• 締切済み

鎖国時代の生糸

ss79の回答

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.2

江戸時代中期にもなると和装にも絹織物が多くなり、例えば武士の正装の仙台平の袴など皺になりにくいものが使用されますし、富裕層では絹織物が多用されるようになり高級織物は絹というのが常識になり生糸の需要は急激に増加したのです。 当時は日本の養蚕業はまだ技術的に劣っていましたから、良質な生糸は中国からの輸入に頼る他なかったのです。 No1のご回答にあるように鎖国中の貿易は制限がありましたから入港する船舶の国籍を問わず生糸の積載を求めたのです。 価格はこの場合問題になりません。 もちろんこのような事情をふまえて国内諸国では養蚕業を奨励し、技術改良に努めましたから国産生糸の品質、数量共に向上し、明治以降日本の主要な輸出品は生糸という時代を迎えました。

kamemame99
質問者

お礼

当時綿作りもやっと起動に乗ってきたころかと思うのですが、 まだまだ絹は大量に必要だったのですね。

関連するQ&A

  • 鎖国していた江戸時代の国交とは。

    オランダ、中国(明・清)、朝鮮、琉球の4カ国で、日本と国交があったのはどの国ですか。 また、当時の「国交」とはどのような状態を指すのですか。 例えば、指定する港での貿易を認めるという程度の内容の親書を国王が交わすだけで「国交がある」ということになるのですか。 釜山には日本の(対馬藩の?)出先機関があったように思いますが…。 中学生レベルで理解できる回答をお願いします。 よろしくお願いします。

  • 南蛮貿易が中継貿易であった理由

    1543年にポルトガル人が日本に来航してから、 日本はポルトガルやスペインと南蛮貿易を行なっていました。 南蛮貿易は中国やインドとの中継貿易でもあり、 輸入品には中国産の生糸や絹織物もありました。 そこで質問なのですが、 なぜ南蛮貿易は中継貿易でもあったのでしょうか。 日本は中国と交流がなかったわけではありませんよね? どうして直接手に入れなかったのでしょうか。 また、ポルトガルやスペインでは 生糸などは生産していなかったのでしょうか。

  • 江戸時代後期から幕末。日中の生糸の品質。

    江戸時代後期における西陣、桐生、足利などの機業地の高級絹織物の生糸は、国産ですか。 国産であれば、開国当時(安政5年ごろ)、輸出の主力が生糸であった理由として、日本産の生糸の品質が中国産のものに比肩できたから、と考えてもよいでしょうか。 そもそも江戸後期(例えば天保以降)でも、中国産の生糸を日本は輸入していたのですか。 よろしくお願いします。

  • 江戸時代の鎖国について教えてください。

    江戸時代、日本は鎖国制度で貿易制限をしており、外国人の国内での活動も大きく制限されていました。 ところで、日本人はどうだったのでしょうか。出島などの外国船に乗り込んでオランダなどのヨーロッパに入国した者もいたと思います。もちろん帰国すれば死罪でしょうが、移住覚悟で出国はできたと思います。 また、ヨーロッパでも日本でも需要はあったと思います。ヨーロッパの機械や、医学について、国内での研究にあきたらず出国した者もいたと思います。また、ヨーロッパの技術も、日本の技術も、相互に大きなメリットがあり、金儲けに目敏い日本の武士や商人が何もしなかったとは思えません。幕府自体でも、表向きは禁制として取り締まりながら、秘密裏に使者を送って技術や情報を得ていたものと思います。 こういった記録は歴史上ないのでしょうか。 質問1. ヨーロッパ・米国・中国側での日本との貿易・移民に関する記録はありますか。日本の資料でも、ヨーロッパや米国側の資料でもかまいません。 質問2.日本国内では外国人の活動は制限されましたが、東南アジアの日本人町やヨーロッパ・中国・米国では、日本人は活動に制限はありましたか(私は、安土桃山時代の東南アジアの日本人町のようなものが、小規模ながらヨーロッパにあったのではないかと思います)。 以上です。

  • 鎖国下で、何故オランダだけが貿易したか?

    鎖国状態になった日本で、どうしてオランダだけが、南蛮貿易を継続し得たのかを調べています。 具体的に、同じような立場で貿易をしていたイギリスが、何故日本との貿易から姿を消したのか、その理由が、よく分からないのです。 日本の事情なのか、それともオランダやイギリスからの理由があったのか。どうなのでしょうか。 調べたいのですが、どのような文献に当たればよいか教えていただければ助かります。

  • オランダが鎖国中にも貿易ができた理由

    鎖国中には清とオランダが出島に限って貿易を許されましたが(他に朝鮮通信使や琉球慶賀使などはありましたが…)オランダ船来航が禁止されなかったのはキリスト教布教に熱心ではなかったということを聞いたことがありますがこの理解で正しいでしょうか?

  • 明治時代に日本で製糸業が栄えた理由

    日本国内で安く生産できるだけの技術があったというのは、一因と理解しています。開国した、富国強兵のための資金源など。 しかし、外国がそんなに必要としていた背景がわかりません。ヨーロッパで微粒子病により蚕が育たなかったことも原因とのこと。また、清はアヘン戦争で生糸を造れる状況になかったこと。 ではヨーロッパが生糸を必要とした理由として、上流階級が高級品として欲しがっていたからなのですか? また、アメリカも日本の生糸を大量に輸入していたとのことで、同じような理由なのでしょうか? 衣料品は生活必需品ではありますが、食料や薬のようなものと比べるとそこまでの価値はないし、時代背景がわからずにいます。宜しくお願いします。

  • 貿易品としての生糸について

    織田信長や豊臣秀吉が日本を治めていた時代の外国貿易は輸出品が銀で輸入品が生糸だとあります。しかし日米修好通商条約などを結んで鎖国が終わりイギリスなどと貿易するようになると輸入品が毛織物や綿織物や軍需品で輸出品が生糸となっています。 鎖国をしてる間に何があったんですか??輸入品だった生糸が輸出品になるなんて…………

  • 江戸時代の貿易について

    江戸時代に長崎の出島でオランダと貿易をしていましたが、オランダからの輸入品や日本の輸出品と言うのはお互い「これが欲しいから送ってくれ」みたいなリストがあったんでしょうか? それとも、これはオランダや江戸幕府が勝手に何を送るか決めていたのでしょうか? わかりにくい文で申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

  • 鎖国時代にもドイツ人やスウェーデン人が日本に来てた

    鎖国時代と言えば、日本はヨーロッパの中ではオランダとしか貿易してなかったですよね。 長崎の出島が有名です、蘭学とかも。 でも長崎出島を訪れた学者としてドイツ人学者のケンペルとか、スウェーデン人学者とかドイツ人学者のシーボルトなど、オランダ人以外も結構いるようです。 日本人がたくさんのことを学んだとか。 これはどういうことですかね? オランダ人以外の欧州人が出島にいても問題なかったんでしょうか、黙認されていたのかな? 鎖国や出島に興味ある人など、ミサ難からのいろんな回答を待っていますね。