• ベストアンサー

「意識」の定義

「意識」を定義していただけませんか。 できましたら自信の無い回答を望みます。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#15238
noname#15238
回答No.2

最初に定義について 「何ごとも定義づけぬこと、これは懐疑家の守るべき義務のひとつである。だが私たちは、どんな些細なものであれ、たまたま定義をみつけだすとたちまち尊大な態度を示すが、これ以外にどんな態度をとることができようか。定義づけることはもっとも根深い偏執のひとつであり、それは最初の言葉とともに生まれたに違いない。」シオラン『四つ裂きの刑』 そこで、ご質問者様のために「四つ裂きの刑」を覚悟の上 意識を定義してみると。 《意識とは、主体の世界表象の、相互的反作用である》 1)此処で強調したいことは、意識は、それ自体で存在する『魂』とは無縁である。 2)此処で注意することは、相互作用を空間的時間の前後関係とは混同しないこと。 3)此処で補足したい事は、作用が持続し混同することである。 4)此処で問題点は、世界表象が既に意識に内包されている場合、お仕舞。 お粗末、全く自信なし。大変失礼いたしました。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 難しすぎて胃が痛くなってきました。 1)還元主義、実体的自我の否定。 2)3)空間的時間の前後関係とは、ベルグソンの持続の概念でしょうか? 4)相互作用とは知覚が相対的に外界の対象を形作ると言うことでしょうか? 世界表象が既に意識に内包されている場合とはあらゆる表象の統一という意味ですか? できましたらご説明お願いいたしま~す!

noname#15641
質問者

補足

自信有りというのは100%インチキと言えます。 不可能性の可能性の追求にはならないからです。 自信有りの思考は全て自己欺瞞です。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (15)

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.16

#14です。 >いずれにしろ直接的であるということは概念的ではなく直観的であるということですね。 済みません。勉強不足で、Erscheinungという言葉は初めて見ました。それで、意味がわからないまま、勝手に推測してみました。取り合えず、現象には、phenomenonとは別に、Erscheinungという違った種類のものがあるのかなと考えました。そうだとすると、その違いは何なのかと考えてみました。思い浮かんだのは、客観的現象と主観的現象ということなのかなということです。これは、全くの自己流解釈ですから、頓珍漢な話になっていたら申し訳ありません。 取り合えず、そう仮定してみると、客観的現象を考えるためには、人間の意識を離れた「物そのもの」みたいなものを想定する必要があるように思います。ところで、私は、「物そのもの」とは、一つの「概念」だと思っています。丁度、二等辺三角形などの図形や数と同じようなものだと思っています。そうすると、それら「概念」も意識に直接現れる対象です。すなわち、「物そのもの」も意識に直接現れる対象です。そう考えると、「客観的現象」も「主観的現象」も区別する基準はないように思えます。

noname#15641
質問者

お礼

kobareroさん、ありがとうございます。 哲学の世界では、二等辺三角形などの図形のような心象はは表象と呼ぶようです。なかなかややこしいですね。

noname#15641
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 Erscheinungなのですが、純粋理性批判(篠田英雄訳)、先験的感性論、緒言1より引用させていただきます。 {我々が対象から触発される限り、対象が表象能力に与える作用によって生じた結果は感覚である。感覚を介して対象に関係するような直観を、経験的直観という。また経験的直観のまだ規定されていない対象を、現象(Erscheinung)というのである。}

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.15

意識がある。 意識がない。 意識を変える。 意識を高める。 「意識」を定義する。 「意識」は2文字である。 このような言葉遣いはします。 意識を発見する。 意識が歩く。 意識が怒る。 意識を食べる。 意識の上に座る。 このような言葉遣いはしません。 アメリカ大陸を発見する。 犬が歩く。 電気屋のおじさんが怒る。 牛肉を食べる。 椅子の上に座る。 と変えなければ意味が通じません。 だから意識はアメリカ大陸でもなく犬でもなく電気屋のおじさんでもなく牛肉でもなく椅子でもないことがわかると思います。

noname#15641
質問者

補足

corpusさん、ありがとうございます。 私は或る隠者の話を想い出そう。その隠者は自身を索めようとして先ず足を切った。更に索め得られる、そう呟きながら、次に手を切った。そして、次第に自身を切り刻んでいって、影も形もみとめられなくなったと云われる。《だが聞いてみろ。そこにはまだ呟きが聞こえるのだ。ほれ、聞こえる。非常にさだかならぬひそやかなところに-》まことそこに偽りなくしてなんらの論理もあり得ない。                    Credo,quia aburdum. 埴谷 雄高

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.14

#13です。 >そこで先ずkobareroさんの「現象」とは如何なる概念でしょうか? 以下のように、かなり日常的なイメージで捕らえています(難しいことはわかりませんので)。 「現象とは、物事が直接的、具体的に立ち現れるありさまのことです」 例えば、客観的世界というようなものは、直接的、具体的には現れないので、現象ではないことになります。ただ、客観的世界についての観念は、直接的、具体的に心像として現れるので、現象ではないかと思います。また、「現象」と「意識」は表裏一体の関係なので、一方を構造化すれば、他方も構造化されるというような関係になると思います。例えば、「意識」の側に、記憶や推理の機能を組み込むと、「現象」の方も、構造化されたものに変化すると思います。 ところで、mineosanのsanは3ですか?

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 kobareroさんの仰る現象は、観念が表象という意味であればphenomenonではなくてErscheinungということですね。 了解いたしました。 いずれにしろ直接的であるということは概念的ではなく直観的であるということですね。

noname#15641
質問者

補足

kobareroさん、ありがとうございます。 純粋意識のご説明ですね。 意識の本質は志向性としています。つまり表象とは何かが表象されると言うわけです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.13

#11です。 >あるいはAが直観において与えられるという意味ではカントの先験的統覚と言う概念になるのではと思いますが如何でしょうか。 自分で回答していてだんだんわからなくなってしまったのですが、私は初め「何か対象があって、それを意識する」という図式でものを考えていました。でも、この考え方は、どうもおかしいように思えてきました。というのは、ここでは、「意識する」は他動詞になりますから、その主語が想定されるわけですが、実際には、その主語が見つからないからです。 例えば、「私」という概念を持ち込んで、「私が対象を意識する」と言う事は可能ですが、そもそも「私」という概念はなくても「意識」は、存在するわけですから、「私」という概念を持ち込まないと説明できないような「意識」は、「意識」の本質ではないということになります。もう一つの主語として、「意識」自身を持っ来て、「意識が対象を意識する」という表現は可能ですが、これは、「意識」を構造化して見ることにより始めて可能になる現象です。しかし、「意識」には、構造化する前の「単純な意識」というものがあるはずですから、「意識」を主語に持って来ないと説明できないような「意識」は、やはり、「意識」の本質ではないということになります。 それで、「意識の本質」、すなわち、「意識の意識たる所以は何か」を改めて考えてみたのですが、結局、以下のようになりました。 「意識とは、物事が現象する働きのことです」 このように定義した上で、mineosanさん(あれっ、sanが重なってしまいますね)の書かれた、サルトルの説明を読んでみると、「対象」と「自己」というものが前提になっていますね。そうすると、「意識」の外に「対象」があるという図式になると思うのですが、そうだとすると、その「対象」を主体的に「意識化」する「何か」が想定されているのだと思います。その場合、その「何か」とは一体何なんでしょうか? 「意識」をコントロールする「自己」というものを考えているのでしょうか? あるいは、「意識」自体が構造化されていて、「意識」自身の中に「自己」の働きを持つという考えでしょうか? また、「自己を対象ではないものとして捉える」ということですが、その場合、「あるべき自己」を想定して、それに向かって自己変革するというようなプロセスは不可能ということでしょうか? あるいは、「あるべき自己」は対象になり得るが、「現にある自己」は対象ではないということでしょうか?

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 不可能性の可能性という私の意図に近づいてきたようです。 というのも今度はここで「現象」についての再定義が要求されてくるからです。 サルトルの現象学的存在論を理解する為にはフッサールの純粋意識や志向性の概念を理解しなければなりません。 そこで先ずkobareroさんの「現象」とは如何なる概念でしょうか?

noname#15641
質問者

補足

流石にお気付きですね。 意識には、行為としての意識と状態としての意識つまり動詞、名詞両方の側面があります。 (それと余談ですがmineosanはミネオさんではないんですよ、実は)

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • ruehas
  • ベストアンサー率68% (816/1194)
回答No.12

こんにちは。 #6です。 回答をお読み頂き、ありがとうございます。 一夜明ければたいへんな盛況ぶりですね。人格はとても信頼できるものではありませんが、質問者さんには何かカリスマ的なものがあるのかも知れません。鼻持ちならないけど、何処か魅力的っていうのいますよね。 >私の見解ではなくサルトルの見解を述べさせていただきました。 ですから、先の回答で分かります通り、サルトルの見解が現在の脳医学の知見と一致しないんです。 フロイトの頃は、偏桃体の働きは現在ほどまでには解明されていませんでした。科学は進歩するのですから、別にサルトルが悪いということではありません。問題なのは、現在でもそれを鵜呑みにしてしまうということです。 哲学がご専門なのですから、そこまで知らなくても仕方はありませんが、精神分析などという言葉をお使いになるのであれば、もう少しきちんとした知識を身に付けてからの方が無難だと思います。 これは私の持論ですが、現在の脳医学の分野には、哲学で解決できる問題はほとんど残されていません。同様に、従来の心理学も既に限界を超えています。先人の知恵に学ぶのもたいへん重要なことですが、そこに新しい情報を付加してゆかなければ、いくら崇高な知識を身に付けても取り残されるだけです。

参考URL:
 
全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.11

#7です。 >感覚することを感覚する。つまり非反省的な意識を意識する第二次的な反省的意識ということでしょうか。 多分そういうことなのだと思います。「意識」を定義する上で以下の3つの要素が不可欠だと思ったのです。 (1)対象を感知する働き(A)。 (2)対象を感知する働きを感知する働き(B)。 (3)対象を感知するときの、その感知内容の具体的なありようは、(B)以外には、感知不可能であること。 もし、(1)だけなら、ビデオカメラ付きPCでも意識があることになります。 もし、(1)、(2)だけなら、ロボットでも意識があることになります(私は、ロボットは意識を持ち得ないという立場です)。 そして、もっともやっかいなのは(3)で、本来、この働きの特長こそが「意識」の「意識」たる由縁だと思うのですが、これが、何であるかを定義できるのかどうかよくわかりません。ただ、現象的には単純で、「赤い花の赤さ」「バイオリンのバイオリン的音色」「焼き魚の焼き魚っぽい臭い」などのことです。これは、ロボットには、「認知」はできても、意識する(感じる)のは不可能と考えています。 >ここが難しいところです。というのも感知する働き(B)にもまた感知(c)が働くだろうと推察できるからです。 感知する働き(B)を感知する働き(C)があり、感知する働き(C)を感知する働き(D)があり・・・・のように、無限に続くという考え方があるようですが、この点については、私は、疑問があります。私は、そのように無限に続く現象は論理的に考えることができるが、実際の現象としては、存在しないと思っています。その理由は、自分自身の心を観察した限りでは、感知する働きを感知する働きまでは確認できますが、それをまた感知する(C)の働きを確認することはどうしてもできないからです。ただし、私以外の人に(C)以降の働きがあることを否定するわけではありません。 >そこでサルトルはこう考えているわけです。 サルトルの考えは私には難し過ぎてわかりませんが、意識についての説明に「意識」という言葉が出てくるので、結局、「意識」に対する「意識」の関係の仕方について述べているのではないでしょうか? 私には、「意識」の「意識」たる由縁は、「意識」の「意識」への関係の仕方ではなく、「意識」そのものの内容のありようにあるように思えます。すなわち、上述の「焼き魚の焼き魚っぽい臭い」のような領域です。もし、「意識」の「意識」への関係の仕方で「意識」を考えると、いずれ、ロボットも意識を持ちうるという結論になってしまう気がします。

noname#15641
質問者

お礼

スコラ哲学の志向性、第一次的志向、第二次的志向の概念、 つまり前者は精神が直接的に外界の対象に向けられた働きであり、後者は前者についての反省的な認識ということ、 あるいはAが直観において与えられるという意味ではカントの先験的統覚と言う概念になるのではと思いますが如何でしょうか。

noname#15641
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 とりあえずサルトルの件ですが、定立的意識が同時に意識自身についての非反省的、非定立的意識であるとは、対象を意識するということは対象を自己ではないものとして捉えると同時に自己を対象ではないものとして捉えるということです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#117439
noname#117439
回答No.10

何かの衝動に突き動かされたときを想像してください。 出来れば自分の背中を押したのが天使であると願いたいとこですが、悪意や煩悩に突き動かされる場合もあります。 背中を押したのが無意識です。 背中を押されて行動したのが意識、または完璧な同一性を持った天使のような無意識です。 この背中を押された側がさらに細かく意識と無意識に分かれるらしいことは知っていますが、どこまでが裸の意識であるかは良く判っておりません。

noname#15641
質問者

お礼

そうですか、背中を押されましたですか。 それではエスさんに宜しくお伝えください。

noname#15641
質問者

補足

ご自分の主張を相手に納得させたいのであれば、まずあなたの意識と無意識についての概念をご説明ください。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • teppyon
  • ベストアンサー率50% (6/12)
回答No.9

意識:夢を見ることのない睡眠から目が覚めてから、また夢を見ることのない睡眠へ落ちていくまでの間、たまに存在物を引き連れたり、もちろん引き連れなかったりしながら、なにやら現象しているような、していないようなもの。 定義? かはわかりません。私のなかでは、意識というと、虚在のようなものを感じます。自信がないので回答します。

noname#15641
質問者

お礼

よろしければ虚在についてもう少しお聞かせ願えませんか?

noname#15641
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 自信が無いから回答する。 だから確たる回答なんです。 落っこちようがないんです。 自信があるから回答するじゃ奈落の底へ落っこちるんです。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • corpus
  • ベストアンサー率12% (25/200)
回答No.8

#5です。 神の一部というのは意識に限ったことではありません。石ころが神の一部と同じ意味で意識が神の一部であるということです。 「スピノザの世界」という本を読んだばかりなのでスピノザに少々影響を受けているかもしれません。 でも、よくよく考えてみるとわかりません。神という言葉を使ったのも神というものが存在するかどうかわからないという意味で私は使ってしまったのかもしれません。 意識の定義ですが、内包的定義だけでなく、外延的定義もできるような気がしてきました。 {神、人間、高等動物、ロボット}という定義はどうでしょうか?これらの集合の要素が共通して持っているものが意識であるということと定義してみたらどうですか?ただ、この定義のしかたは意識というものを狭くとらえてしまう危険性があるということです。

noname#15641
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 私も実は外延的定義を望んでいるんです。 {ロックの考える意識、ヒュームの考える意識、デカルトの意識、カントの意識、フィヒテの意識、フッサールの意識、ベルグソンの意識、メルロ=ポンティの意識・・・・・・・} ご協力お願いいたします!

noname#15641
質問者

補足

いやあ実は私もスピノザが大好きなんです!

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.7

全然わかりませんが、一生懸命考えて、せいぜい以下の程度のことしか思い浮かびませんでした。ごちゃごちゃしているのは、ロボットも意識を持つと言わせないためですが、これで、ロボットを排除できたかどうかは、あまり自身がありません。 「意識」とは、何らかの対象が存在することを感知する働き(A)の存在を感知する働き(B)のことであり、感知する働き(A)の感知のありようについては、感知する働き(B)以外には、感知不能なような働きのことである。

noname#15641
質問者

お礼

>何らかの対象が存在することを感知する働き(A)の存在を感知する働き(B)のことであり 感覚することを感覚する。 つまり非反省的な意識を意識する第二次的な反省的意識ということでしょうか。 >感知する働き(A)の感知のありようについては、感知する働き(B)以外には、感知不能なような働きのことである ここが難しいところです。 というのも感知する働き(B)にもまた感知(c)が働くだろうと推察できるからです。 そこでサルトルはこう考えているわけです。 意識の意識を反省的意識とするのではなくてAをAと定立する意識は同時に意識自信についての非反省的、非定立的意識であるということです。

noname#15641
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 ロボットが仮に意識をもったとしてそれをどうやって証明するのか興味のあるところですね!

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 人間の意識の定義ってもうされているのですか?

    人間の意識の定義ってもうされているのですか? 脳神経科学者の渡辺 正峰が脳の意識 機械の意識という本を出して、人間の脳の意識と機械の意識の違いを解説してますが、そもそも人間の脳の意識の意識についての定義もされてないはずなのにどうやって比較するのですか? もう人間の脳の意識についての定義が出来ているのでしょうか?

  • 萌えの定義

    あなたにとって、萌えの定義とは何ですか?という質問に対して、1~4のどれで対応しますか? 1、自分の萌えの定義を細かく回答(○代で髪は△で身長は××くらいで・・・・など) 2、自分の萌えの定義を簡潔に回答(猫ミミ・ロリなど) 3、萌えたことはないし、今後も萌えない 4、無回答

  • 言葉が先か?意識が先か?

    哲学素人です。 ギリシャから現在に至る、哲学の歴史の変遷に興味があり、あくまで趣味です。 現在、構造主義をかじってますが、泥沼に陥いってます。 正しく理解しているかわかりませんが、構造主義の立場では、私たちが思考したり感じたりするときに、まず頭の中で「言葉」を使用し作文を作ることにより「意識」が生まれるとの立場のようです。 意識とは?をネットではなく、哲学辞書を引いて調べてみましたが、 「人は何かを意識する時、自分がそれを意識していることを意識しながら意識するということになる。意識の明確な定義はない。すべての定義は意識によって成立するものだからである。」 とあり、ますます混乱! どなたかすっきりした回答をいただければ幸いです。

  • 意識と行為

     定義の問題ではなく、 (1)人の行為には必ず、行為というものにはいずれかのレベルの意識や心が伴うものなのであろうか? (2)人以外の、例えば哺乳類などの生物にはどんなレベルの意識や心も伴わないものであろうか。意識や心ということの定義を抜きにして、日常の普通のことばとして。法解釈では、人とか、行為とか、故意とか、きちんと定義されているが、それは法律の一貫性と、体系のためであるに過ぎない。つまり便宜的定義でしか過ぎない。 (3)仮に人においてどんな性格、どんなレベルの意識や心の伴わない行為がありえたとして(無論、宗教的無の境地ということではなく)、(3)-aそういう事実行為はその行為者の意識は心にどんな影響があるだろうか?或は残すだろうか? (3)-bそういう事実行為に対して、向上と堕落という面からの評価がやはりありうるものか? 責任という側面を除外して。 (3)-向上と堕落というのは、意識と心に対していうのであろうか?  何か含みが内心にあるような助けて、質問ですが、解脱(新宗教ではありません)の行為の性格を読書中なのですが(インドの聖典で)そういう読書プロセスで、一体人の行為って何なのだろう、考え込んでしまっております。

  • 定義・読んでください

    時間の存在について・意識と存在について ・時間とは *人間が定義したものである。 ・時間は一方通行であることについて これは自分が考えた仮設であるが、もし時間が一方通行であれば音楽や、映像を 連続性のあるものとして認識できないのでは、と考えられる。 そう考えられる理由としては音楽・映像においても0.01(ここでは最終的に感じることができる 最小の単位とする)秒間に見た動画をまず、脳が画像として処理したとする、この間に も時間が一方通行であると考えられるのなら脳が処理している間も常に時間が流れ ていることになる、ということは数字を画像として処理した場合1234567890と順番に 認識することはできない。 申し訳ないが、今の自分の仮説を文字(これも存在しているのか?)に起こせるほど 語彙が豊かではなく、知識も浅いのでこの程度になってしまうが次は意識についてまと めてみたいと思う。 ・意識と存在について *ここで定義させてもらう意識とは受動的・能動的に行動および思考することのできる 物とする。また、意識とはすべてのものに存在するものとする。(生物以外を除く) *ここで定義する存在とは、申し訳ないが定義できない。 また、これから書き起こす文は私の精神の中を素にあらわしたものであるので 脈絡がない可能性があるが、読んでもらえるとありがたい。 ・意識が発現したのはいつかおぼえていない。また、自分が死んだとき(死という概念は 人間にのみ存在すると考えられる)自分の意識がどうなるのか、もしかしたら無になるの ではないのだろうか?しかし、無になるということは考えずらい、それは自分の意識が こうして文を書いているからである。 ~ここからは気分を害される可能性がある~ 自分は無の中にある一種の意識の固体であって、もしくは宇宙の発現、いわゆる ビッグバンが起こる原因となったと考えられるクオーツのひとつではないのだろうか? もしかしたら、これを呼んでいる人たち・周りの人たち・周りの物・周りの物質、これら のすべてのものが自分の意識の作り出した虚像ではないのだろうかと考え出す とすべてのものに価値がないのではないのだろうか?とかんがえられる。 死がとてつもなく怖い。怖い。自分には自殺は不可能である。しかし、自殺をする 人がいる。と、いうことは周りの人々は私の虚像であるからランダムな行動を起こすが 私はある、境界線の中にいて境界線の外に存在する行動、たとえば・自殺・盗み ・過度な暴力はできないのではないのだろうかとかんがえられる。 ~これについての意見をいただきたい~ すべての存在するものは光に反射・質量・をもって初めて存在していると認識される。 と、いうことは読んでいるかたは一度目をつぶってみてほしい。目をつぶると 何も見えない。しかしものを触れば存在していると脳が認識できる。 ある、哲学者に 言葉が生まれたから意識が生まれた と考えた人がいる。 ではなぜ言葉という概念が生まれたのだろう?まぁ、これはおいておいて。 本当にこれを読んでいる人・もの・こと・事象が存在しているかどうか自分には わからず、無のなかに一人で存在しているような気がしてならない。 また、少し気をそらすだけで自分の意識が存在しているのかどうかすらわからないとき がある。 ~実験~ 自分は自分の意識の存在を確認するために一種の実験を行った。 とても簡単なことだが ・就寝前に自分の意識を「意識」して確認する ・起きたときに自分の意識を「意識」できるか確認する ・もし、おきたときに自分の意識が存在しているならばある程度自分の 意識は存在していると考えることができるということになるではないのだろうかと思った。 ~結果~ 意識はあった。が、しかし、同一の意識とは考えずらい。

  • 友達としてしか意識してなかったと…

    何度か相談させていただいていましたが、やっと彼女から返信きました。すっきりとしたと同じにやはり少し落ちこみました。二人で食事したいというメールに、気持ちは嬉しいのですが今回は遠慮します。友達としてしか意識していなかったので。という回答でした。 もう諦め感でいっぱいですが、これからはその女性とは友達同士という感じで続けていく自信がないです。どうしてもそういう意識で見てしまいそうです。また食事するチャンス(友人交えてならありそうですが)難しいですね。そういう場合、皆さんならどう彼女と今後付き合っていきますか。つなみに会社も違います。もう一度押すということもありですか?  

  • 「情報」の定義

    「情報」を定義してみてください。 情報はなかなか定義が確立されていないようで。 分野によって定義もまちまちといった感じなので、 なるべく普遍的な回答が望ましいですが、 固い回答でも軽い回答でもOKなので、お待ちしております。

  • 自己意識がある動物は??

    次のうち自己意識があるといわれているものはどれなんでしょうか?? いぬ、ねこ、人(これはあるでしょうね、)日本猿(頭が悪いとききますが。) チンパンジー、ゴリラ 勝手かと思いますが自信のあるご回答をお待ちしております。 よろしくお願いします

  • 意識はいつ生じたのでしょうか?

    1)オギャ~と生まれた時は意識はありませんが、今はあります。 幼いある時期に意識を獲得したはずです。 それは、ある瞬間獲得したのでしょうか、獲得の境界が分からないほどゆっくりと獲得したのでしょうか?自分の記憶を遡って回答下さい。 2)言葉が無ければ、意識はないように感じますがそうでしょうか? 3)記憶がなければ、意識はないように感じますがそうでしょうか? 主に1)が質問です。可能なら2)、3)も回答下さい。

  • ニーズとウォンツの定義について

    ニーズとウォンツの違いがいまひとつわからなくてぐぐってみたら ニーズとは、ウォンツとは、シーズとは http://www.alpha-net.ne.jp/users2/gzmgzm/article/00/21.html とそのものずばりの解説ページがありました。このページから引用すると 「ニーズ(Needs) - 消費者の(意識化された)必要性 ウォンツ(Wants) - 消費者の(意識化されていない)欲求 」 とあり納得できたのですが、そのすぐ下に 「ウォンツを「ニーズを満たす特定のものが欲しいという欲求」と解説した書籍もあった。この説明ではウォンツはニーズより具体的なものとなる。」 との解説もありました。この二つは相反する定義ではないかと思うのですが、どうでしょうか?最初の定義では、ウォンツは意識化されていない欲求とありますが、次の定義では、ニーズより具体的なもの、とあります。最初の定義によればニーズは意識化されているのだから、当然その具体的なものであるウォンツも意識化されていると思うのですが、違うのでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • QL-820NWBの本体のデータを削除する方法をご教示ください。
  • お使いのQL-820NWBの本体に保存されているデータを削除する方法について教えてください。
  • QL-820NWBの本体に保存されたデータを消去したいのですが、手順を教えてください。
回答を見る