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実家に伝わる不思議な祭り
私の四国の実家に伝わるお祭りについてお聞きしたいのですが・・。どなたか詳しい方がおられましたらよろしくお願いします。 現在は、費用もかかることなのでお祭りの宴会まではしていませんが、今でも12月の一番初めの午の日に、山の祠にお参りにだけ行っています。 私が幼いときからしていた、うちの実家だけのお祭りで、どのような由来があるのかは、祖父もはっきりと知らないらしく、何故うちだけがと思っていました。 内容はこうです、まず12月の初めの午の日に、うちと隣の家にひとつずつある祠にお参りします。そしてその夜は親戚一同が集まって、家で宴会をします。 その後、八時ぐらいから、下の橋までの私道に昼間立ててあった、たいまつに火を灯して行くというものです。近所でも、他県でも同じようなお祭りを見たことがありません。夜何も無い田舎の私道に、たいまつが灯ってとてもきれいで子供心にわくわくしました。 祠自体は御神体も、よくわからないようなものですが 一度移動をした時に、母が具合を悪くしてお祓いをしてもらった事がありました。 参考までに、うちは伊達藩に属します。ほんとかどうかは解りませんが、お墓でいうと弟で16代目になる家のようです。 うちの家でもこんなお祭りするとか、聞いたことがあるとか、この地方に同じようなお祭りがあるとか知りませんか?よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
神送りじゃないでしょうか。 夜に私道に沿って松明を燃やすのは、 神様の通り道をイメージさせますし。 質問者さんの実家の祖神か氏神の可能性があるので、 皆さんで出来る限り調査されたほうがいいと思います。 今やらないと完全に失われてしまうでしょうし。 民俗学的にも貴重なサンプルなので、 是非後世に伝えるためにも1度調べて欲しいと思います。 神送りは関東以北でよく見られたようですから、 仙台伊達藩に実家のルーツがあってもおかしくないです。
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- urutorapeace
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#2です。 12月の初めの午の日に山の祠と家の祠を移動される。 多分、山の祠にお帰りなるんだと思うんですが・・・ もう1日春頃に家の祠に移られる日があったと思う。 土地の結界を守る祖神であり家を守り繁栄させる産神。 その産神が氏神になられたと考えるのが妥当かな・・・。 宇和島藩は仁政の土地柄と聞きます。 実家が16代も続いているのは神様のおかげというか、 ご先祖がそれを守る真摯な姿勢を持たれていたからで、 古き良き日本の伝統を感じます。 こういう素晴らしいものを日本人は大切にすべきです。
お礼
そうですか、春にも移動する日があったのですね。私は記憶に無いのでもしかしたら伝えられている間になくなったのかもしれません。弟とも話して、またお祭りが出来るようにしていきたいと思います。普通の田舎の家ですが、urutorapeaceさんのおかげでまた新たな発見が出来ました、ありがとうございました。
- ymmasayan
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旧暦の12月の最初の午の日は「三隣亡」↓だそうです。 昔は縁起の良い日だったらしいですがある時点から不吉な日になったようです。 これに関係有るかもしれませんね。
お礼
早速のアドバイスありがとうございます。三隣亡ですか?そんなことの知らなかったなんてお恥ずかしいです。ホント「教えてgoo」では、いろいろな方の知識に勉強になりますね。ありがとうございました。
お礼
なかなか、良い回答アドバイスが無く諦めていましたがここに来てとても嬉しいです!そうですか、「神送り」というような事があるのですね。確かに山に祀られている祠は谷を見下ろせる良い位置に祀ってありました。山には東京から学者の方が調べにこられた、「樫の木」の巨木もあります。もしかしたら山や木を大事にしてきた祖先だったのかもしれませんね。本当にありがとうございました。