩、大隈の二国(鹿児島)を領有していた島津氏のような大大名から、せいぜい村が数個程度の領地しかない一万石の大名までいろいろでした。 徳川将軍もすっきりとした形で、国中を区画整理をしたかったと思いますが、幕府は絶対的な権力者ではありません、あくまでも大名の盟主ということですから、おおむね現状維持ということで、手をつけにくかったのだと思います(もちろんお国替えとか領地没収とかはありましたが)。 それから大名は領地の所有者ではありません。土地は地主(郷士や百姓など)の持ち物です。大名は領地の施政権(行政、警察、徴税など)を持っているだけです。江戸時代は封建制度であったという人もいますが、実態はそんなものだったと思います。 紀伊の国(今の和歌山県)の行政の中心は、今の和歌山市にあります。和歌山県全体から見れば北の端です。お城から和泉の国の国境まで数キロしかありません。地図で見れば城と隣国とがくっつぃているように見えますが、実際に付近を歩けば国境は和泉山脈ということで、やっぱり和泉の国とはハッキリと分かれているという感じを受けます。 この場合は支配の不便さは丸で感じられません。 お尋ねの治安の不便さについてですが、あることはあったと思うんです。紀州藩は別にして関東地方ではあったと聞いています。小藩や旗本の領地(知行所)、幕府の直轄地などが混在しているところがあって、こういうところの盗賊は捕まりにくいということは、なにかで読んだことはあります。 しかし、今の街中から想像するとメチャクチャナ感じを受けますが、区分けは川や山や沼地を挟んでいるとかしていて、現在よりもハッキリしていたんではないかと思います。また人口も少なく、よそ者が入ってくればすぐに気がつくような状況で、今とは大分違うように思いますが。 あと大名の家格というのを研究されるのであれば、領地の大きさ(何万石)、徳川家との近さ(御三家、御三卿、連枝、譜代)などのほかに、朝廷から貰った官位、明治になってからの叙爵なども調べられたら面白いと思います。
お礼
大変詳しいお話有難うございます 実はあれから領地、家格、叙爵などについて調べてしまいました(笑) するとあなたから、同じようなアドバイスをいただいたので、まんざら自分の方向性も間違ってなかったのかなと安心しました 参考にさせていただきます
- Tacosan
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「一国」は律令制における「国」だと思います. この線引きは当然江戸時代より前からあるわけですが, 江戸時代に入ってから加増するときには「幕府が持っている領地を与える」関係上, どうしても飛び地になってしまうことがあります. そのため廃藩置県直後は県が錯綜しており, その後統合を進めることによって現在の形になっています.
お礼
なるほど、律令制における「国」ですか。 これは分かりやすいです これをとっかかりに少し、律令制における「国」の概念について調べてみたいと思います 大変参考になりました
1.国主=国持ち大名でOKです。加賀百万石の前田氏(外様)や紀伊五十五万石の徳川氏(御三家)などの大大名は一国丸まるを領地としています。 2.国主=本城の城主ですね。大きい大名だと領地の中に本城のほかにも城(支城)があります。この場合は大名の親族や重臣が城主であったり、城代を置いたりする場合があります。 一万石や二万石の小大名ですと城は無いのが普通です。城を造る余裕などありません。したがって屋敷に毛が生えた「陣屋」というもので間に合わせています。 江戸時代の大名は全部で300余りありました。現在の都道府県は47ですから、小さい大名も沢山あるんですね。しかし小さいからといっても、将軍に近い大名で家格が上の場合もあることは、質問者さんの仰せの通りです。 3.当時の日本の国土は、大まかに言って幕府(将軍)の直轄地、将軍の直接の家来である旗本の領地、大名の領地に分けられます。大名の警察権の行使は自分の領内に限られます。したがって盗賊が泥棒を働き、他領へ逃げ込んで得をした、ということはあったようです。 ちょうど、千葉県でスピード違反をやって、千葉県警のパトカーに追いかけられ都内まで逃げ込んだら、千葉県警のパトカーは県境で追跡をあきらめて引き返した、というようなもんですね(笑)。 関東地方はとくに、幕府の直轄地や旗本の領地、大名の領地がまだらに入り乱れているところが多く、治安の維持に苦労があったようです。大名と代官所や関八州の取締りが、お互いにどの程度協力しあったか詳しくは知りませんが、今の県警同士の連携よりは悪かったと思います。
お礼
ありがとうございます とりあえず質問1.は解決しました
補足
よろしければ、「一国」という概念についてもお教えいただくと嬉しいです やはり城の周りのほんの狭い地域でも、警察活動の行動の支障があったのでしょうか?
- 6dou_rinne
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国持ち、城主、無城というのはあくまでも格式です。 一国を領していても小国の場合は国持ちとしての待遇を受けていない家もありますし、城主でも城を持っていない例もたくさんあります。 また、一円知行でない例はたくさんありますというか、そちらのほえが普通です。とくに譜代大名の場合はあちらこちらに知行地が何箇所にも散在しているのは当たり前で、譜代最大の井伊家でも彦根周辺のほか世田谷と関東に飛地がありました。
お礼
ありがとうございます
補足
>一国を領していても すいません、一国っていう概念がよくわかりづらいのですが、○○の国っていうのは藩の存在とは無関係に規定された線引きがあるのでしょうか?
お礼
太守の意味を初めて知りました 天領の管理代行の話も、なるほどと納得でした 具体的なお話が多く大変参考になりました