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宗教団体に入る理由

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  • frau
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回答No.9

確かにただ属しているだけでは絶対的な幸福感が得られないでしょう。 私の叔母とその息子、娘(私にとって従兄弟たち)がキリスト教の熱心な信者がいます。ただし父親(叔父)は信者ではありません。そして一時期この無神論者の父親と彼らの確執もありました。 私は叔母がまだ幼少だった子どもをある思想にどっぷり浸からせてしまったというのに最悪の過失があると思っています。あの年頃の子どもというのはまだまだ親が絶対的な存在ですから、母親の思想=キリスト教という価値観を植え付けたのは一部親として取り返しのつかないことをしてしまったと思います。 当時引っ越したばかりで、叔母にとって周囲に友人や知人がいない寂しさと夫が仕事に忙しかったという背景があり、そこに教会の勧誘がきたきいています。確かにその心情はわかります。そして皆よき一般市民です。彼ら(信仰者)というのは一見穏やかで平和主義者でいい人に見えます。でもそれがお仕着せの道徳観から派生している雰囲気だとしたら・・・。 私は信仰家ではありませんが、どちらかというと哲学的と捉えています。そして同じ宗教とくくられている中ではキリスト教は仏教の方がココロがすんなり受け取っている気がするのです。まぁこれは私事ですが。 イエス様そのものがそう説いたのか不明ですが、教会の都合のために聖書など何度も書き換えられてきたためというのは有名な話です。その真偽はわかりません。ですが、恐ろしいのは、大本(イエス)が説いたかもしれない話を、利己主義のために真実として伝えられてきた、それをそのまま鵜呑みにしているということが問題なのです。いわば催眠状態にあるのではないか。 その心理を利用するのが悪徳新興宗家です。これは問題外ですね。カミサマの名を勝手に売名するわけですから、本当に怖いものなしですよね。その心理状態(無知)はカミサマ以上に恐れ多い。 ただ人ってウンザリするほどの同和を求めるんだと思いましたよ。「同和」と「親和」は違うでしょう。前者は右倣え右、後者は互いの価値観の違いを認めながら仲良くなること、というイメージがあるのですが、たとえば幕末の「同志」がいったん志を違えるとなると生死に関わるという時代の社会心理状態もそうでしょう。 さて、件の親戚達は多教の冠婚葬祭に出ても(親戚だから出席せざるを得ない)儀式的なものは拒否する、という行動は無信仰者である他の親戚に批判の対象にされています。 ということはあちらにとってもこちら側の批判はさらに批判の対象となるのでしょうね。そこが問題だと思います。 そういうフォーマルな場で水面下の闘いは続いています。我が親戚筋の永遠の闘争(?)です。 そこで私が感じたのは・・・宗教というのは「隣人を愛せよ」と説きながらその信仰者は非常に排他的ということです。 それではこのキリスト教徒たちを批判する側も、それでは別の宗教の熱心な信仰家であるか?というとそうではないんです。 一応仏教に守られたその墓の前で亡くなった祖父の焼香をしないことを咎めた彼らも、仏教徒ではない。毎日きちんと先祖の仏壇に手を合わせているわけでもない。つまり心理的には異端排除なのです。そして皆同じ「異端者」なのです。 彼らは一様に、批判する前必ず申し訳程度に「信仰の自由」を前提としていますが、それは本音に対するTPOのようなものでしょう。 確かに憲法でもそれは謳われていますが、人の「本音」という非公式な場においてそれも自由なこと、止められない人のサガなのでしょう。 歴史的にはその心理こそが「異端者排除」=「神の名のもとに」という口実を掲げて宗教戦争が繰り返されてきたファクターなのでしょう。 つまり・・・。 人間皆、自分の思っていることが一番!ということなのでしょうね、ハァ~(ため息)。 宗教と哲学というのは同一視されますが、私は違うと思います。 経典に矛盾はたくさんあります。理論的ではないし。しかし清濁含めそれを整理するのが哲学ではないかと思います。 唯一私がこれだけは違うと違和感を感じているのは、キリスト教の父権主義です。実際例の従兄弟の結婚式で「女は家庭に入り、男に仕えるのが仕事」と新婦の説教にあって驚きました。でも新婦がうっとりしてそれを聞いているんですね。その表情はまさに催眠状態でした。・・・ 私は経験主義者です。たとえばそのジェンダー問題にしたって、男性至上主義の封建社会からこれだけ女性の性が自由になったのは、私(女性)の先祖である不特定多数の女性の血と汗の歴史があったからです。そして私自身もその一人であると自負しています(経験から)。 そこでおのおのが何かを悟る。 ある意味そのような催眠状態からの覚醒が、ニンゲンとしての目覚めの状態なのではないかと。 それは宗教であったり、両親からであったり、世間の常識や一般論、慣習的なものであったりしますが、個人的社会的に感じる違和感は何がそうさせているかという原因を調べあげ実践し、させられ、論じて打破してゆく・・・。そこに宗教を超えた何か(とは、自身が生み出したオリジナルな哲学だと思う)を得るものではないかなあと思うのですが・・・。 もし誰しもが経典そのままに生きていたら、皆経典の教えのまま幸福ですよ。とすれば生を生きる、という意義もなくなってしまう。そんなのカミサマの意図ではないはず。 そのジェンダー問題にしたって過剰なジェンダー闘争は本末転倒ですが、価値観も度を越せば誰でも何かの「信者」となってしまいます。それが宗教か、それとも経験が見せたスクリーンか、というそれだけの違いなのでしょう。 宗教に限らずあらゆることについては、唯一絶対のものとしてしまうことは非常に危険でしょう。人生=絶対のものではなく、相対的なものとして捉える柔軟さがなければ、批判されても仕方ないでしょうね。私の親戚のように。 焼香のひとつやふたつ、多教の儀式にその場限りで与したってあなた達のカミサマは怒りませんよ、と思うんですが、それを口にする勇気はありません(笑)。 極限状態がくれるものは宗教の経典を斜め読みするだけでは実感させてくれません。そうではなく、既製の思想を超えた何かを自分で勝ち取るべきであると思います。つまり与えられた「人生」そのものが「教え」である、その答えを見つけるのは誰も、カミサマも教えてくれない。でも経験をおいて安易にそれを求めようとするとき誰かにとっては「宗教」であった、という選択肢のひとつなのではないでしょうか。 >自分ひとりが愛する人を思い、祈っていたらそれでいいのではないでしょうか? 愛情の対象というのは、人一人違いますよね。でも宗教の教えは絶対的な者を「神」という抽象論に仕向けます。 愛する者のために祈るとき、それも自分にとっての絶対なんです。その「絶対的な対象」が神であるか、個人であるか、その違いでしょう。 さらに違うのは、団体とやるか、個人としてやるか、です。そこに「属する者」と「属さない者」との決定的な違いがあると思います。 そして間に教え諭す者が介入されているかどうか。たとえばそれが牧師であったり教祖であったり。 一人で祈ることができる者は本当に強い姿ですよね。隣人に自分と同じ姿の他者を求めない限り、孤独な作業です。 同様、そこに属する者と属さない者の境界もあるのかなと思います。そしてそれこそ「カミサマ」が求めているものなのではないでしょうか。自分と同じ顔貌を作った孤独なカミサマは、自分と同じものをニンゲンに求めるといいますから。

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