• ベストアンサー

海沿いの地域に人に「なで肩」が多いという説は本当でしょうか?

海沿いの地域に住む人はなで肩で、内地の奥に入れば入るほど いかり肩になるという説があるのですが、その真偽はどうでしょうか? 日本人、朝鮮人はなで肩で、中国やインドでは、 沿岸部はなで肩で、海から離れれば離れるほどいかり肩になるそうです。 もしそうだとすると、理由は何でしょうか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ipa222
  • ベストアンサー率20% (903/4455)
回答No.1

日本は東アジアのあちこちから渡来した民族が複合してできた国です。 リアス式海岸の沿岸に住む人(主として漁労、農業)は、中国福建省あたりがルーツの海洋民族で、弥生時代初期に日本に訪れました。 後に農業を主とする民族も上海周辺から渡来しました。 古墳時代は、朝鮮半島の、東部の人や北部の人が東海、関東地方。 西部の人が西日本に移住しました。 いかり肩と思われるのは、朝鮮半島北部、東部の人で、騎馬民族の血が濃い人たちです。サッカーが強いですね。 なで肩は、上海周辺の人や、朝鮮半島西部の人でしょう。血液型はAが多い地域です。 中国やインドはB型が多いのですが、日本にはほとんど、来ていません。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 台湾の地域格差について

    中国は内陸部と沿岸部で地域格差が激しいとされていますが、台湾ではどうなのでしょうか?台湾にも地域格差は存在するのでしょうか?

  • 【中国は中国人の2/3が沿岸地域に住んでいるって本

    【中国は中国人の2/3が沿岸地域に住んでいるって本当ですか?】 内陸部の人口は総人口の1/3しかいないって本当ですか?

  • 海沿いの家(日本海)

    現在、住宅建築の為に土地を探しています。 海の街といわれるくらい、海のキレイ(冬以外)な街に住んでいますので、出来れば海沿いに家を造りたいな・・・と思ってしまいます。 そんなことを思っていた矢先に、ロケーションに関しては申し分の無い土地が売り出しに出ることを知りました。 海沿いの道を挟んで、小高い山のようになっている土地で民家も沢山あります。元々は海を一望出来るホテルの様なもが建っており(廃墟化)、ソレが取り壊されたので、整地して売り出すそうです。 ただ 崖 とまではいきませんが、海沿いの道から山の様な斜面の上になります。 中越地震・沖地震(沖はモロです)を体験している地域なのですが、周りの住宅の下の斜面なんかは崩れそうになったりしていましたが、ホテル(鉄筋3~4階建て)の場所は崩れたり、ひび割れたり等、何もありません。 なので、特に斜面の補強なんかも今の段階では施されていません・・・。 斜面はべトで草がビッシリ生えていて、観光客用に上から海まで、コンクリートの階段が造られてあります。 建物を撤去した今では、基礎(?)部分のみが残されていますが、鉄骨(鉄筋?)の入った15センチ程のコンクリート(石の混じったような)のみ、残されています。 そこを整地して住宅用地にするのですが・・・ ど素人ですので、鉄筋ホテルが建っていて2度の地震でも崩れなかったくらいだから、この先も崩れないかしら・・・? それとも、3度目でとうとう崩れるのかしら・・・?ドッチなんだろう??? と思っています。 これから地盤調査が行なわるようなのですが、どのような点を注意して不動産屋の話を聞いたらいいのでしょうか・・・。 第三者機関が調査をするのだと思いますが、調査結果ではどのような店に重点をおいて見たら安全な土地か、危険な土地かの判断つきますか? なんとなく不動産屋の話を鵜呑みにするのは怖い気がして・・・ また、土地を売るために調査会社の結果データーの改ざん、なんかは行なわれたりするのでしょうか? (それが無いように、第三者機関が行うのだとおもいますが・・・なんか信用できなくて) その土地が地盤に問題なければ、本気で購入も考えようと思っています。 北よりの日本海なので、塩害・冬の強風は覚悟のうえですし、出来るだけの対策はするつもりです。 でも、いくらロケーションが最高でも、家が崩れ落ちる危険だけは覚悟はできません(;_;) どなたか同じような条件のお住まいの方、いらっしゃいませんか?? お話を聞かせてください。 また、地盤の件、宜しくお願いいたします。 分かりづらい文ですみません・・・。 不明な点が点がありましたら補足します。

  • カテゴリーが適切かどうか判断できませんが・・私の説を聞いてください

     4年くらい前世界地図をながめていたら電流が走ったのを覚えています。わたしの独創と思いますが、過去似たような説を唱えた学者がいるか、また、説ではない単なる偶然か、わたしの単なる思いこみかその辺の教示をお願いします。なおわたしは考古学、文化人類学等については全くの素人です。4年来の疑問です。  世界地図を広げてください。インドを中心にして、   1 日本=イギリス   2 中国=フランス   3 モンゴル=ドイツ   4 朝鮮半島=スペイン   5 タイ、ベトナム=イタリア   6 インドネシア=アラブ諸国 という疑似国が存在していると思うんです。  1については説明不要でしょう。両国とも大陸からすこし離れ、独自だが擬似的な君主制の歴史があります。  2についてはユーラシア大陸の東西の中心国としての自負があり豪華絢爛な文化というイメージ  3については異論はありましょうが、ともに世界帝国を築き、常に南の大国との緊張関係のなかで発展しました。  4については、ともに独自の文化のなかでともに情熱的な国民性をかんじます。  5、なんとなく仏教、キリスト教の正当な信奉者という感じがします。仏教文化、キリスト教文化にはことかかないという感じです。イタリアルネッサンスに負けない文化をタイ、ベトナムには感じます  6インドにともにちかいが、イスラム教国です   だからどうしたん・・? といわれれば・・     そこまでですが・・・・グスン   

  • 江戸時代以前の日本人の世界観

    古墳飛鳥時代には朝鮮半島から多くの人間が畿内に移住しましたし、遣隋使や遣唐使もありましたから、当時やそれ以後の日本人は、世界には日本以外に朝鮮や中国のような国や地域があると理解していたと思います。 天平時代でしたか、てっきり日本人の僧だと思っていたのに、インド人が日本に帰化した僧であったことも知って驚きました。今その僧の名を忘れてしまいましたが、ひょっとしてインドくらいまでは世界として理解していたのかも知れません。 欧米人が幕末に日本に来るまでは、日本人は世界をどのように理解していたのでしょうか?中国以西のことはどう考えていたのでしょうか?正倉院にはペルシャの物もあるそうですから、中国の西には別の国があると思っていたのでしょうか? 皇族や貴族ではなく、一般人はどう思っていたのでしょうか? 何かの書物に記述はありませんか? よろしくお願いいたします。

  • 江戸時代以前の日本人の世界観

    古墳飛鳥時代には朝鮮半島から多くの人間が畿内に移住しましたし、遣隋使や遣唐使もありましたから、当時やそれ以後の暫くの間、日本人は、世界には日本以外に朝鮮や中国のような国や地域があると理解していたと思います。 天平時代でしたか、てっきり日本人の僧だと思っていたのに、インド人が日本に帰化した僧であったことも知って驚きました。今その僧の名を忘れてしまいましたが、ひょっとしてインドくらいまでは世界として理解していたのかも知れません。 欧米人が幕末に日本に来るまでは、日本人は世界をどのように理解していたのでしょうか?中国以西のことはどう考えていたのでしょうか?正倉院にはペルシャの物もあるそうですから、中国の西には別の国があると思っていたのでしょうか? 皇族や貴族ではなく、一般人はどう思っていたのでしょうか? 一般人にとっては中国以西は水平線の向こうの感覚で一切分からないというのが正直な感覚だったでしょうか? 何かの書物に記述はありませんか? よろしくお願いいたします。

  • チベット独立を中国が許さない本当の理由

    暴動の背景には 1.ダライ・ラマ14世との極秘裏での和解交渉が昨年7月頃に打ち切りになった閉塞感 2.物価上昇率に比べ給与上昇が無く、生活に窮する形で中国帰属への不満が爆発した などと言われていますが、ここから自然な疑問が出てきます。 題名の通り、「チベット自治区のように貧しく、宗教的結束が強い地域」 を強引に併合し続ける中国政府のメリットが見えてきません。 1.1959年?にチベットに侵攻した際と現在ではメリットが変わったのでしょうか 2.現在上海など沿岸部との地域格差が社会問題となる中、経済的には貧しい地域は少しでも無い方が中国にとって有難い筈ではないでしょうか それでも独立を許さない背景は、やはり 同じく独立を望む、ウイグル自治区、更に言えばウイグル自治区内、新疆の石油と天然ガスが、「チベット独立を許さない背景」という理解で外していないでしょうか? 宜しければ気軽にコメントください。

  • 朝鮮渡来人の日本への歴史への書かれ方の疑問

    ネットの情報をみていると、弥生時代の渡来人は朝鮮半島から先端の技術をもってやってきた、地元の縄文文化をことごとく塗り替えたみたいに書いてあるものを、ときどきみかけます。 またむかし教科書で習った大まかなイメージも「縄文は原始、弥生は文化的で技術の時代」みたいなものがありました。 なにか一方的に朝鮮半島から日本への渡来があったように書かれているようにも読めます。 しかし昨今の書籍をあたると、たとえば90年代に発見された三内丸山の遺跡などから縄文時代といえども、高度な高倉の建築技術があったこと。 日本のジャポニカ米のルーツは、DNA的にも渡来の可能性からみても、朝鮮ではなく中国の長江の領域や上海近辺であったこと。 小麦は西南アジアで栽培が始まり、中国経由で日本に伝わり、また日本の小麦とウィグル地域(中国の西)に残る小麦も、DNA的に同じであることなどがわかっています。寿司のルーツである魚の発酵保存技術も、タイなど東南アジアを起源に広まり、中国と日本のマス寿司などは技術が同系だが、おなじものが朝鮮半島にはないことがわかっています(別の発酵技術)。 漢書だったとおもいますが鮮卑伝に倭人が来ていたこと、魚をとるのがうまいので倭人捕まえ移住させ、魚を取らせていたことなどがあったと思います。鮮卑は沿岸部のツングース系もいたとはおもいますが、概ね内陸部のモンゴル系・テュルクと考えると、意外と中国内部まで倭人はつれていかれていて、漁業は黄河でなければ渤海で魚をとっていたのではないでしょうか。 卑弥呼の時代にも渡来人はいたとおもいますが、逆に日本も中国に対して生口を何度も送っています。 また百済が敗れて日本に渡った人の数も、数千から1万程度というのでしたらわかりますが、中には10~100万人程度の朝鮮人がわたった、みたいにと書いているものもあります。 しかし、百済(と日本の協力兵)は唐・新羅に滅ぼされたので、日本人が戻る船があったとしても(逃げ道を残してあったとして)、百済の人間自身が何万も海を渡るには、どう船を建設し、調達したのだろうと思います。 仏教に関しても、最初の仏教関係品の伝来ばかり強調されていますが、実際には日本は京(みやこ)を作るにも中国の都城をモデルにしたり、後の遣隋使・遣唐使も直接中国に送っています。 どうも朝鮮半島からの渡来、文化の起源説などが強調されすぎているようにも見えますが、後の朝鮮半島全域に出没した倭寇も含めて考えると、朝鮮半島や中国の東海岸は、実際には日中朝の人間が混在の場所であり、また日本は文化に関しては(本物志向のせいか)中国に文化の起源を求めていた、と考えるのがよさそうにみえます。 実際はどうでしょうか。 ネット上の情報は、どうも弥生=朝鮮=文化伝播者、百済=日本への影響大、を強調しすぎているように見えます(これは英語サイトの韓国人の記述もそうのようです)。

  • 中国大陸の倭の場所

    古い歴史書には倭に関する記述がいくつか出てきます。 倭をあたり前に日本列島と結びつける考え方とは反対に、倭は現在の日本とは異なった、現在の日本からかなり遠い地域の人々や集団をも指すと考える歴史研究家もいるようです。 その立場にたった場合、 『山海経』   「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」    蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。 にでてくる倭は、現在の日本(および日本人)とは限らず、遼東半島から朝鮮半島のどこかにも見えます。 ここに出てくる倭は、現在の日本とはまた別の倭と考える人たちによると、どのあたりという説があるのでしょうか? (のちの加羅(伽耶)地域まで下がることはないと思うんですが) それから 『論衡』   「周時天下太平 倭人來獻鬯草」    周の時、天下太平にして、倭人来たりて暢草を献ず これも周というかなり内陸地域の(現在の中国と比して)小さかった国との関係をみると、倭国から海を渡って周に朝貢していたとは必ずしも言えないと思いますが、ここに出てくる倭はどのあたりと考える説があるでしょうか。 人によっては、長江南部の越人と文化的に近いという説もあると思います。 説は1つではなくて複数あるとおもいますが、どんな説があるかやどんな地域を指しているかなどご存じの方いましたら、よろしくお願いします。

  • 脱北者支援の中国朝鮮族牧師、変死体で発見

    脱北者支援の中国朝鮮族牧師、変死体で発見 YOMIURI ONLINEだそうですが、 http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/world/20160503-567-OYT1T50048...でみました。 【瀋陽=中川孝之】中国吉林省の北朝鮮との国境地域で4月末、脱北者を支援していた中国朝鮮族の牧師が変死体で発見され、中国の公安当局が殺人事件として捜査を始めた。 記事では"中国朝鮮族"とか、吉林省・長白朝鮮族自治県とかでてきます。 【質問】 この"中国朝鮮族"とか、"長白朝鮮族"とはどういう事なんでしょうか? ネーティヴ朝鮮人というのと区別しているのでしょうか?