• ベストアンサー

The sun?

yowの回答

  • yow
  • ベストアンサー率23% (181/782)
回答No.1

たしかじゃありませんが。 Sunというのは、惑星がまわる中心にあるものの名称だったと思いました。他の銀河系とかにもSunはあるのだとおもいます。 木星には5つだか6つだか『月』があるということですね。惑星のまわりをまわるのものが『月』で、the moon という場合は、地球のまわりをまわっているお月様をさすということでしょう。

jaccs
質問者

お礼

sunとmoonにはそのような意味だったとは全く知りませんでした。あまりに基本的な語なので辞書さえ調べておらず反省しております。アドバイスありがとうございます!

関連するQ&A

  • 固有名詞について…

    教えてください。 固有名詞は人名地名等のように唯一のものを表し、文中の何処であっても大文字で始める…と習った記憶があります。ほとんどはこれで納得できるのですが、sunとmoonは大文字で始めません。唯一のものなのにどうしてでしょうか。大抵theがついていますが、これもお互いにわかっているからつけるのだと思いますが納得できません。どうぞお願いします。

  • the Earthとかのthe

    Earthには、theが付くのが普通です。 moonもです。 これらは、唯一一つしかないからだとあります。 ではなぜ、Marsには、theがつかないのでしょうか? それと、太陽系にある惑星のうち、他にtheが付かないものはありますか? それとも、the sun /the earth /the monn だけがtheが付きますか? a full moon がらみの解説はいりません。(笑)

  • なぜ定冠詞がつくのか?

    非常に稚拙な質問すみません^^; the earth ,the moonと、これらは固有名詞なのにTHEがつきますね。 その理由をお教え戴きたく思います。 人名にTHEをつけると、ある意味「商品」としてとらえられますが、星は違うわけで・・・?? アホですみません! ヨロシクお願いします。

  • Earth/The Earth/earth/the earthのニュアンスの違い

    SF小説などを読んでいると、『Earth』と『the Earth』を適宜使い分けているように感じます。 辞書を見ると、”地球は『Earth』、ときとして『the Earth』ともいう”というような説明で まったく釈然としません。 小説から、断片的に例文を挙げると、例えば、次のような文章があります。 (A)The comet will bring us back to Earth. (その彗星は、われわれを地球に連れ戻してくれるでしょう) (B)The comet appeared in the sky above the Earth every two million years. (その彗星は、地球の上に200万年ごとに出現しました) 他の箇所もみると、『Earth』といった場合には、おおよそ  ・われわれの故郷  ・われわれが暮らしている場所  ・母なる地球 などという、温かみのある訳がしっくり来るような感じです。 いっぽう、『the Earth』といった場合には、おおよそ  ・天体としての地球  ・太陽系の惑星のひとつとしての地球  ・物体としての地球 などという、無機質かつ科学的な訳がしっくり来るような感じです。 この感じ方は適切でしょうか?  無冠詞か定冠詞かで、なぜこのような肌触りのちがいが生じるのか おもいつきません。 ご教示をお願いします。 ちなみに、小説のなかでは、小文字の『earth』、『the earth』は、でてきません。 小文字になると、大文字の場合と、またニュアンスが大きく違ってくるのでしょうか? 以上、ご教示をお願いします。

  • 惑星名と月曜、火曜、水曜、木曜など・・疑問。

    惑星の名前と、一週間の曜日の名称の関係を教えてください。曜日には太陽の日曜日の他、惑星の名前がついていますが、天王星や海王星は入らずどうして衛星の月が入ったのでしょうか?また英語表記で、sunday 、monday、saturdayはsun 、moon 、saturnとわかるのですが、他は似ていないのはどうしてでしょうか?スッキリしません。

  • ホロスコープで下半分に惑星が集中しています。

    自分のホロスコープを見てみると、下半分に惑星が集中しています。 唯一、1つだけ上にある惑星のあるハウスはインターセプト(?) で、その星の影響は表に出にくいというのを本で読みました。 上半分は社会的な部分で、下半分は表に見えないという特徴があるというのも本で読みました。 ということは、下にばかり惑星が集中しているホロスコープの持主は 社会性がなくて、仕事も見つけられないということでしょうか? 実際、今は求職中で働くところが見つかる自信が、あまりありません。 下半分に惑星が集中している人は、前世で何か悪いことをした人とかなんでしょうか? そういう場合、どうすれば人生が良くなるんでしょうか もし何か知っていることがあったら、おしえてください。 よろしくお願いします。

  • 漢字変換ができなくなりました。

    現在自宅のPCで漢字変換ができなくなりました。 イロイロ他のところでも検索してみましたが、辞書ツールから修復を押したら直るとのことも書いているのですが、 私のばあい、その辞書をクリックすると強制終了してしますのです。再起動しても、システム修復してみても直らないのですが。直る見込みはありますでしょうか? 状態としては文字を入力して、人名や地名なら変換ができます。もとの一般に戻して変換してみるとやはり漢字変換はできませんが、先ほど入力してみた人名や地名は漢字変換可能でした。 ウィスルバスターでも検索されなかったのですが、 お手上げです。 どなたかご指導お願いしたいです。(T-T)

  • イタリア語でNottoって??

    http://72.14.235.104/search?q=cache:mmtk_SiZ7YgJ:www.bbc.co.uk/pressoffice/proginfo/tv/wk27/sun.shtml+%22notto+delivers%22&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=1 イタリアの地理・文化に関する文章なのですが(文章は英語です)、上記のサイトの「Notto」が何を意味するのか分かりません。大文字ですので固有名詞だと思いますが、シチリアあるいはエトナ山周辺の地名なのか、あるいは人名なのでしょうか? イタリア語に詳しい方、あるいはイタリアの地理・文化・歴史に詳しい方がいらっしゃいましたら意味を教えていただけないでしょうか?

  • バイティング・ザ・サン について

    タニス・リー著「バイティング・ザ・サン」を読んだ人に聞きたいんだすが、ハッタとハーゲルは同一人物なんでしょうか?教えてください。

  • <固有名詞にはなぜ冠詞がつかないのか>

    固有名詞にはなぜ冠詞がつかないのかと生徒に質問されることがあります。(話を簡単にするために、デフォルト用法(固有名詞用法)でかつ人名の場合に限定して話を進めます)  不定冠詞の使用に関しては簡単に答えられます。固有名詞は一つしかないものなので数えることに意味がない。だから、数えられるものであることを示す不定冠詞はつかないと言えば十分です。  ところが、定冠詞の場合はそう簡単ではありません。ここで、例えばJohn Smithという固有名詞について考えてみます。John Smithは叙述の際には内包として働きますが、I saw John Smith a minute ago. においては、外延すなわち実物を表します。実物が一つしかないのであれば定冠詞がついてもよさそうですが、実際はtheはつきません。 では、なぜデフォルト用法の固有名詞にtheがつかないのかについてご意見を頂きたいのですが、この質問は現場での実際の指導と関わるものなので、難しすぎる議論は避けたいと思います。 まず、私のやり方を示しますから、それでよいかどうか、またもっと有益かつ簡便な方法があればそれをご教示頂けるとありがたいです。 以前私が採用していたのは、定冠詞が使用されるパターンをすべて示して、固有名詞の場合どのパターンにも当てはまらないことを示すというやり方でした。この消去法的なやり方だとたしかに、固有名詞にtheはつかないと示すことができますが、なぜそうなのかは示されていません。背理法が正しい指導方法として認められるのは数学(高校では論理学は習得対象ではありません)くらいなものです。 ではどうすればいいのかということですが、おそらく、定冠詞の使用パターンをうんぬんする以前の段階を考察すること、すなわち、定冠詞使用の際の根本原則と固有名詞の有り様との関係に焦点を当てることが必要なのではないかと思います。 この問題はおそらく次の問題とも関係があると思います。 A: "I saw John Smith at the station before noon." B: "Really, I saw him / John Smith at the crossroad a few minutes ago." AにおいてJohn Smithが初出のものだったとしても、一つしかないものであるにもかかわらずtheはつきません。なぜなのでしょうか。 おそらく、John Smithは言語共同体の中で、この場合は特にAとBの対話空間において、一人しか存在しないものだと互いに了解ずみなのだと思います。John Smithという名を聞いたBにはその名の人物を思い浮かべることが可能なので、そのため、Aの側があえて定冠詞をつける必要がないということだろうと思います。 また、Bにおいて、John SmithはAにおけるJohn Smithと同一人物なのにhimは使えても、the John Smithとは言いません。なぜなのでしょうか。 一般に、固有名詞を作る時(誰かに名づけを行う時)、名づけ人を含む言語共同体によってその名とその名を授かる人との結びつきを承認します。その時点で、固有名詞は言語共同体内ですでに了解ずみのものとして扱われます。その後、固有名詞が大文字で表記されるようになり、どの共同体においても固有名が実際の使用前にすでに了解ずみのものと見なされることになったものと推測されます。 一方、定冠詞は、(私の見解では)対話空間内で未知のものを既知のものとして、および、言語共同体の言語知識集合内で未了解のものを了解ずみのものとして扱うためのに存在するものだと思います。実際の使用前にすでに了解ずみのものである固有名詞に定冠詞がつくことはないと考えられます。よって、the John Smithとは言えないということになります。 この考えでよいでしょうか。 もう一つの考え方を提示します。 C: A John Smith came to see you. ---普通名詞用法 D: John Smith came to see you. Cにおけるa John Smith は限定詞(ここでは不定冠詞)がついているので客体的なもの(時間と空間を持ち、言語使用者からは隔たりを持つものです)としてとらえられています。DのJohn Smith には冠詞がついていないので、客体的なものではありません。 ということは、John Smith が言語使用者からは隔たりを持たないものであることを示せばよいはずです。  そもそも固有名は誰かによって名づけられるものです。名づけは対象物に対して特別の関心を抱くことによります。名づけは関心ある対象物を記憶にとどめるためでもあります。関心を深く持つとき、対象物に期待や希望を込めることもあります。  (このことは特に人名について言えることですが、地名はどうなのでしょうか。地名はその土地の地形や性質や歴史を解釈し、それを抽象化したものだと思いますが、ただの山やただの木に対して名前をつけることはありません。名をつけることでそのものに対する関わりの深さを表すのではないかと思います。五郎谷、イノシシ山、二本松峠とか---)    あるものに名づけをなそうと思うくらいに関心を持つ時、そのものに対して客体的な(傍観者的な)あり方を取ることはありえません。よって、名づけられた固有名には、それがデフォルトの用法である限り、限定詞(冠詞)はつかないということになります。この考えでいいのでしょうか。 ついでにこの問題と関連して、取り上げておきたいことがあります。 E: "Father has just come home, Mother." において、Motherは呼びかけ語なので話者におって特別の関心を持たれています。よって、無冠詞です。同様に、Waiter. Bring me wine please. おいても無冠詞のwaiterが使われています。 呼びかけの際には、呼びかけ者は相手に特別の関心を払うので、呼びかけ語は固有名詞と同じ働きのものだと思います。 EのFatherもおそらく元は呼びかけ語として使われたものが、こうした形で転用されるに至ったものだと思われますが、この場合もFatherは話者にとって特別な存在です。固有名詞と同じ働きのものだと思います。 F: Santa Caus is coming to town. G: Santa Caus is in flight on his sleigh. Fにおいてtownは話者にとってなじみ深いあるいは親密な場だと思います。Gにおいて flightは主語が現在携わっている行為のまっさいちゅうであることを表しています。これらは固有名詞ではありませんが。固有名詞にtheがつかないのと同じ理由(これらの名詞が客体的な対象物ではない)で定冠詞がついていないと思われます。いかかがでしょうか。