明治時代に日本で製糸業が栄えた理由

このQ&Aのポイント
  • 明治時代における日本の製糸業の栄える理由には、技術的な要素と国際的な要素があります。
  • 日本国内で安く生産できる技術があったことが一因であり、開国による経済発展と国力強化のために資金源として重要視されました。
  • ヨーロッパでの微粒子病による蚕の被害や清のアヘン戦争による生糸の生産不足が、ヨーロッパやアメリカなど外国の需要を高めました。
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明治時代に日本で製糸業が栄えた理由

日本国内で安く生産できるだけの技術があったというのは、一因と理解しています。開国した、富国強兵のための資金源など。 しかし、外国がそんなに必要としていた背景がわかりません。ヨーロッパで微粒子病により蚕が育たなかったことも原因とのこと。また、清はアヘン戦争で生糸を造れる状況になかったこと。 ではヨーロッパが生糸を必要とした理由として、上流階級が高級品として欲しがっていたからなのですか? また、アメリカも日本の生糸を大量に輸入していたとのことで、同じような理由なのでしょうか? 衣料品は生活必需品ではありますが、食料や薬のようなものと比べるとそこまでの価値はないし、時代背景がわからずにいます。宜しくお願いします。

  • 歴史
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質問者が選んだベストアンサー

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  • pri_tama
  • ベストアンサー率47% (674/1409)
回答No.4

>衣料品は生活必需品ではありますが、食料や薬のようなものと比べるとそこまでの価値はないし  織物や反物は、中世以前であれば、洋の東西を問わず、皇帝や王への重要にして必須の献上品でした。  (今でも、神社には捧げもの[幣帛]として五色絁 、白絹並びに錦、木綿、麻が有ります。)  中世ヨーロッパでは、生糸は金に並ぶ価値[蚕と養蚕の秘密を中国から持ち出す話は、幾種類かの伝説として後世に伝わっております。]が有りました。  (絹織物は、中世においては東ローマ帝国、近世にはフランスと言った大国の経済を支える重要な産業でした。)  ご質問の件も繊維の価値が、庶民の日常品レベルに成ったのが、いつなのかを考えれば、答えが出るかと思います。  日本の江戸時代後半に、イギリスで発生した産業革命は、機械化によってそれまで人口の数%にも満たない、貴族層がパーティ等で着飾る為の需要でしかなかった繊維業を、一般庶民が拙いながらもファッションとして楽しめる領域まで、業界を拡大してしまいました。  (余談ですが、このころに起きた農業革命による食料品の増産で発生した膨大な余剰労働力を上記新興産業が吸収する事で、それまでとは隔絶した国力の増大につながる。)  さらに元々自国にアドバンテージが有る毛織物と植民地であるインドから輸入される綿という二大原材料を抑えるイギリスは、工業化に伴う圧倒的価格優位性から、欧米各国間での貿易の不均衡(イギリスだけが儲かる)状態を発生させてしまいます。  さて、上記の変革に対して欧州の大国たるフランスは、どの様な対応をとる事に成ったのかが、日本の生糸輸出と繋がっていきます。  フランスは、江戸時代後期にはナポレオン戦争敗北によって、イギリスの輸出に対して自国産業の保護政策を取る事が非常に困難でした。  ですのでフランスは、イギリスの毛織物や綿製品とは異なる製品で対抗する必要が有りました。  対抗という面で一番最初にあげられるのは、当然フランスに強みが有る絹織物(シルク)ですが、残念なことに質問者さんも仰るとおり、ヨーロッパの蚕は病気によって大打撃を被りました。  ただ、絶望に打ちひしがれたフランスに一つの光明が現れます。  それは、遥か東の果てに、何処の国の植民地でもないが故に貿易が可能で、自国の安全保障の問題で外国製品を大量に輸入する理由があり、かつ輸出出来る産業は、シルクの原材料たる生糸ぐらいという国、つまり江戸幕府下の日本です。  幕末史に興味が有る方であれば、一度ぐらい疑問に思うであろう謎、日本を開国させたアメリカでも、鎖国下で唯一の繋がりが有ったオランダでも、開国に積極的であったイギリス・ロシアでもないポット出のフランスが、幕末の江戸幕府の改革の諸々を支え、明治初頭の陸軍構築・改革に積極的に関与したという事例です。  (フランスのナポレオン三世が、徳川慶喜へ軍事顧問団を派遣するほど関与しており、江戸幕府もパリ万博へ御三卿・清水家当主の徳川昭武を派遣したほど…。)  有名な、明治の富岡製糸場もフランスのリヨン(シルクの生産地として有名)からポール・ブリューナーを工場建設と製糸技術向上の顧問官として招聘しています。  (富岡製糸場が世界遺産に成ったときも、フランスからお祝いが届いている。)  ドイツの様に自国の鉱山資源と石炭資源を元に、重工業を創成しイギリスの産業と対抗した例もありますが、イギリスの毛織物・綿織物産業とは別の繊維産業に活路を見出そうとした国も有ったわけです…。  産業革命が、人類史に置いて極めて重要な位置を占めるのは、それまでの産業が、自国の僅かな需要さえ満たす事に汲々としていた状況から、質と価格優位性を確保すれば、他国の地場産業すら破壊して、資本のグローバルな集中化すら実現可能となるという点です。  日本の生糸は、幕末・明治期に日本がグローバルな経済競争に巻き込まれた事を示す端的な例だと思います。  私の拙い説明が、質問者さんの疑問解決の一助と成っていれば幸いです。

k1979k25
質問者

お礼

詳しく多くの事例を加えてわかりやすく解説して下さり、とても参考になりました。 一部の上層階級に需要があるということは、当時にとって非常に重要であったのですね。また、西欧にとって価値の高いものを提供できるということが、日本にとって生死をわけるほどの重要性があったのですね。 まだまだ勉強不足ですが、150年ほど前の実情をもっと学びたいと思います。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.3

既に回答されてるお二人の方の仰るとおりですので、私は製糸産業についてのみ回答します。 日本は古来より絹織物が各地で盛んだった事。その技術は各地で特色があった事。 日本の生糸は質が高かった事が一番なのですが、より高級なシルクを求めていた欧米人の需要に合致したのでしょう! 当時の日本は、欧米人の目には『芸者、富士山、腹切』の国。舞妓さんの着物の艶やかさは、どれほど驚きの目で見られたか! また、金も日本の物は質が高く、欧米は銀本位制にして金を日本から安く大量に吸い上げ、日本の金産出が減ると金本位制に変更して日本の資力を落とそうとしたんですよ。 日本はずっと鎖国で、世界の経済を不勉強でしたから、欧米に上手く扱われたと言うべきでしょう。日本刀や陶磁器、切子(江戸切子・薩摩切子)も同様に、大量に国外へ持ち出されています。 参考になれば嬉しいです♪

k1979k25
質問者

お礼

芸者さんが切腹と並ぶだけの位置づけにあったというのも興味深いですね。ゲームやネットもない時代ですと、余興としての占有率が高かったのでしょうか。 工芸品は、今も世界中で高く評価されていますね。そういった物への造詣も深められるよう、勉強に励んでいきます。ありがとうございました。

  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2374)
回答No.2

No1さんに補足で、もうちょっと基礎的な話ですが。 ある程度の教養がないと、いきなり工場の工員が勤まらないんですよ。 明治になった時点で、日本人が世界水準で考えて、異常に識字率が高かったこと、 それも男尊女卑が強いアジアでは、女子に文字を教えない傾向の国もあったのに、女性が普通に文字が読めていたことです。 江戸時代に普通に本が安定的に流通していたことも大きいです。 工員になったのは主に女性ですから、活版印刷はなくとも瓦版のような板で印刷した本が広く読まれていたこと、寺子屋がそれを広めていたことなどがあります。 字も読めないと、指示をメモ取ることもできませんからね。

k1979k25
質問者

お礼

女性には教育の機会を与えないというのは、社会発展に支障がありそうですがそういう国もあったのですね。 工員の多くは女性だったとのことで、繊維物という細かい作業には男性より適任なのでしょうか。機会があれば、富岡製糸場に行ってみます。ありがとうございました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率31% (10479/32964)
回答No.1

質問者さんが指摘するように、蚕の病気やアヘン戦争などによって生糸の供給量が需要を下回ったのでそれだけ売れたという事なのですよ。 そしてそこに目を付けた明治政府が国策として製糸業を後押ししたからです。富岡製糸場がそれですね。いってみれば国営の世界標準工場を作って、全国各地で富岡製糸場のノウハウをコピーしていけば一定以上の品質の輸出品が作れたわけです。 ここらへんは日本の強味かもしれませんね。明治時代には製糸業に、世界恐慌後は軍需による重工業化に、戦後は自動車産業に国策として力を入れて産業奨励をして結果を出してきました。 ただ製糸業にしても軍需主導の重工業化も現在の自動車産業にしても、時代の変化で需要が変化してくると苦戦するようになってきたというのがありますね。

k1979k25
質問者

お礼

模倣でより良い製品を作るのは日本が得意とする、なんて一昔前にいわれていましたね。 今も変革期ではありますが、優秀な人材が海外に流出しているようなニュースをみると残念でなりません。 ありがとうございました。

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