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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:話し手以外が主語の文でも「~したのに」は可能?)

話し手以外が主語の文でも「~したのに」は可能?

このQ&Aのポイント
  • 話し手以外が主語の文で「~したのに」という表現は自然ではないと言われています。理由としては、「~したのに」という表現には話し手の気持ちや意図が含まれており、話し手以外の人物には使われにくいとされています。
  • 例文として、「私はお金があればそのゲームを買っていたのに」という文は自然だと言われていますが、「その家族は時間があれば東京タワーに行っていたのに」という文は自然ではないと感じられます。
  • ただし、日本人によっては「~したのに」という表現を話し手以外の文でも自然だと感じる場合もあります。個々の感覚や表現の好みには差があるため、正確な答えを求める場合は言語学の専門家に相談することをおすすめします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

(1)私はお金があればそのゲームを買っていたのに。 (2)その家族は時間があれば東京タワーに行っていたのに。 両者とも、不自然ではありません。 (1)については了解の様子なので、こちらの説明は省きますが、(2)の「~のに」にも、まず、「残念である」という感覚を内包していますね。そして、これは、推量ではありません。「行っていた」とは、事実、過去には「行っていた」のですね。そういう事実を目撃したりして確認しているわけですね。ですから、いつもと違うパターンになっていることに対して、「どうしたんだろう?」と思っているという話になります。 「行っていただろうに」ということになりますと、「東京タワー」に行くというのが、過去に、実際に確認されていないこと、噂話程度の情報であったことになります。そういう未確認情報という前提ならば、推量の形にする必要がありますが、この文面だけでは、未確認情報であるということにはなりませんので、不自然ではないと言えましょうね。

taro2050
質問者

お礼

分かりやすいご回答ありがとうございます。 >「行っていた」とは、事実、過去には「行っていた」のですね。そういう事実を目撃したりして確認しているわけですね。ですから、いつもと違うパターンになっていることに対して、「どうしたんだろう?」と思っているという話になります。 確かに「時間があれば(いつも)その家族は東京タワーに行っていたのに(今年に限って行けなかった)」という意味で解釈すると、(2)の文も自然に感じますね。他の二人もこの意味で解釈し、自然だと言ったのかもしれません。 私の場合、「(もしも)時間があれば、(その日)その家族は東京タワーに行っていたのに(実際は行きたくても行けなかった)」という捉え方したので、不自然に聞こえたのかもしれません。

その他の回答 (5)

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.6

 ♯4です、肝腎なことを書き落としていました。 結論から言えば、文例(2)も日本語としては自然な表現です。その理由は先述のとおりです。

taro2050
質問者

お礼

たびたびのご回答ありがとうございます。 やはり(2)は自然だという意見をお持ちの方のほうが多いようですね。

taro2050
質問者

補足

多くの方のご回答、ありがとうございました。 お一人おひとりのご回答をとても参考にさせていただきました。これからもぜひよろしくお願いいたします。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

>使うなら、「行っていただろう」や「行っていただろうに」というように推量の助動詞を挟む必要がある、というものです。 : たしかに一理あります。基本的にはおっしゃるとおりでしょう。 ただ、推測するまでもなく「間違いなく行っていただろうに」と他人が明確に断定できる状況は案外多いのではないでしょうか。 たとえば、チケットも購入済みで、タワーへ向かうために呼んだタクシーが家の前に横付けされていたが、時刻表を見間違えていて、急遽、帰国の途につかなければならなかったような場合です。 推量するまでもなく断定できるのが明白な状況であれば、その相手の心境と同じ立場で表現することが可能になるのだと思います。

taro2050
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >推量するまでもなく断定できるのが明白な状況であれば、その相手の心境と同じ立場で表現することが可能になるのだと思います。 このことは私も考えていました。このように実際の説明を見ると、その通りだという気持ちはさらに強くなりました。 やはり、推量の助動詞を必ずいれなければならないということではなかったようです。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.4

 こんにちは。質問文の(1)と(2)に共通して使われている「~したのに」の語法に関して、(1)は許容できるが(2)は許容できない。それは「~したのに」が「話し手以外が主語の時には使えない」だからである。  こうした理由が先ずは不明です。この文言は「~した」に接続助詞の「のに」がくっついた形です。ではこの「接続助詞『のに』」の性質から考えてみましょう。  日本語の「助詞」には格助詞・並立助詞・終助詞・間投助詞・副助詞・係助詞・接続助詞・準体助詞の8種類(分類の仕方によっては4種類)があります。このうち「のに」は接続助詞に分類されます。  では「接続助詞」にはどの様な性質や働きがあるのか、との問題になります。「接続助詞」は文法的に活用語に付き、前の文と後の文の関係を説明する時に使われます。類例としては「~ので」・「~ため」の原因や理由を示すものや「~けれども…」・「~ところが…」・「~のに…」と逆の内容を説明するもの、「~て」として動作の継続を示すものなどの種類があります。そしてこの「のに」は逆接の場合に使われます。  (2)の例文の骨格は「その家族は東京タワーに行った」です。ここに逆接の「のに」が入ると、その家族が東京タワーに行ったという文章の意味に対し、「実際には行かなかった。なぜならば、時間がなかったからだ」とのもう一つの事象が加わることになります。英語ならば“in spite of~”や“Though~”の文章と同じです。  事実に対する反対の内容ですから、それは「話し手の気持ちが含まれるので、話し手以外が主語の時には使えない」とのご理解は成り立たないこととなります。  そして例文の(2)は「~のに」で文章が終わり、結果は示されていません。先に示した「実際には行かなかった」との文意に理解することも可能ならば、「行ったかどうかはわからない」と理解することも可能です。ですから「推量の助動詞を挟む必要がある」という考え方も「一つの推測にすきない」ということになります。よろしいでしょうか?。

taro2050
質問者

お礼

詳細なご回答ありがとうございます。 >(2)の例文の骨格は「その家族は東京タワーに行った」です。ここに逆接の「のに」が入ると、その家族が東京タワーに行ったという文章の意味に対し、「実際には行かなかった。なぜならば、時間がなかったからだ」とのもう一つの事象が加わることになります。 確かにこのように(2)の文を捉えると、自然に感じるようになりますね。 私は「のに」を使うと、「話し手の気持ちが含まれる」ということに固執していために(2)の文を不自然に感じてしまったのかもしれません。

  • phobos
  • ベストアンサー率49% (515/1032)
回答No.2

私も質問者さんやANo.1のご回答に同じく、(2)は不自然に感じます。 > ただ、その場にいた別の知人二人(どちらも日本人)は(1)も(2)も自然に聞こえると言ってきました。 その場のお二人がどんな状況で回答したのか判りませんが、「聞こえる」と答えたと言うことは、質問者さんは言葉で(1)(2)をお二人に示されたわけでしょうか。 普通、耳から聞く言葉は、かなりいい加減であっても脳内で意味を補完してしまいますから、よほど注意深く聞き取らないと文法的間違いはスルーしがちです。 ましてや仮に他の作業に集中している時などにいきなり「ねえ、どう思う?」と聞かれたとすれば、大抵は生返事になるものです。 文字に書いた文章で見比べてもらうか、あるいは言葉でしゃべるなら、 (2)その家族は時間があれば東京タワーに行っていたのに。 (2)'その家族は時間があれば東京タワーに行っていただろうに。 の二つを聞き比べてもらってどちらが自然に聞こえるかを答えてもらえば、また違う結果になるかも知れませんが、いかがでしょう。

taro2050
質問者

お礼

ご回答と貴重なアドバイス、ありがとうございます。 私の説明が足りなかったのですが、その場にいた二人も実際には例文(私の挙げた例文は除く)を見ています。その上で、「(口に出して言ってみたら)自然に聞こえる」のような言い方でした。 ただ、phobosさんがおっしゃるように、私の挙げた例文を実際に書いて、見比べてもらっていたら、確かに違う反応をその二人もしていたかもしれません。 次、似たような機会があれば、ぜひこの方法を取りたいと思います。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3502/7245)
回答No.1

> (1)私はお金があればそのゲームを買っていたのに。 > (2)その家族は時間があれば東京タワーに行っていたのに。 (2) も自然な文だと感じた人は  1. 私は ・・・ そのゲームを買っていたのに、・・・  2. その家族は ・・・ 東京タワーに行っていたのに、・・・ という文の感覚で読んだのではないでしょうか。 つまり、「のに」 という助詞を 「・・・ であったけれども」 に置き換えられる文として見ると、その後ろに否定的な文が続くパターンに思われます。英語なら A, but B といった文に相当するかもしれません。 しかし実際には (1) の文における 「のに」 は 「不満・詰問・後悔などの気持ちを表す」 働きをしているものです (久松・佐藤 『角川国語辞典』 を参照しました)。 同じ定義を 2. にも当てはめることはできません。taro2050 さんの言われるとおりで、「話し手以外が主語の時には使えない」 という説明が適格だと思います。 (2) を自然な文ととらえた人は、おそらく 「のに」 という語を 「逆態の接続を表わす。にもかかわらず」 (この定義も上記の辞書からの引用) としてとらえたのかもしれません。これなら主語が話し手以外でも成り立ちます。ただし 「行っていたのに」 ではなく 「行ったのに」 となります。すると、その家族は 「東京タワーに行った」 ということになってしまい、矛盾が生じます。 そうすると (2) の文は 「不満・詰問・後悔などの気持ちを表す」 文を意図したものとしか考えられません。それなら taro2050 さんの主張の根拠である 「話し手以外が主語の時には使えない」 という原則から外れる文であるということから、不自然な文ということになります。 * 書きながら考えたので、理屈が通っているかどうか心配ですが、私としては taro2050 さんのお考えに賛成だということを言いたかったのです。

taro2050
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 なぜ他の二人が例文を自然に感じたのかという説明は非常に興味深く、参考になりました。 また私の意見に賛同してくださるとのことで、とても嬉しくも感じます。私のために貴重なお時間を割いていただき、本当に感謝しております。

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