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なぜ中山道なのか
江戸-京都の主要路がなぜ東海道じゃないのかはわかるのですが、なぜ中山道なのでしょうか。峠はなかったでしょうか。あるいはなぜ甲州街道ではないのでしょうか。小仏峠はえらい難所なのでしょうか。
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江戸ー京都間の主要路は昔から東海道です。 中山道は 701年 東山道として、東海道と並ぶ幹線道路に決められたものですが、頼朝が東海道に宿駅をおくようになって、副次的道路になりました。 家康が江戸に入府して、いち早く整備したのは東海道です。 各宿場に用意する馬,人足の数も中山道は東海道の二分の一でした。 中山道が主要路と思われたのは、皇女和宮の降嫁の際など重要人物の行路になった為でしょうか。 これは中山道が険阻で警護がしやすかった為といわれています。 当時は途中の木曽路は名うての難所でした。 東山道を決めた当時は上野、下野は早くから開け、大豪族も居りこれを考慮して遠回りの道で信濃へむかったものと思います。 後世甲州街道が出来ても、これを変える必要はなかったでしょう。
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- junra
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こちらでみてください http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E9%81%93 http://www5.big.or.jp/~ejiri/nakasen/about.htm http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/info0001.html
お礼
古い道なんですね。歴史的背景もよくわかりました。
- hokenyaboo
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諏訪で合流するので以西は別として、甲州街道には小仏峠より難所といわれた笹子峠もあります。 中山道の難所は碓氷峠でしょうか。 難所の問題もそうですが、利用する諸藩の数を比べても甲州街道に比べ中山道は軽井沢から直江津に抜ける支線もあり埼玉・群馬はもとより北陸方面からの往来もありました。 利用する人の数が多ければ街道や宿場も整備され更に利用者が増えたと思います。
お礼
笹子峠もありました。甲府までは本当に険しい道が続きます。昔はいかばかりだったんでしょうね。 碓氷峠はそれに比べればということなんでしょうか。あるいは峠はそこに限定されているというか。 甲州街道より北陸方面への利用がやはり多いのですね。
- PENPENMAKKY
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自動車で走るとわかります。 東名→名神 関越→上信→長野→名神 中央道→長野→名神 では関越ルートが安くて楽です。 小仏峠は難所です。私は愛車を一台スクラップ(スリップ事故)にしています。
お礼
東名は静岡あたりまでしか行ったことがないのく、関越はあまり印象にないのですが、実際安かったりするのですか。そういう実際に印象というのが大事かもしれませんね。 小仏峠は国道を走るとまあ、ホントに長い距離を走らされます。ループで。標高も高いですし、峠とはああいうものだという印象を新たにいたします。
お礼
川止めがないから、主要路じゃないかと思ったのですが、実は違いましたか。下野上野を考慮してということは初耳です。甲州街道は険阻ということからも、その歴史が残ったのでしょうか。