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なんで人を殺してはいけないんですか?

noname#20467の回答

noname#20467
noname#20467
回答No.14

人を「理由の如何を問わず、殺してはいけない」ということを説明するのであれば、たぶんに宗教的な説明が不可欠になると思います。宗教的説明は納得できる人にはできますが、出来ない場合も多く、哲学的説明は難解を極めるでしょうから、社会契約の基本的理念を説明をしてやるというのも一つの方法だと思います。 >私は人が人を殺す事を容認してしまうような世界であるなら外にも出れなくなるからじゃないからじゃない?と つまり、それでいいと思います。 子供に話すので少し乱暴なところもあると思いますが、もう少しわかりやすく言ってみます。 人々は、集まって協力して「社会」を作っています。その集団(社会)に協力する代わりに、その社会から恩恵を受けます。もともと互いに利益を希望して集まっていますので、互いの利益を損なう行動は禁じられます。これが社会のルールです。ルールは公約数で作られましたが、とりあず社会は一定のルールを持って参加することを、期待されています。 社会に参加するからには、ルールを守らなくてはいけない。それが社会を構成する人々との約束であり、契約です。人を殺すと言うことは、この契約を破るといことです。「お互いに殺さないで共存しよう」というルールを破りました。だから、社会はこういう人を犯罪者として、時には死刑をもって報いてきました。この説明でいくと、殺人犯を死刑にしているのは、基本的にはそういうことです。 >しかしまあ国によっては秒単位で殺人事件が起きてる所もありますし これは契約が破棄された状態として説明できます。社会として機能してないので、好きなように振る舞っても社会としては秩序の維持(契約の履行)という目的が果たせていないなどの異常な状態です。 >戦争では何千人も殺しても罪にも問われません それは、その社会とは違う別の社会との闘争なので、その社会からは規制の対象とされないから、と説明できると思います。たとえば、日本とアメリカが戦争している時は、アメリカ人を殺しても罪ではありません。そのアメリカ国民とは違う社会を構成しているので、彼には契約履行の義務を負ってないからです。反対に自国(自分の属する社会)の秩序を維持する義務を負っているからです。我々は人を殺してはいけないと言っていますが、いついかなる時でも、どんな悪人でも殺してはいけないと本気で思っている人は、それほど多くないと思います。そういう人はとても宗教的であったりしますが、時によっては、社会から排除されることでも分かるように、社会は殺さないことよりも、その社会の人々の最大多数の満足する契約を履行することを優先していることが分かると思います。 これで質問者様と同じ説明ですが、現在の状況と道徳の矛盾は、一応の理屈はつきます。 そうなると、「じゃ、自殺したいとか、殺されても良いという人であれば、人を殺しても良いのか?」と聞いてくるかもしれません。 答えは、社会としては決して認められない(=なぜなら普通だれも殺されたくないから)。そのために、歴史的には、ただ殺すだけではなくて、いかにむごたらしい方法で殺すかを見せることで抑制にしたり、一族を巻き添えにする方法なども時代によっては考えてきました。現在ではこうした社会は減っていますが、それでも、社会からの制裁は、人殺し本人が生きるか死ぬかという二者択一で終わってしまうほど単純ではないことが多いです。たとえば、残された家族はどうなるでしょう? そうしたことすべて否定しても、人を殺したいという人を止める方法は、実力行使しない限りありません。 かなり乱暴ですが、とりあえずこれで質問者様の補足説明になっているのではないかと思います。 ただ子供に話すのでしたら、こんな冷たい言い方をせずに、宗教的説明もあるかもしれませんし、ただ残された家族が悲しいからと言う方法でも良いと思いますし、死ぬということをきちんと見つめさせておくだけ良いと思います。哲学的な意味、理知的な意味で、その質問を発している子を別として、そういう道徳が本当に身に付いていなくて、日常の風景の中で顔色一つ変えずに人を殺してしまうような人は、生育環境に家族の死をあまりに実体なく捉えているとか、痛みや苦しみの共感力など別の面で解決すべき問題があると思います。

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