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行動心理学 集団の歩行傾向について

Behaviorismの回答

回答No.7

こんにちは。 > 昔から疑問に思っていたことがあります。 > 公共の場、特に狭い廊下・通路・歩道などを行き来する人の > 群れを見て思うのですが、多くの場合左側通行になっていませんか? > (関西?のエスカレータなどの例外はもちろんあるとして) > どうしてでしょうか? > この分野では確立された理論などあるのでしょうか? > 1)ほとんどの人間が右ききなので、廊下などではどうしても弱い左手側を壁にして、より強い右手をオープンスペース側にもってくることにより、周囲からの攻撃になるべく有利に対処できるようにするという本能が働いている。 > 2)同じくほとんどの人間が右利きであるため、歩行時にどうしても右足によるけりが強くなり、自然と移動方向が左にずれてしまう。 話を始める前にひとつ。 Deerhunterさんの「集団の歩行傾向」という話には  1)人間個人の生物学的特性  2)人間集団における社会的特性  3)道の幅や脇の店などその現場特有の傾向 これらが混ざり合っていて、 質問とその回答者さんとのやりとりでも同様に混ざっているため、 なんか話があちこちに飛んでしまっていて話がしにくいですね。 仮説を立てたいなら、 上の3つをはっきりと区別して判断し仮説を立てる必要があります。 (上の3つ以上に分ける必要さえあるかもしれません) 私も全ての研究分野および論文をチェックできているわけではありませんが、 こういう一般的な話題で有名な特性が見つかっているなら、 私でも他の回答者の方々でも、No.6さんの講義の先生でも、 どこかで耳にしていたり、本の記述を読んだことがあると思うのです。 こうして知っている人が(現時点で)出て来ないということは、 このような行動特性と人間の生得的な性質とをつなげた理論は 特に無いのだと言ってもよいと思いますし、 実際に、私も理論は無いと思います。 (「理論がある」ことを示すには、それを知っていれば良いのですが、  「理論がない」ことを示すには、全ての知識を網羅しないと難しいので  「お前が知らないだけだろ」と言われれば非常に困るのです) 頭の中だけで考えるならいくらでも仮説が立ちますし、 いくらでもそれに対する反論ができて、 たとえばDeerhunterさんや他の方の仮説に対しては、 反論1)人間は利き手だけではなくて利き足や利き目というものもあり、右利きだから利き足や利き目も右と言うことは必ずしもない。それらによって、どちらをメインにして行動しているか、身体の重心をどちらにもっていくか、歩行がどちらに傾いていくか、および視覚や身体動作の情報を得てどのように行動を修正していくかも変わってくるだろう。 反論2)心臓とともに守るべき身体器官である脳は中央にあり、左半身は主に右脳で、右半身は主に左脳で制御されているため、別に右利きがどうのという問題ではない。そもそも生物学的な構造と行動の左右をつなげるのは注意が必要。 などなど、もっともらしい反論はいくらでもできます。 ただ、これらは「特性が無いことの証拠」にはなりません。 行動の特性が無いことを科学的に示すには、 No.6さんの御回答にあるように実際に実験をやってみるしかありません。 実験に参加してくれる人を数十人ぐらい集めて(被験者と呼びます)、 各個人の利き目、利き手、利き足などを調べます。 そして、壁に障害物や飾りなどが無い一面が同じ色の直線廊下を (曲り角や脇道などが無く、照明条件なども全て一定にする) 被験者一人一人に歩いてもらい、その様子を録画します。 録画するのは後で個人個人の行動特性を確認できるようにと、 「左右どちらを歩いていたか」というのを判断する人に、 バイアスがあったか無かったかを確かめるためでもあります。 そうして被験者が廊下の左右を歩いていたかをデータにまとめ、 利き手や利き目や利き足によって傾向に差が出ていないかを 分析します。 仮に見た目で差が出たとしても、偶然な差かもしれないので、 「統計的検定」という手法を使って、 それが偶然ではほとんど起こり得ないいことを確認したら、 それが、ある程度は信頼性のある結果だと言えるかと。 このように歩行する道の条件を統制した場合に、 「人間の生物学的条件によって人間の歩行位置が決まるか?」 ということが調べられるわけです。 No.6さん達の行なった実験が、ここまで統制しているものなのか 私にはわかりませんが、 実験をしてみて「偏りは無い」という結果が得られたのなら、 それを信頼してもよいでしょう。 で、「人間には○○という特性があった!」という場合には、 論文になったり理論(仮説)が作られたりするのですが、 (こんな面白いことが、ということで世間も注目するでしょうし) 別に「特性が無い」という場合には、 結果が世間に公表されたりすることはほとんどありませんので、 私達が知ることもないのでしょう。 さて、「人間の生物学的条件によって人間の歩行位置が決まるか?」 を調べるこの実験での歩行条件は  ・他に歩いている人がいない  ・直線の廊下であり他に脇道や曲り角が無い  ・歩こうとする道に障害物なども無い という場合です。 この条件がくずれた場合には結果も当然異なってきます。 1)前に歩いている人がいれば、その後ろを歩く人の歩行位置は? 2)前に歩いている複数の人が同じ位置を歩いていればどうか? 3)雑踏の場合で左にも右にも人がいる場合はどうか? 4)右(左)に曲がる曲り角だけがあればどうなるか? 5)右(左)への曲り角を曲がるようにという指示があるとどうか? 6)道の上に障害物があるとどうなるか? 7)そこが現実の歩道で右(左)を車が走っていればどうか? 8)道幅が異なる場合はどうか? 9)「この道は左側通行です」という注意書きがあるとどうなるか? これらのような場合には、利き手足などの生物学的な性質に加えて、  2)人間集団における社会的特性  3)道の幅や脇の店などその現場特有の傾向 による条件からの影響というのも考慮に入れないと いったい何の影響で歩行位置が決まっているのかわからなくなります。 まずひとつひとつの条件について確かめて、 今度は複数の条件を足していって、という感じで調べて確認するのが 心理学的実験というものです。 まあ、ここまで丁寧に実験をやってまとめられるなら、 心理学科の卒論のひとつやふたつにはなりそうですね。 さて、御質問にあります「集団での歩行傾向」についてですが、 こうして調べるならまだしも、 Deerhunterさんの観察した結果が何に起因しているかなんて その場にいない私たちにはわかりませんし、 その場にいたとしてもDeerhunterさんがわからないように、 「集団で歩く」という状況が複雑すぎて どの要因が効いているのか一目で見抜くのは不可能でしょう。 人間の一般的な社会的特性として ・前を歩く複数の人に対する同調傾向  (社会心理学では、他人の意見の同調傾向を示す実験結果はありますが   私は詳しくないので割愛します。歩行状況に限りません) ・一人だけ別の位置を歩くと迷惑だなどの状況把握と判断 が存在することは考えられますが、 それよりも、以下のその場特有の状況が影響しているからです。 ・「左側通行」などという決まりがあるか ・自分に向かって歩いてくる人や障害物など ・道路のどちら側か、脇の店がなにか ここまで考えてみますと、 人間が道を歩く時の行動特性を簡単にまとめた理論は 確立されていないんじゃないかと思ってきませんか? 複雑すぎてまとめるのも面倒そうですし、 社会的要因が強いモデルだと他の社会では通用しないでしょうし、 (東京と大阪というレベルでも既に違うのですから) その場所特有の要因がさらに強い場合、 法則や理論として一般化することは困難になります。 「その場所しだいです」という結論にいくほうが妥当でしょう。 【以上をふまえて回答】 人が道を歩く時の行動特性については、おそらく理論は存在しません。 さまざまな要因が考えられるとは思いますが、 実際にひとつひとつ丁寧に実験をやって確かめていかないと、 はっきりとしたことは言えないでしょう。 人間の全ての行動に法則や理論があるとは思わないで下さい。 特に「特に傾向は無い」というnegativeな場合には 理論や法則とは呼ばれることはほとんどありません。 (補足) 「行動心理学」という名称に関しては、以下の回答コメントを参照。 No.4 Diogenesisさんの回答 http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1955278

Deerhunter
質問者

お礼

詳細な解説とご意見をありがとうございます。 確かに私もあまりに漠然とした質問だとは思っておりました。Behaviorism さんのご指摘は確かに正論で、普段理工学分野の研究をしているものとしてちょっと耳が痛いです(^^ゞ。 まあ、いつもは狭い分野に関してかなり緻密な議論などを展開しなければならないため、たまにはこういった全く違った分野でのブレインストーミング的なことも面白いなと思っての質問でした。いろいろなご意見やアイデアが寄せられれば面白いかなと。 確かに複雑系というのは理論化しにくいのでしょうね。それにご指摘のようにこんなに身近な現象に理論が当てはめられるならもっと世間に知られていても良いはずですね。 ただ、そうすると私のこれまでの個人的な観察は、単に偶然の結果なのでしょうか?つまり、歩行者がたまたま左側に偏って歩くという状況を作り出すような現場に多く居合わせてしまった。観察を繰り返せば右側を歩く様子も同程度見られるだとうと。 ところでもっと狭いレベルだと人の歩行にパターンなどはあるのでしょうか? 例えば雪原でリングワンデしてしまうとかいったこともありますよね。

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