• ベストアンサー

丁重語、丁寧語

待遇表現の問題ですけど、 a.だいぶ涼しくなってまいりました b. 町の様子は昔とずいぶんかわっておりました これらの文の主語は天候とか人間以外の事柄であるが、話し手がていねいさをしめそうとする対象が聞き手である。この点(1)と同じ系列のものということができる。ただ、丁寧さや敬意の向けられる対象によるものではない。なぜ、このように言うのかという話し手の意識を観察すると(2)に近いものであるとも考えられる。 2番は美化語ですが、1番の答えがよくわかりません。 ある先生はこの問題の答えが丁寧語とほかの先生は丁重語といいましたけど、どっちでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • OKAT
  • ベストアンサー率38% (247/639)
回答No.1

 「日本文法大辞典」(東京堂)の受け売りです。  ***************************** ……現代語では、1.「ご飯」「たべる」2.「まいる」「いたす」の類や、3.「ます」「です」の類、(古語の説明を省くー回答者)は一括して、物言いを丁寧にすることばという意味で「丁寧語」と呼ぶが、1.2.は事柄についての敬語であり、3.は表現受容者(=聞き手-回答者 注)への直接的敬意表現の語である。  そこで、1.を「美化語」、2.を「丁重語」、3.のみを「丁寧語」とする説(宮地裕氏の説)など諸説ある。 *****************************  現在、文化審議会が検討中のものは、従来の「丁寧語」を、「丁寧語」と「美化語」との二つに分けようとすろ考え方のようです。  

関連するQ&A

  • 敬語について

    敬語について こんにちは。いま謙譲語について勉強しています。謙譲語には聞き手へ敬意を表すものと話題に出る人物へ敬意を表すものの二種類がありますね。「言う」の謙譲語として「申す」と「申し上げる」、「知る」の謙譲語として「存じる」「存じ上げる」があります。前者はそれぞれ聞き手へ敬意、後者は話題人物へ敬意を表すと理解すればいいですね。でも、具体的になると、まだ分からないことがいっぱいあります。 (1)中島先生のことは、よく存じ上げております。 (中島先生へ敬意を表しているわけですが、もし先生へ敬意を表す必要がなく、もっぱら聞き手を敬う場合「中島先生のことは、よく存じております」とも言えますか。) (2)仕事のほうはこれからますます面白くなっていくものと存じます。 (上の文とは違って、ここの「存じる」は「思う」の謙譲語ですね。「思う」の謙譲語としての「存じる」「存じ上げる」はただ丁寧度の違いがあるでしょう。この文をもっと丁寧に言うならば「~と存じ上げます」とも言い換えられるでしょうか。) 私はちょっと郵便局へ行ってくるから、先生がお見えになったら、そう申し上げてくれないか。 (この文における「申し上げる」は先生へ敬意を表していますね。「申し上げる」の尊敬対象は話題に出る「ニ格」人物ですね。もし「ニ格」人物が文に出ない場合、聞き手へ敬意を表すと理解していいでしょうか。) 例えば、「私は山田太郎と申します。」はもっと丁寧に言えば「私は山田太郎と申し上げます。」になるでしょうか。 ややこしい質問ですが、どうかよろしくお願いいたします。

  • 会話時の英語においての主語の省略

    おはようございます。 英語における主語の省略についての質問です。 日本語では「私はそこにいった」という意味の事柄を述べるとき 話の前後関係で 私はの部分を省略することができますが 英語では無理なのでしょうか? 例えば went there.といえば 命令文でもないし、 二人で話をしているとしたら聞き手が行ったということもないでしょうから、話し手がそこへいったということが明確だと思うのですが。 会話において、英語では主語は省略されないのですか? またはかなり弱く発声されるのでしょうか? お分かりになられる方、教えてください。 よろしくお願いします。

  • 「そこ」と「あそこ」の意味の違い

    いつも皆様にはお世話になっております。 以下の会話の問題の答えは「そこ」になっております。なぜ「あそこ」ではよくないのかはっきりしません。「そこ」は、ある事柄について、話し手と聞き手のうち、片方しか知らない場合に使われると思います。   他方「あそこ」の意味は、yahooの辞書によれば、「話し手と聞き手の双方が承知している場所や状況、人などをさす」。佐々木さんはもとより、田中さんも、山川というレストランは知っているので、答えは「あそこ」になると思うのですが。この点につきご教示くだされば幸いです。 正しい答えを選択しなさい。 田中:横浜にある「山川レストラン」、行ったことある? 佐々木:ええ。 田中:今度(あそこ そこ)へ行きたいんだけど、場所を教えてくれない?

  • 「そこ」と「あそこ」の意味の違い

    いつも皆様にはお世話になっております。 以下の会話の問題の答えは「そこ」になっております。なぜ「あそこ」ではよくないのかはっきりしません。「そこ」は、ある事柄について、話し手と聞き手のうち、片方しか知らない場合に使われると思います。   他方「あそこ」の意味は、yahooの辞書によれば、「話し手と聞き手の双方が承知している場所や状況、人などをさす」。佐々木さんはもとより、田中さんも、山川というレストランは知っているので、答えは「あそこ」になると思うのですが。この点につきご教示くだされば幸いです。 正しい答えを選択しなさい。 田中:横浜にある「山川レストラン」、行ったことある? 佐々木:ええ。 田中:今度(あそこ そこ)へ行きたいんだけど、場所を教えてくれない?

  • お友達 【美化語】

    自分の友達を相手に話すとき、「私のお友達」というのはおかしいのではないかと思い、ここのカテゴリーで検索していました。 すると、検索で次のような回答がありました。 >美化語は女性語という人もいます. もともと国語審議会で議論されてきた背景があるわけですが,丁寧語の下部概念に丁重語と美化語があるとされてきました.従来は三分類(尊敬語,謙譲語,丁寧語)が主として採用され,一部に五分類が採用されていました. >尊敬語の場合は明らかに相手との関係がもとになっています.具体的には,相手が話し手よりも上位の場合に使われる表現です. >しかし美化語は必ずしもそうではありません.例えば相手との上下関係とは離れて,言葉使いとして,より上品とか美しいと感じられる表現です.この場合も,相手を尊敬する気持ちから,上品な表現を使うという解釈では尊敬語と見なすこともできるわけです.しかし,美化語としては,相手と対等な立場でも相手が下位の場合でも使えるので,切り離す方がよいという考え方でしょう. >例えば,「先生からのお手紙」ならお手紙は「尊敬語」ですが,「お友達にお手紙を書きましょう」のお友達やお手紙は美化語とされています. >お酒やお料理以外にも,お弁当,お茶,お箸,お菓子,お食事,お飲み物,などありますが,めし(飯)をご飯,腹をおなかと言ったり,便所をお手洗いというのも該当します. >また,おビールが美化語かということにはなお議論があります. ということは 自分の友達のことであっても、相手側に「私のお友達」と言っても 美化語であるからこれは正しい日本語、になるのでしょうか? ずっと気になっています。 よろしくお願いします。

  • 3人以上の関係に触れる日本語は言えなくなりました

    日本語を勉強中の中国人です。ビジネス日本語でいまとても困ることがあります。3人以上の関係になる会話文の場合、聞き手、受け手、話し手の関係を考えなければならないので、この日本語自体発することができなくなりました(≧∇≦)。 ビジネス日本語を話す時に、自分の伝えたい意味の外にさらに敬語という服を着させるような気がします。上司向けかお客様向けの場合はまだ楽ですが、3人以上の関係になると、ある人には敬意を使ってはいけない、もう一方の相手には敬意を使わなければならないことしょっちゅう考えています。そうしたら、その文の言葉自体が詰まってしまいました。自分の最初に伝えたい意味さえも忘れてしまい、言えなくなりました。どうしたらいいのでしょうか。敬語の服を脱ぎたいのですが、失礼な人間にはなりたくありません。どんな勉強をしたほうがよろしいでしょうか。 また、質問文に不自然な日本語がありましたらそれも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • This is the house where I was born. について、次の日本語訳のどちらでもいいのでしょうか。

    This is the house where Mr. Ando was born. について、次の日本語訳のどちらでもいいのでしょうか。(1) ここが安藤さんが生まれた家だ。(2) ここは安藤さんが生まれた家だ。 この質問の背景も説明しておきます。例えば、次のような二つの英文を比べてみます。 (1) This is the house Mr. Ando built. (2) This is a house Mr. Ando built. (1)では、話し手と聞き手の間ですでにMr. Andoのことが話題に出ているものと考えられます。そして、話し手が聞き手に、ある家を指して「ここが安藤さんが建てた家ですよ」と言ったと考えられます。(2)では、話し手と聞き手の間でMr. Andoのことはまだ話題に出ていないと考えられます。単にある家を指して、この家はこれこれしかじかの素性を持った家ですよと説明したにすぎないと思います。問題なのは(2)のタイプの文です。「これこれしかじかの素性」がこの世で常識的に一つに決まるようなことだったらどうなるのでしょうか。  例えば、話し手と聞き手が二人で歩いていて、話し手がふと見つけた家を聞き手に紹介しようとして、この家は、(あなたは知らないと思うけど)実は、安藤さんの生まれた家ですよ。と言ったとします。この場合、This is the house where Mr. Ando was born. となります。--日本語訳は「これは[ここは]安藤さんの生まれた家ですよ」という日本語訳になります。でもこの文は、話し手と聞き手の間ですでにMr. Andoのことが話題に出ている場合の英文--「これ[ここ]が安藤さんの生まれた家ですよ」と同じになります。これが質問の趣旨です。

  • 日本語の質問_「わかる」

    北京のイケマンです、日本語勉強中でよろしく頼みます。 例: 栄養不足が体力や活動意欲の低下につながることはわかっていますので、指導の中心は やはり食生活の改善です。 質問; 「。。。ことがわかる」、わかるの対象はだれ?一般の人ですか、それとも話し手?聞き手? 科学研究の結果を一般市民に表すとき、そのように言いますか。

  • 会話中の謙譲語の敬意の対象

    問題集で、会話文中の謙譲語の敬意の対象は誰かという問題への解説で、会話の相手(話を聴いている相手)が、敬意の対象とありました。私の理解では、謙譲語の敬意の相手は、会話分の中での、その動作の対象ということです。たとえば少納言が中納言と会話しています。少納言が話の中で「その女たちが感じよくお見受けしました」と中納言に話した。そういう文章で「お見受けし」というのは、少納言の会話文中の「女たち」が謙譲語の対象だと思うのです。話し相手の中納言ではないと思いますがいかがでしょうか。ただ「お見受けしました」の ました という丁寧語の部分ということなら、話相手に対する一般的な敬意だと思います。この点いかがでしょう。

  • 「魚が売っている」は正しい日本語だと思います。

    これは、http://okwave.jp/qa/q6884530.html を受けた質問、と言うより、意見です。 議論に参加できなかったので、新しく質問形式としてthreadを立てました。 「魚が売る」は変です。しかし、「魚が売っている」は正しい。これが私の意見です。 「売っている」を普通に他動詞と見て、「魚」をその目的語と見るから、変だ、と言う発想になるのですが、これはあまりにも英語的な見方だと思います。 文型的には主語のように見えて、実際には主語になっていない「が」というものが存在します。例えば、述語として、形容詞、或いは、形容詞相当語句が来る場合、「が」が主語にならない場合があります。 ・水が飲みたい ・平家の由来が聞きたいほどに(ロドリゲス大文典) また、述語が、話し手が直接関与しない事態を説明するとき、その事態の元になったものを示すときにも、主語にならない「が」を使うことができます。 「可能」はその一つです。 ・ここで水が飲める(「水」は、飲めるの目的語ですが、「が」が使えます。) 「可能」以外でも、話し手が直接関与しない事態が述語になれば、「が」を使うことができます。 ・急に予定が変更した(「広辞苑」の例文) ・油が切らしてある。(「広辞苑」の例文。) 特にこの2番目の、「油が切らしてある」は、「魚が売っている」と全く同じ構造を持っています。英語風に見れば、「切らす」は、「油」の目的語じゃないか?となってしまいますが、これは正しい日本語なのです。 「売っている」も、単に「売る」の進行形ではなく、この場合、話し手が直接関与しない事態・状態を示す動詞だと考えられます。故に、 ・魚が売っている は、間違った日本語ではない、以上が私の意見です。 (参考:広辞苑・岩波古語辞典)