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「自分を愛す」ってどういうことだと思いますか?

カテゴリーが『恋愛』で適切かどうか定かではないのですが。先ほど過去の質問と回答を読んでいて、目に止まった言葉がありました。 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=256608 の、tomojiさんの回答の中の >本当に相手への思い遣りがある人は自分がどう思われているか気にしないハズ。 >一番の基本はまず自分を愛してあげる事。一番身近で一番大事な自分を愛してあげれない人がどうして他人を愛してあげれる? この二つは密接な関係があるように思う。『自分を愛することができる人は、人にどう思われているかを気にすることなく人を思い遣れる』と。 自分を愛す―――私は自分はこれができてない気がする。なぜなら人に思いやりをかけるということを意識しながらしているから。それって「よく思われたい」という気持ちからでしょう?確かに「力になりたい」という気持ちはある。でも正直なところ、邪念みたいなものが全く無いわけじゃない。感謝されたら嬉しいし、そうでなくて単なる「おせっかい」みたいになったら嫌だなぁ、なんて躊躇するあたりが卑しいと思う。 今日も好きな人に心から心配している気持ちを伝えた。でも相手は自分が思っているほどそのことを気に病んでいなかった。気持ちを伝えた自分がおせっかいだったようで恥ずかしかった。 私はいつも反省ばかりで、自己嫌悪に陥ることも多い。「自分を愛して」いないだろうなぁと思いつつ、37年も生きてきてしまった。ときどきは自分を「がんばっているな」と労うけれど、たいていは「もっと・・・じゃなくちゃ」って気持ちが強い。自分を愛してないから他人も愛せないんじゃないかと不安。 「自分を愛する」ってどういうことですか? 「自分を愛する」ために、どうすればいいのでしょう? 最後に、素敵な回答だったので一部を引用させていただいたtomojiさんに、この場を借りてお詫びいたします。どうもすみませんでした。

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  • starflora
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回答No.12

    わたしが出てくることでもないのですが(わたしは恋愛カテゴリーには、基本的に回答しません。それは、このカテゴリーの質問は、「質問」の形を一見取っていても、実は「答え」をすでに当人が知っていて、他の人に、「そうです」と言って欲しいがために、質問していることが大部分だからです。恋愛相談で質問する人は、答えをすでに持っているのです)。     >「自分を愛する」ってどういうことですか?     人は、どのような人でも、「基本的に」自分を「愛しています」。それが分かるのは、次のように考えると明確でしょう。「私は自分が嫌い。私は、あんな風だったらいいのに、自分を愛することができるのに、って思います」という表現を考えてください。     この「私」を他者に置き換えて見るのです。「私は、あの人が嫌い。あんな人とは、もう本当に会いたくない……(そして、本当にどうでもよいので忘れる)。私はあの人が嫌い。ここがいやで、あそこもいや。せめて、ここはこうなって欲しい、あそこはこうあって欲しい」     ここで、「ああいう人は嫌い」の場合、本当に嫌いだと、それで終わりです。忘れてしまい。思い出しても、「ああ、あんな嫌いな、どうでもいい人もいたなあ」です。それに対し、「あの人がこうであったらいいのに」というのは、仕事上の関係等で、どうしても関係しなければならない場合は、「必要上で、要請」しているのですが、別に、自分の自由で、いつでも分かれることのできる相手に対し、そう思う場合は、実は、相手に何かの未練や、もっと正確に言えば、「価値」を置いているのです。価値があるので、もっと望ましい人だったら、と思うのです。     これを自分自身への評価に戻すと、「私は、こうだっらもっといいのに、と思い、いまの自分を愛することができません」という時、何故、「こうだっらいいのに」と思うのかです。また、「私は自分が嫌い」というのは、本当に嫌いな場合、「自殺」とかします。自分をこの世から消し去るのです。こういう理由で自殺する人は多くいるのですが、その人たちは、おそらく、自殺した後(というのは変ですが)、結局、後悔していると思います。     これは、どういうことかと言うと、人は、基本的に「自分を限りなく愛している」のです。愛しているからこそ、真剣に自己嫌悪になるのですし、こうであったらいいのにと切実に思うのです。どうでもよい通りすがりの他人について、決して、こういう感情は起こりません。人は、根本的に自己を愛しているのです。     仏教では、この「自己愛」を「執着心」のように言って、それを克服するのが悟りの道だという風に通俗的に理解するのですが、実は間違っているのです。     >「自分を愛する」ってどういうことですか?   >「自分を愛する」ために、どうすればいいのでしょう?       ここで言っている「自分を愛する」というのは、根元的な自己への愛以外の何かを語っているというか、念頭しているのです。     宗教的には、すべての人が根柢的に「わたしと同じである」、「わたしを愛するとは、すべての他者を愛するのと本質的に同じ事だ」という真理の認識になるのですが、こういう認識は、精神異常者か、聖なる人、例えば、イエズスとか、名も知れぬ、無名の聖なる人以外には、なかなかなれません。神秘体験をしても、そこから、普遍の愛の認識に進む人もいますが、神秘体験を自己のナルシシズムの根拠にしてしまう人が大部分です。     ナルシシズムは否定されることではありません。否定されるべきなのは、ナルシシズムしかないのに、普遍愛をわたしは知っているとか、普遍愛を悟ったとか、勘違いすること、自己傲慢に陥ることです。AUM真理教の教祖が、この典型だったでしょう。     人は誰でも、どんなに社会的に認められていない人でも、どんなに異性に相手にされない、容貌のよくない人でも、自分を根元的に愛しています。自分が美しくなく、誰も相手にしてくれないので自殺する、という時、この人の「自己愛」は、自己を滅ぼすほどに強かったのだということを逆に示しているのです。自分を限りなく愛するからこそ、自殺できるのです。     それぞれの人が、このような限りない自己愛を持っているのです。そこで人間と人間の関係において、特に、何ゆえ、この人と恋愛関係にあらねばならないのかというような、自己の意志や好みで、どうとでもなるような関係の場合、それぞれの「自己愛」が露呈してくるのです。すると、エヴァンゲリオンの「はりねずみのディレンマ」ではありませんが(これは、エヴァンゲリオンが典拠ではなく、心理療法などの通常の比喩です)、互いにもっと近寄りたいが、近寄ると、互いの自己愛があって、相手を拒否するので、それが互いに痛いので、また離れるということになります。     他者との自由な関係では、「自己愛」があるが故に、他者との関係がうまく行かないということが起こるのです。     >「自分を愛する」ってどういうことですか?   >「自分を愛する」ために、どうすればいいのでしょう?     ここでいう「自分を愛する」というのは、他者への愛・配慮を、自分自身への愛・配慮より優先しつつ、自分自身を愛する・配慮するとは、どういうことか、という問いです。これは、形から見て分かるように、ディレンマになっているのです。「自分を愛する」ことに焦点を置くと、他者を本当に愛していないことになり、自己執着で、エゴイズムだと思ってしまうし、他者を本当に愛したいと思うと、すべてを他者に委ねることのできない自分を見いだし、私は、利己主義だとなるのです。      答えは、「自分自身に自信や余裕があること」になります。「自信」よりも「余裕」の方が重要です。「余裕」というのは、「自分のなかに、他者をどれだけ住まわすことができるか」という余裕です。同棲しても、相手を心のなかに住まわせていないと、一緒の場所に住んでいても、簡単にエゴが衝突すると喧嘩別れになります。社会的に別れられない状況で、仕方なく一緒に生活していると、段々相手の「エゴ」や「ナルシシズム」が分かってきて、なるほど、この人はこういう人なのか、という理解ができると、そういう人の「エゴ・わがまま」なら、寛容に受け入れて挙げよう、認めてあげようという心理になった時、実は、そういうエゴを持つ他者を自分の心に住まわせたことになるのです。     互いに相手を自分の心に住まわせることができたので、恋愛は終わっても、友情は続いて行くという場合が、相手を自分の心に住まわせるということの例になります。     相手が自分をどう評価してくれるのか、まず、他者の評価に関係なく、自信を持って他者と関係を結びたい、交際したい、そのためには、自分に自信を持つ、自分をまず愛することだということから、質問が起こっているのですが、「相手の評価が気になる」ということは、実は、「相手の評価は相手のものであって、自分ではどうしようもないのだ」という真理の自覚がたりないのだとも云えます。     あるいは、相手の評価、他者の評価は、自分がどう願い、どう努力しようと、相手次第であるという真理を認めたくないという心があるのです。「自分を対人関係のなかで真に愛する」とは、他者の心は自分の自由にはならないという真理を知って、相手の評価や反応はともかく、わたしはわたしの思いで行動し、その結果、相手が自分を認めてくれなかったとしても、それでいいではないかという「心の余裕」の構成になるのです。     「自分を愛するようになるにはどうすればよいか」は、「多くの他者を自分の心に住まわせることのできる心の余裕」を、どうやって築くかです。貴方は、何人かの母である訳で、自分の子ども達は、「自分の心に住まわせている」のです。     色々書きましたが、わたしの人生の経験から出てくることは、人は、或る他者に対し「誠実」であれば、その他者が、「心ある人」であれば、貴方の「心の誠実さ」は、その人に伝わるということです。すべての他者が心ある人ではないし、人それぞれ、自分の心に住まわせる人の数には限界があります。貴方をその心に住まわせてくれない人は、どうしても、どうもならないのです。     悟ったようなことを書きましたが、人と人の関係は「心の出会い」に究極的にはなるということです。意識して相手に配慮するのは大いにいいことです。外見的にも人間の角が取れてきますし、最初は、外見でほとんどの人間は判断するので、これは配慮して、損ではないと思います。しかし、配慮の見返りは期待しても、仕方ないというのもあります。他者の心は他者のもので、貴方の自由にならないからです。     他者の反応に関係なく、無私で相手に配慮するというのも崇高ですが、結婚詐欺に陥った人は、実はそういう心理になっています(正確には、「自己愛」を計算の上で肯定してくれた相手を失うと、自己が「無価値」となるので、必死になるのです)。相手の「心に誠意」がなければ、自分が幾ら誠実でも意味がないのです。     努力していれば、カイロス(幸運)が、微笑するというのが、この世の法則です。努力しなくとも、カイロスの微笑はありますが、努力しないよりした方が、カイロスの微笑は多くなり、また、本当に重要なカイロスは、努力すると訪れます。     すでに、生きてきた経験の豊富な貴方に、わたしのような者が何を云えるのか、というのがあります。     人の運命は「出会い」で決まると云えます。その時、努力し、誠実であろうとつとめていた場合、その報酬は、どのような形かは分かりませんが、何時か報われるでしょうし、それは、死の直前かも知れません。     日々を誠実に、精一杯生きていれば、心はおのずと、広くなって行くでしょう。それは間違いなく云えるのです。他者や世界との関係は、星の定めにあります。人間の力では、どうしようもないということです。     そう思うと、心に少しの「余裕」ができるでしょう。この「心の余裕」が、貴方をより大きな人にし、貴方の言う、自分自身を愛する道に通じているのです。   

noname#3557
質問者

お礼

あらためまして、starfloraさん、回答をありがとうございます。 翻訳の件のときは本当にお世話になりました。その後残念なことに仕事の話は流れてしまい、力を貸してくださったstarfloraさんをはじめとする皆さんに悪いなぁ、という気持ちがしていました。このような形での事後報告をお許しください。 話をこのカテゴリーに戻しまして・・・。 starfloraさんがとても長い回答を寄せてくださったので、ちゃんと読まないと!と思いました。書いてくださった意味をどれだけ理解できているか少し心配ではありますが、読んだ後にホッとした気持ちになったのは確かです。 「私にもできるかも知れない」という感じです。 相手の気持ちは相手のものであるから自分ではどうしようもない。 相手が認めてくれないことがあってもいいんだ。 誠実な相手には伝わるだろうけれど、そうでなくても自分のせいと思わなくていいんだ。 ・・・こう思えばそんなに難しいことでない感じがしてきます。 「他人を自分の心に住まわせる」という表現はわかりやすいですね。これはただ単に「相手を受け入れる」というのより、強制的でない感じが伝わってきます。相手を自由に遊ばせて(この言い方は適切でないかも知れないですが)いる感じ?自分の子供を例にあげていただくと一層わかりやすいですが、同時に、元夫を住まわせることができなかった(しなかった)んだなぁということも考えました。(これは少し複雑だ・・・(-_-#) 「自分を愛す」ということは(少し極端ではありますが)、「自分って大好き!」ということかと思っていましたが、必ずしもそうでなくてもいいんだ、「精一杯自分なりにそれに向かって努力している」ということでも段階的にはいいんだ、と思いました。 見返りは期待しないで出来るだけ自分なりに誠実に相手に接して行く中で、だんだんと自分の心の中に住まわせる人の数を増やせたらいいな、と思います。 具体的に何に向かって努力していくのか、ということは目には見えないけれど、何かが見守っていてくれる、そう思って生きていきたいと思います。 思っていることを全部、うまくお伝えすることはできなかったかも知れません。 でも、私のために回答くださったこと、本当に嬉しく思いました。 とても勇気付けられました。 また時折このページを思い出し、初心にかえりつつ進んで行きたいと思います。 ありがとうございました!

noname#3557
質問者

補足

starfloraさん、こんにちは。恋愛のカテゴリーに回答くださってありがとうございます。このところ忙しく、すぐに補足、お礼ができなくて申し訳ありませんでした。これからじっくりと読ませていただいて、再度お礼をさせていただいてもよろしいでしょうか?お待たせしてすみませんが、宜しくお願いいたします。

その他の回答 (11)

  • Samx
  • ベストアンサー率21% (24/113)
回答No.11

自分を愛する、ですか。 運が良ければそうなれるんじゃないかなと思います。 何かいいかげんに思われるかも知れませんが、命が 磨り減るようなどうしようもないどん底と、もう死 んでもいいと思えるような最高の出来事の、両方を 体験できれば人は自分を愛せるようになると思うの です。 そういう出来事には、ある意味運が良くないとなか なか出会えませんよね。 >私はいつも反省ばかりで、自己嫌悪に陥ることも多 >い。「自分を愛して」いないだろうなぁと思いつつ、 >37年も生きてきてしまった。 あなたは37年間、幸か不幸かそういう体験をされな かったか、または精神のキャパシティーが大きすぎ て大した刺激にならなかった、という事ではないでしょうか。 ご自分の頭の中だけで考えてみても、他人の意見を 聞いてみても答えは見つからないような気がします。 実体験の積み重ねしか無いでしょうね。 私も同年代ですが、まだまだ先は長いです。 頑張りましょう。

noname#3557
質問者

お礼

Samxさん、アドバイスをありがとうございます。 拝見して深いなぁと感じました。 どん底と最高の出来事・・どちらも経験ないです。 大した刺激にならなかった・・このようなことを以前誰かに言われたことがあります。推測としてですが。 これってけっこう言われると堪えますね。自分が甘いっていうの真にする感じ。 でもこういう体験をすると自分を愛せるようになるという感覚はわかる気がします。自分をいとおしくなると言ったらいいのかな? 私は何か困難に立ち向かっているとき、一生懸命になるとき、けっこう自分が活性化しているって実感するタイプです。私の今までの困難なんて大したことないですけど。 精神のキャパシティーが大きいというのがどういうことかよくわからないけど、 これではない気がするなぁ。人間の器は小さいです。 そういう小さな自分が嫌だなぁと思う。 おっしゃるとおり、自分の頭の中で考えても他人の意見を聞いてみても、答えは見つからないでしょうね。 でもSamxさんからアドバイスを含め、いろいろなお話を聞かせていただいたことはよかったと思います。自分と別の視野からこのことを見ることができたので。 >まだまだ先は長いです。頑張りましょう。 これから先、自分を愛せるきっかけになるような体験をするか(できるか)どうかはわかりませんが、勇気付けられました。 頑張りましょう。 回答をありがとう。

noname#3557
質問者

補足

真にする感じ、ではなくて『目の当たりにする』でした。 訂正します。

回答No.10

みみりんです。 私は、この20数年間、自分を毛嫌いし続けてきました。 「自分はこの世からいなくなったほうがいいんだ」 そう思い続けてきましたね。 就職活動なんかでも、自分の長所をアピールしなくちゃならないじゃないですか? あれは正直いって困りました。 「いいとこないんですけど」ってバカ正直に言うわけにはいかないから適当なこと言うわけですが、そういうのはすぐに見抜かれてしまいます。自信のなさがばればれで、面接は殆ど全部落ちました。 そんな私がようやく自分でよかったと思えるようになったのは、今の彼氏の言葉。 「お前とおると、心地ええねん」 こんなあたしでも心地よさを感じてくれる人がいるのかと思ったらそれだけで自信がばーっとでてきましたね。 自分を愛するって、ひとりでできそうな気がしますが、 実際は、誰かの支えとか、必要とされている実感っていうものとかがともなって、はじめて「ああ自分でよかったんだなあ」って思えるもんだと思います。 回答になっていないかもしれませんが・・・。

noname#3557
質問者

お礼

みみりんさん、回答をありがとうございます。 誰かの支えとか、必要とされている実感――これは大きいと思います。 自分といると心地いい、なんて思ってもらえるなんて、本当に嬉しいですよね。 いい関係を大切にしてくださいね。 私もなぜかときどき、自分はこの世からいなくなればいい、と感じることがあります。自分だけがいなくなっても、世界のほとんどの人は困らない。困るのは私の子供たち。・・・ならやっぱりいなくなって解決するわけじゃないし、いないと困るんですよね。 皆さんのそれぞれの自分の愛し方を拝見しているうちに、自分では思いつかなかったことをいろいろと知ることができました。これは本当に収穫だったと思います。別の角度から自分を愛するということを考えさせられるいい機会でした。 ”うーんごちそうさま★”ってお話、ありがとう。 私も心地よくなれるようがんばります。

回答No.9

こんばんは。 >「自分を愛す」ってどういうことだと思いますか? 自分なりに解釈すると、=自分を好きになるということですかね。 たとえば、自分は不細工だ、身長が低い、などの外面的なこと。また、自分は、馬鹿だ、何をやっても自分は出来ないなどの内面的といって良いかわかりませんが、どちらにしてもコンプレックスが付きまといますよね。 でも、それで落ち込んでいても何にも解決にならないと思います。それは、運命といいますか、親から受け継がれてきたものです。それに誇りを持って生きていきたいですね。 私も、声が小さい、表情が乏しいとよく言われていますよ。最初は嫌でした…、でも、それも個性だと思いましたよ。=女性からは全然もてません…。 でも、これを受け入れないといけないと思いました。誰もが、俺みたいな人を嫌いなわけではないと思いましたら、気分も晴れました。 少し、他の回答者の方とは、意見が違いますが参考程度にお願いします。全然、回答になっていないかもしれませんが、ご容赦願います。

noname#3557
質問者

お礼

himawarikunさん、回答をありがとうございます。 >全然、回答になっていないかもしれませんが、ご容赦願います。 いえいえ、そんなことないですよ。参考になります。 コンプレックス・・・ありますねぇ。でも自分が思っているほど人はそこを変だとは感じてなかったり、逆にその人らしいと思われていたりすることもあるみたいですね。やっぱり自分の思い込みが影響するのかなぁ。 >これを受け入れないといけないと思いました。誰もが、俺みたいな人を嫌いなわけではないと思いましたら、気分も晴れました。 こういう気持ちは大切だと思います。それはきっと傍目にもわかると思う。 コンプレックスを気にしながらうじうじ(少し表現がよくないですが)しているよりも、気分のいい表情していたほうが、いい印象になると思う。 お話参考になりました。 回答をありがとう。

回答No.8

こんにちわ。 僕なりに思うことです。 自分を愛していない人というのは、自己嫌悪に陥らないと思います。 自分を愛することって、自分について悩むってことだと僕は思っています。 自分のことがどーでもよかったら、悩む必要がないですし。 ちょっと、根本的過ぎるかもしれませんが。 akkochantさんは、「自分を愛する」できているのではないかと…。

noname#3557
質問者

お礼

false_nameさん、回答をありがとうございます。 こんな風に考えたことはなかったので新鮮でした。 「自分を愛することは自分について悩むことだ」 確かにそうかも知れないですね。 自分が思っているよりも、自分を愛そうと努力はしているかも。 まだまだ答えは見えてきませんが、探して行こうと思います。 短いコメントの中にきらっとした言葉をありがとう。

  • neterukun
  • ベストアンサー率17% (993/5831)
回答No.7

ねてる君です。 自分を愛すると言うのは「ほどほどに大切にする」と言うこと じゃないかな? 自分って言うのはなんだろうか? 中心にいるわけではない でも、一番コントロールしやすい心でもありますよね。 たくさんの意思が有ってそのときそのときに使い分けて アドバイスしていて思うのは 自分って言うものをそうですねペーハー7に なりきってらっしゃらないなって思うことが 多いですね。ペーハー7=中性、真ん中の値 自分ってね卑下したりしちゃダメだし、自分中心にしてもだめだよね 勇気は大すぎると野蛮で少ないと臆病になる。 この真ん中が勇気ですよね。 愛情も多すぎればおぼれる、少なければ冷酷になる このバランスだと思うんですよね。 基本的に人間は自分と言うものが好きです。 そしてそれも程よいペーハー7の人が一番大事にしているんじゃないかって思うんですよ。それがいわゆる平常心になるって思うんです。 まず自分をしっかりと大事にすることをしていくらっていうのはあたっていると思いますよ。

noname#3557
質問者

お礼

最近はひらがなのねてる君、回答をありがとうございます。 起きてますね?(笑) そのバランスっていうお話、すごくわかりやすいです。 ときどきどっちかに傾いてて、慌てて修正することよくあります。 自分を大事にする、という話では、自分が自分を大事にしてあげないで、 一体誰がするんだい?という気持ちになってきました。 皆さんのお話をお聞きしたお陰だと思います。 まずはほどほどに大切にしたいと思います。 回答をありがとうございました。

  • yukya
  • ベストアンサー率22% (11/48)
回答No.6

私も自分が嫌いで嫌いで、何をしても自身がもてなくて悩んだ時期がありました。 落ち込んでは泣きましたね。 でも、そんなに自分に自信がなくて、情けない、自分ですら自分が嫌いという 人間には、友だちすら出来ないと思います。 でも、私には数はけして多くはないけど、長年付き合ってきた友人達がいます。 ということは、彼女たちにとって私は友だちとして付き合っていける 何かしらの魅力があるのではと思います。 ある日、友だちがふと言うんですよ。「yukyaの笑い声が、本当に笑っているって感じがして、好きなんだよね。」と。 すごく嬉しかったです。私のいい部分を教えてもらったようで。 今でもこの言葉を支えにしている部分もあります。 akkochantさんに友人がいるなら、自分にいいとこある?と聞いてみてはどうでしょうか。 きっとakkochantさんが考えてみたこともない言葉が返ってくるかもしれないですよ。 あと、すごく効果的な事があります。 暗いと言われるかもしれませんが、自分の嫌な所を紙にひたすら思いつくだけ書きます。嫌いなところを絞りだしてください。最後に驚くべきことが出てくるかも。

noname#3557
質問者

お礼

yukyaさん、アドバイスをありがとうございます。 そうですね、私も独身の頃の友達に「なんか家庭は大変そう(商売やめたり両親が家庭内別居だったり)なのに、いつもコロコロ笑って楽しそうな子だなと思ってた」と後日談として聞かされたことがあります。 今は友達とかよりも仕事関係の人と一緒の機会が多いですが、先日も「〇〇さんと話をしてると明るくて楽しいわい」と言われました。自慢じゃないですが私3人の子持ちのバツイチです。生活のためにぴりぴりしてるときもありますし、先のこと考えると不安いっぱいです。 でも大抵人と一緒のときは楽しい話しかしないです。 人の悪口とかも極力言わないし、大抵の深刻な話もシャレで笑い話にしてしまいます。 たぶんそういうところをその人は「明るくて楽しい、ホッとする」という風に言ってくれたんだと思います。 今の仕事は運送関係で、うちに出入りしている仕事仲間はみんな結構過酷な長時間労働を強いられていたりするんですよね。荷物も重いし体力要ります。 そんな中で、やっぱり『お疲れさん』って労ってあげたいんですよね。 楽しい話の方がホッとできるしね。 ・・・好きな人に対しても、基本的にはそんなキモチで接しているのだけど・・。 嫌いなところを絞り出す・・・これはなんだか面白そうですね(笑)。 一度やってみたいと思います。 いろいろ参考になりました。 私もコロコロと笑うって友達に言われたこと、話をしてて楽しいと言われたこと、 支えにしていこうと思いました。 ありがとう。

noname#1897
noname#1897
回答No.5

こんにちは。happychanといいます。 回答の種類を「回答」と選びましたが 実は回答でも何でも無くて、ただ、キモチを共有したくて っていうか勝手に共有してしまったのでお邪魔してしまいました。 自分を「愛してあげる」「認めてあげる」事が私も苦手です。 だから、この質問のタイトルを見て、ぐぐっと引き込まれてしまいました。 実は私も今ちょっとめげていまして。「自信」って部分で。 akkochantさんと同じように思うんです。自分を好きになりたいって。 自信が持ちたいって。そうすればもっと大事な人の役に立てるのにって 思ったりするんです。 持論なんですが「本当に優しい人は強い人」ですよね。そうなりたいんです。 でも、実際は、やっとの思いで抜け出した穴に、又簡単に落ちてしまいます。 私も自己嫌悪に陥って、反省ばかりの毎日です。 ただ、やっぱり人間ですからバイオリズムのようなものがあるらしく ふっっと自分を解放できる瞬間があります。 好きになれるっていうほどじゃないんですが 今の自分を「許して」「認めてあげる」事が出来る瞬間があります。 そういう時を大事にしています。その間にいろいろ考えます。 頭がプラスへむいている時ですからね。 今、やりたい事があって、夢に向かい中ですが そういう瞬間に具体化したものです。 急がないと又悲観主義な私にもどってしまうと 「どうせ無理だもん・・・」ってなってしまうので そういう瞬間を大事にしています。 新しい事を始めたのも何か自分に価値をつけたくなったってのもあって そうすれば自信が持てるかな、なんていう少しねじれた感覚も 混じっていたりするんですよ。(今までひとつの事極めた事なかったから) そうして、自分で「立つ」事が出来たら いつか本当の意味で彼を支えてあげられるんじゃないかなぁって思っていて。 私はついつい「今ダメな事はこの先一生ダメなんじゃないか。」っていう 考え方になりがちなんですが、今回は珍しく長期的に考えられました。 キモチを共有、なんていいましたが全然ダメですね (>_<) 自分の事ばっかりで。 ただ、同士がいるなぁって思っていただければ嬉しいです。 頑張りましょう。自分探し。 P.S.4人のご回答、耳が痛かったりして・・・(^-^)     私もとっても参考になりました。ありがとうございます!

noname#3557
質問者

お礼

happychanさん、回答をありがとうございます。 新しく打ち込まれていることって、もしかしてパン作りですか? モノを作るってすごくエネルギー要りますよね。 重い腰をあげて材料をそろえて、丁寧に分量をはかったり、作業の場を整えたり。 気持ちがぐちゃぐちゃしているときはできないですよね。 私もけっこう『作る』のが好きで、製麺器買って麺を作ったり、なんやかんやするんで、モノ作りの達成感よくわかります。 あとhappychanさんがお天気の話を別の回答でされてましたよね? 私もこの間すごく不思議な体験をしました。 一人で部屋にいるときは気分があまりよくなかったんです。外は晴れていたので、洗濯物を干しにベランダに出ました。団地のベランダなのでたいそうなことはないんですが、太陽の光を浴びた瞬間に、気持ちが手にとるように開放されるのがわかりました。本当に気持ちのよい一瞬だった。 お天気も気分とかなり関係しているみたいですね。 私もバイオリズムがあって、自分が元気になるときがかなりはっきりわかります。 そういうときは小さなことなんて全然気にならないのに。 人のことも気にならない。自分のこともたくさん許せる。とにかく明るくて開放的。包容力抜群・・・きりがないくらい(笑)。 こういうときのほうが人に優しくなれるので、こういうときばっかりがいいんだけどなぁ・・・。 でもここで着々と入ってきている皆さんの回答を読ませていただいているうちに、小さな勇気がわいてきた~~って感じがあります。 happychanさんもがんばってください。パン作りの方も。きっとうまく行きますよ! そして天気のよい日には太陽をいっぱい浴びて・・。(UVカットは忘れちゃいけないけどぉ) キモチを共有してくれてありがとう。 がんばりましょうね。(*^-^)*

  • tomoji
  • ベストアンサー率26% (182/678)
回答No.4

えっ!?・・・とびっくりしましたtomojiです(笑)( ^ー^)クス 引用については私は全然問題なしですよ。お気遣い有り難うございます♪ 私が考えてる「自分を愛する」というのはとにかく「無条件の愛」です。確かに自分を冷静に分析したら嫌なところ、だらしないところ、そーゆーところは一杯あります。でもそれも含めてすべて無条件に自分を好きでいるということです。そして無条件に自分を好きでいることの条件は、その嫌な部分、だらしない部分も認めてあげると言うことだと思います。 「自分の事が嫌いだ!」と言う人が世の中にはいますが、その殆どの人はその嫌いな部分、嫌な自分、だらしない自分、しょぼい自分を認められないのではないかと思っています。認めたくないから理想の自分と比較して自己嫌悪になる。もしくは認める前に認めてもいいような自分に近づこうとしている(そうなったら認めれると思ってる)のではないでしょうかね。 あとは考え方です。良く「自分には○○が足りない」と欠点を探すような事をする人がいますよね?、これはイメージ的に言えば丸い球があって、欠点の部分が欠けて穴だらけの球になってる状態だと思います。だから穴を埋めようと必死だったり、穴ぼこの自分を見て自己嫌悪に陥るのだと思います。 私はこう考えます。私は無条件に丸い球なんだと。じゃあ自分の嫌なところはどう考えているのかと言えば、「ここがもっとこうなれば、もっと素敵な自分になれる♪」と考えています。つまり丸い球のイメージに「もっと」と思うところを足して行くのです。こんぺいとうのようにデコボコにはなりますが決して穴ぼこではありません。そしてそのデコボコが全体に行き渡ると自分が(丸い球が)一回り大きな丸い球なる(一回り大きな自分になる)・・・そんなイメージです。( ^ー^)b 理想から出発するのも大切ですが、出発するには今の自分を認めるところから始めないと何事も始まらないと思っていますし。 >『自分を愛することができる人は、人にどう思われているかを気にすること >なく人を思い遣れる』と。 そうですねー。厳密には段階は別ですが、本当に思い遣れる人は自分を愛することができる人だという方が的確でしょうか。 私は、自分を愛せない人はまだ自分には足りないモノがいっぱいあると思ってますから、その人は人と接してもどうしてもその足りない何かを「欲しい」と思っているのだと思います。愛が欲しい、かまって欲しい、甘えさせて欲しい、、、等々、「欲しい」がいっぱいになります。ですから「欲しい」がどうしても優先されがちですから、相手を思い遣る前に自分を思い遣ってしまうのだと思います。 >確かに「力になりたい」という気持ちはある。でも正直なところ、邪念みたいな >ものが全く無いわけじゃない。感謝されたら嬉しいし、そうでなくて単なる >「おせっかい」みたいになったら嫌だなぁ、なんて躊躇するあたりが卑しいと >思う。 いえいえ、そういうものです。( ^ー^)b sleephoneyさんも書いていますが、最初は何事も意識してやります。その中には「良く見られたい」という気持ちもあるでしょうし、「力になりたい」と思う気持ちもあるハズです。それこそ「力になりたい」と思うこと自体を意識している状態はあります。何度も何度もそういう事をやっていくうちに自然と自分のキャパも広がり、いつのまにかクセが付いて自然と相手の事を思い遣るようになってる筈です。 相手の事を思い遣るということは、その行為においては「自分よりも」という前書きがつくのだと思ってます。ですから相手の事を思い遣りながらも「どう思われるだろう?」等と考えてると言うことは、まだ自分の方を思い遣っているのですからね。相手のことを本当に思い遣る時は意識は全く自分には向けられていない状態になりますから。 おせっかい・・いいじゃないですか。ただ、そのお節介が相手の為だけで出てるものならばです。それであれば例えお節介に過ぎたとしたら、逆にお節介で終わる程度で済んだということですから、こっちからしてみれば「良かったぁ~」と思いますよね?、だから本当のお節介なら恥ずかしがることもありません( ^ー^)b そして相手を思い遣る基本となる考え方のラインがあれば、相手の反応に左右されることもなくなると思いますよ。私の場合は常に「相手がいかに自分で決めて、それを認識して、先へ進めるか・・・」つまり精神的な自立が出来る方向でのお節介しかしませんから、逆にお節介だと思われたこともないかも知れません。100%相手の事を思い遣ってればキツイ事も言いますし、かと言って100%で臨んでる自分の想いが伝わらない訳がありませんから。例え伝わるのが10年後であろうともね。 キリがないのでとりあえずこのへんで(^_^;) 質問があれば補足などで質問してください。

noname#3557
質問者

お礼

tomojiさん本人から回答いただけるなんて、光栄です。ありがとうございます。 考えさせられました。 >自分を愛せない人はまだ自分には足りないモノがいっぱいあると思ってますから、>その人は人と接してもどうしてもその足りない何かを「欲しい」と思っているのだと思います。 >愛が欲しい、かまって欲しい、甘えさせて欲しい、、、等々、「欲しい」がいっぱいになります。 これに関しては、私はかなり自称『いっぱい足りない人間』かも知れません。自分が持っていなくて人が持っているものがすぐに見えるからです。別の良い言い方をすれば、人のよいところがバンバン目に飛び込んできます。それを「自分との共通点だからキャッチできるんだ」と解説してくれた人もいます。自分ではどっちかよくわからない。ただ人のいいところを見つけては、私にはないなぁ・・ということが日常茶飯事です。それで自分は・・と落ち込んだりしてしまう。これをプラスに変えたらいいんですけどね。 丸い球とこんぺいとうのお話は、目からウロコでした。無条件に自分を受け入れるところからがスタートで、あとは足していく。この方法だと本当に一まわりも二まわりも大きくなれますね。 相手のことを思い遣る・・これはきっと好きな人に関しては、かなり考えすぎていることで悪循環になっていると思います。相手を元気付けたい・・でも私の一言が相手の気をそいだらいけないな・・・と。単純に人と人とのかかわりの中では、励ましの言葉は嬉しいものですけど、こと恋愛感情が絡んでくると、自分の気持ちより相手の気持ちが大きくなってくると引いたりしちゃうでしょう?だから。 決していつもいつも自分の立場を案じて・・というものではないのですが、相手の重荷になりたくないって考えちゃうんですね。意思の疎通ができる相手だったらいいのですが、立場的にまだそんなのではないから、相手が嬉しがってるのか迷惑がってるのかぜんぜんわからない。相手の反応を見て判断するしかないので、不安な気持ちでしか相手に気遣いできない、というのが大きいと思います。 私が年上ということもあって、「キツイ事も言う」ということが、なんだか余計エラそうになりそうで・・。 例えば今日のことはお節介に終わったかも知れない。でもお節介で終わってよかった――本当にそうですね。これは相手本位の考え方ですものね。 少しずつそんな考え方に切り替えていこうと思います。 そして相手を思い遣る基本となる考え方のラインができてくれば・・・。 努力してみます。 興味深いお話をtomojiさんに直接お聞かせいただいて、いい思い出になりました。 ありがとうございました。

  • zep1100
  • ベストアンサー率41% (127/309)
回答No.3

>「自分を愛する」ってどういうことですか? 昔、ねるとんって番組でよくタカさんが言っていましたよね。 「貴方と付き合うと特典は?!」って。 損得勘定ではないですが、この人と付き合うとこんな素敵なことがあるだろうなーとか 楽しいだろうなーとか、付き合う前はそんなことを必ず抱くはずです。 ところで、akkochantさんは自分の事が好きになれそうですか? 自分のどこが人に誇れますか? 人って世の中に大勢居ますけど、ある人を愛するってことは やはりその人の持つ個性に惚れるんだと思います。 個性を大切にする人は、他人に流されず、自分を持っているってことではないでしょうか。 勿論例外もありますけどね。 私の考えでは、 「自分が好きでもない人をどうして他人が好きになってくれることがあるのか?」 と思っています。 そう言った意味で、自分を好きになることが大切なのだと思います。 >「自分を愛する」ために、どうすればいいのでしょう? 伸び伸びと、そして生き生きと生活する事です。 自分が個性を出すために。自分が輝くために。 誰しも一つや二つ必ず欠点ってあると思います。 短所を気にし、改善しようとする心はとても大切です。 しかし、それよりも長所を伸ばすことが良いと思います。 (学校教育にも取り入れられている考えだと思います) 人は、叱られることよりも、褒められることによってより成長するんですから。 人の顔色ばっかり伺って、「どうしたら良いんだろう?」と身をすくませるのではなく、 自分らしく!について考え、「どうありたいか?」を考えると良いと思います。 誰だって自分に自信がありません。 しかし、一つでも良いので、これなら負けない、これは自分でも素敵な所だと思う そんなところを見つけることが出来れば少しでも自分に自信を持つことが出来ると思います。 何でも良いので自分に自信が持てる事を見つけるのがよいのではないでしょうか。 人には理想があります。 しかし、自分がその理想にあわせていても疲れるし長続きしません。 akkochantさんの良さを全面に出し、そこを良いと言ってくれる人が現れる事こそが akkochantさんにとっての理想の行き方ですよね? 漠然としたコメントでしたら御免なさい。 それでは。

noname#3557
質問者

お礼

zep1100さん、アドバイスをありがとうございます。 >ある人を愛するってことはやはりその人の持つ個性に惚れるんだと思います。 ああー、私の個性に惚れて!・・・と言いたい気分なのですが、なんせ思いきり空回りしちゃってまして。それがそもそも今回の凹みの原因なのですが。 なんだか演出しちゃってるんですよね、自分を、好きな人の前で! 好きだからそうなるのは仕方ないのかも知れないですけど。 まるで中学生ですよ(-_-#。。なにやってんだか。 自分がどうありたいか、と考えるのはいいと思いますね。 ただ私の場合、「上手くいく光景をイメージしすぎると(捕らぬ狸の皮算用じゃないですが)、なぜか上手くいかなくなる」というジンクスのようなものがあり(多分厳密に言えばそうしちゃってるのも自分なのかなぁ?)、それで『成功のイメージ』を描くということに不安を感じたりします。 昨日も一日好きな人のことでウキウキしてたんです。久しぶりに本当に楽しく話せて嬉しくて。片思いなんだけど一年あまりの間にタイミングのズレがいろいろあって、何度か忘れようとしたんだけどやっぱ忘れてない、心の中のハートがどんどん膨らんで育ってしまっているのを感じて。付き合っているわけでもないから、ある意味「妄想」でしかないんですけど・・(б´ο`) もっと相手に自分を知って欲しいという気持ちばっかりが先に立って、焦ってしまったのでしょう。それで私は思い切りテンション高く、相手は全然そんなことなくて・・・そのギャップが「自分を愛するって?」という疑問に行き着いたのかも知れないです。自分の素敵なとこは、その人のことをいっぱい心配してあげる(この言い方はおこがましいですが)ところ、と思っていたから。空回りで・・・。 その人がこの書き込みをもし見るようなことがあったら(とりあえず仮定)、「わ、〇〇さん、こんなにテンション高くなっちゃってたのー??」っておののくかもしれない~(笑)!! 私の方が年上ってこともあって、何かしてあげないとって気負いすぎかなぁ。それで空回り・・・。 >伸び伸びと、そして生き生きと生活する事です。 私はこの世に一人だし、他の誰でもなく私なのだから、出来るだけそう心がけてみます。 考えを聞かせてくださってありがとう。 参考になりました。

  • iy0416
  • ベストアンサー率28% (22/76)
回答No.2

「自分を愛す」・・・いい言葉ですね。私も貴方に共感します。実は私も困っている人をみつけると、ついつい助けてしまいます。その結果、相手にとって”おせっかい”と思われると結構傷ついたり、自己嫌悪に陥ったりします。確かに手助けって難しいですよね。ツボにはまれば感謝され、度が過ぎれば”おせっかい”になり・・・。でも私は相手にどう思われようと構わないと思っています。私は”困っている人がいれば何とかしてあげよう”というポリシーがあるからです。それは困っている人の為ではなく、自分自身のためにやっているのです。 akkochantさんは「なぜなら人に思いやりをかけるということを意識しながらしているから。それって「よく思われたい」という気持ちからでしょう?確かに「力になりたい」という気持ちはある。でも正直なところ、邪念みたいなものが全く無いわけじゃない。感謝されたら嬉しいし、そうでなくて単なる「おせっかい」みたいになったら嫌だなぁ、なんて躊躇するあたりが卑しいと思う。」とおっしゃっておりますが、いいんじゃないですか?私達は神様じゃないんです。誰でも少なからず何らかを期待して手を貸すのではないでしょうか?私の場合は「有難う」という言葉です。これが私にとっての成功報酬です。「有難う」の言葉がなければ、その人には「自分の親切は必要無かったんだ」で終わりにします。逆に「有難う」の言葉があれば、ますます自分の考え方に自信が持て、また他人への親切心がもっと芽生えます。ただの自己満足ですが、私はそんな自分が好きです。全く何も期待しないで他人に対して何かをしてあげられるという人はそうそう居ないと思いますよ。それはお金かも知れないし、感謝の言葉かも知れない、はたまた喜んでくれる顔かも知れません。皆、何らかのものを期待しているのではないでしょうか?”そんな自分が好き!”それで良いと思いますよ。私はそれが「自分を愛す」という事だと思うのですが・・・。如何でしょう??

noname#3557
質問者

お礼

iy0416さん、回答をくださってありがとうございます。 私の感じていたことに共感してくれる人がいるんだなぁと思うだけで、こんなに救われる気がするものなんですね。 かっこつけるみたいでナンなのですが、私はやっぱり「喜んでくれる顔」が一番嬉しいかな。お金がはじめから絡まない環境で・・の話ですが。 やっぱり人とのかかわりはとっても嬉しいですよね。相手が喜んでくれると自分も嬉しいという気持ちから助け合えたときって、人間っていいなぁと、対人恐怖気味の私でも思いますから。 そういう私でも、人に手伝ってもらうことを少し鬱陶しいな、なんて思うことがあるところを思うと、それはもう『相手の気持ち、立場、状況次第』なのかも知れないですね。ある人が「他人からいい人と思われるのは、単にその人の機嫌次第」というようなことをどこかで言っているのを聞いた覚えがあるのですが、それに近いものがあるのかも知れませんね。同じことを手伝っても、有難いと感じてもらえることもあればそうでないこともある――。自分の問題ではない部分があると考えれば、自分は淡々と信じたことをすればいい、ということになるのかも知れないですね。 お言葉をいただいて、癒されました。 ありがとうございました。

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