No6です。
私の回答の補足をさせていただきます。
願望を排除した事実を積み重ねないと真実を見誤ると思います。
まず、No6の動画の内容(4:50辺り)のルーツについてついてですが、
NYタイムズのジョージ・トランブル・ラッド博士の↓の記事です。(1908年4月5日号)
(彼はアメリカにおける朝鮮についての最高権威でした)
「しかしこの王妃は、頭はよかったが朝鮮の玉座にとってすら恥となるほど最も残酷な人物の一人で、何年も国王の父、大院君と政争を続けており、この間両派閥の殺し合いはまるで毎年の挨拶交換のように行われてきたものだ。」
江華島事件についてですが、朝鮮から砲撃を受けた雲揚号の航海の目的は↓です。
A:対馬海域の測量
B:朝鮮の東南西海岸~清国牛荘の航路調査と研究
C:帰路、琉球諸島を測量
朝鮮の砲撃理由を、雲揚号が無断で江華島水域の測量をした為という主張がありますが、
事件後に朝鮮と会談をする為、日本の黒田大臣を乗せた船は釜山→江華島間を測量しながら航海しており、雲揚号の測量が原因とするのは不自然です。
事件までの雲揚号の行動ですが、対馬の測量を行い、次に朝鮮東南西海岸から清国牛荘に向かいました。
その途上で水が不足した為に、補給のため江華島に行き、事件がおこりました。
(日朝は、事件前から相互に燃料の薪や水等の供給をする約束をしています。)
江華島事件の経緯は以下の通りです。
1:江華島に向けて給水要請の為のボートを派遣した。
2:朝鮮の砲台からボートに向けて激しい砲撃があった。
3:雲揚号が応戦し朝鮮の台場を破壊
4:その後事情聴取の為のボートを出したが、朝鮮が再び発砲
5:雲揚号が再度応戦
6:日本は上陸の後、朝鮮陣地を制圧
事件の始まりは2の朝鮮による砲撃ですが、
理由は、現場の朝鮮人が日本の国旗(日の丸)を知らず、日本の船とわからず不審船による侵犯と誤認し、砲撃してしまった事です。
(日本国旗はこの事件前に朝鮮政府に届られており、朝鮮には各地に周知させる義務があります。)
事件後、日朝間で大臣が会談を行っており、朝鮮側は以下の発言をしています。
7:事件前に朝鮮政府が日本国旗を受け取っていたのは確かである。
8:しかし、地方には見本・通達が届いていなかった。
9:日本の軍艦と分かっていたら,そんな無礼な事はしなかった。
台湾の領有ですが、
きっかけは、1871年に台湾(当時は清国の領土)に漂着した日本人が、原住民に殺戮された事です。
その後も、1873年に漂着した日本船が略奪された為、日本はそれらに対する清国の責任を追及して賠償を要求しました。
しかし、清国は台湾は未開の地であり統治不能の為に管轄外であるとして、拒否しています。(これは領土権の放棄と同義です)。
日本はこれを受け、島民への懲罰と報復の為に攻撃を行い占領しました。
当時の清国はこの日本の行動については抗議をしていません。(結果として日本の領有を認めたことになります)
その後の日清戦争の下関条約で正式に植民地としました。(航路上に無法地帯があっては困ります)
また、台湾や朝鮮に製品を売って設けたという意見もあるようですが、
日本は本来の意味での「植民地経営」(朝鮮は併合ですが)をして、教育を普及させたりインフラを整備した為に、全くの赤字でした。
(植民地とは、宗主国の国民を入植させつつ未開の地域を開発し文明を与え発展させる為のものです)
併合時の総督府の予算(1911年)は5,200万円ですが、その内の1,200万円は日本政府の補助金で、1,000万円は日本で調達した公債でした。
この補助金は終戦まで続いています。
それよって国内では東北地方の開発が遅れてしまい、それが現代にも影響しています。
それに対して当時から↓のように非難する意見すら出るほどでした。
「邦字新聞」日韓共鳴二千年史 名越ニ荒之助 韓国発行
「韓国人の安寧と幸福、その生活の向上を図るため、母国日本の財政負担は三年間に3,000万円に達している。日本及び日本人を益することを少しもやらない で、韓国及び韓国人のために図りてあまりにも忠実である。飽くまで韓国の主権を尊重するため、中央の各部大臣や地方長官はすべて韓国人を任用し、日本人は その下働きになっているに過ぎない。利権は韓国人のみに与えて、日本人には荒蕪地開発の第一号を与えただけではないか。なおその上、韓国通の大陸浪人を追 放するなど、日本及び日本人から孤立した政策を採ってきた伊藤総監の心事那辺にあるやを疑わしめるものがある。」
日露戦争~韓国併合までの日韓間の条約についてですが、
日本が武力で脅迫して締結させたという意見があるようですが、
↓の資料からは、軍隊の警護は、朝鮮人の習性への用心と、暗殺や電線等の破壊活動を防止する為であったようです。
画像は1905年の「韓国保護条約締結」に関する軍司令官の報告書送付で、内容は↓です。
《アジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp/)レファレンスコード: C03020423900》
内容ですが、
【韓国に固有なる雑輩の秘密運動、陰険手段、流言輩語等紾々として相踵き政界は一段の撹乱を加へ漢城府尹は参改の意を受けたりと踊して反対の布告文を城内各所に掲示し十三府の儒生等は緦大を京城に集め運動の中心を形成して熾んに反対運動を行い遂に林公使及び日本党と目せらるの大官等を暗殺せんとするものありとの風文を生じ我憲兵隊は嫌疑者数名を捕縛するに至れり
以為らく我にして断然保護条約を提出せは縦とへ群小の囂々たるものあるも其通過すへきは毫も疑を容れす
唯た韓廷の慣用する遷延の手段に依り数日を遅緩せしめらるることあらは
由来当面の責任を避くるを以て保身の秘訣とする各大臣等は辞職逃遁等を企て、若に尚ほ少しく警戒を怠らんか外館遷幸の旧劇も亦再演せらるることあるへく、漢城の秩序は益ゝ紊乱し暗闘殺戮の悲劇を現ることなきを期せす、
事此に至らは縦とへ調印を了せしむることを得たりとするも、甚たしく外人の視聴を驚かずのみならす、
事後永く韓人をして不快の念を抱かしむるの不利あり】
意訳すると↓となります。
【韓国内の不穏分子が反対運動を行っており、林公使や親日派の役人を暗殺するという情報を得たので、嫌疑者を逮捕した。
保護条約が締結される事は明らかだが、朝鮮人は引き伸ばし工作や責任逃れの辞職や逃走して隠れたりするかもしれない
警戒を怠ると、(高宗の時の様に)外国大使館に逃げ込まれるかも知れない。
そうなると、漢城の治安は悪化しているので、暗殺される怖れさえある。
そんな事が起った場合、外国からの評判が落ちるだけでなく、韓国人との関係も悪化してしまうだろう。】
【「日本外交文書」電信第551号、儒生派の排日行動に関する件】(1905年6月20日)
「第五四九号電報の儒生派の内容を探くりたるに、檄文を十三道に発せんとする外、同意味の通告文を当地駐在各国公使に送付する準備中にあり、且つ鉄道電線の破壊を企んとする等頗る不穏の意味を含み居れるに付、本官は本日韓帝に謁見の序を以て右儒生等の行動に対し厳重の取締方を奏請する心得なり。
玄界灘に於ける我輸送船の撃沈せられたる悲報は、宮中に出入りする雑輩にして我勢力の増加の為め失意の境遇に陥り居れる一派の利用する所となり、昨今宮中に於て諸般の政事改善に関する日本の忠告は内密に仏国公使に協議する必要を唱へ居れりとの報道あり。」
長くなるのですみません。ここまでで以下略します。日本がアジア侵略したのだという意見があるけれど、事実は資源確保の為にアジアに進出したら欧米の「植民地」を解放してしまったにすぎないと思います。
インドネシアの中学3年用の歴史教科書
「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われたインドネシア語は驚異的発展をとげた。第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい 規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人がすべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい責任を要求する、重要な仕事をまかせた。」
お礼
ご回答有難うございます。