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「意識」の定義

kobareroの回答

  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.11

#7です。 >感覚することを感覚する。つまり非反省的な意識を意識する第二次的な反省的意識ということでしょうか。 多分そういうことなのだと思います。「意識」を定義する上で以下の3つの要素が不可欠だと思ったのです。 (1)対象を感知する働き(A)。 (2)対象を感知する働きを感知する働き(B)。 (3)対象を感知するときの、その感知内容の具体的なありようは、(B)以外には、感知不可能であること。 もし、(1)だけなら、ビデオカメラ付きPCでも意識があることになります。 もし、(1)、(2)だけなら、ロボットでも意識があることになります(私は、ロボットは意識を持ち得ないという立場です)。 そして、もっともやっかいなのは(3)で、本来、この働きの特長こそが「意識」の「意識」たる由縁だと思うのですが、これが、何であるかを定義できるのかどうかよくわかりません。ただ、現象的には単純で、「赤い花の赤さ」「バイオリンのバイオリン的音色」「焼き魚の焼き魚っぽい臭い」などのことです。これは、ロボットには、「認知」はできても、意識する(感じる)のは不可能と考えています。 >ここが難しいところです。というのも感知する働き(B)にもまた感知(c)が働くだろうと推察できるからです。 感知する働き(B)を感知する働き(C)があり、感知する働き(C)を感知する働き(D)があり・・・・のように、無限に続くという考え方があるようですが、この点については、私は、疑問があります。私は、そのように無限に続く現象は論理的に考えることができるが、実際の現象としては、存在しないと思っています。その理由は、自分自身の心を観察した限りでは、感知する働きを感知する働きまでは確認できますが、それをまた感知する(C)の働きを確認することはどうしてもできないからです。ただし、私以外の人に(C)以降の働きがあることを否定するわけではありません。 >そこでサルトルはこう考えているわけです。 サルトルの考えは私には難し過ぎてわかりませんが、意識についての説明に「意識」という言葉が出てくるので、結局、「意識」に対する「意識」の関係の仕方について述べているのではないでしょうか? 私には、「意識」の「意識」たる由縁は、「意識」の「意識」への関係の仕方ではなく、「意識」そのものの内容のありようにあるように思えます。すなわち、上述の「焼き魚の焼き魚っぽい臭い」のような領域です。もし、「意識」の「意識」への関係の仕方で「意識」を考えると、いずれ、ロボットも意識を持ちうるという結論になってしまう気がします。

noname#15641
質問者

お礼

スコラ哲学の志向性、第一次的志向、第二次的志向の概念、 つまり前者は精神が直接的に外界の対象に向けられた働きであり、後者は前者についての反省的な認識ということ、 あるいはAが直観において与えられるという意味ではカントの先験的統覚と言う概念になるのではと思いますが如何でしょうか。

noname#15641
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 とりあえずサルトルの件ですが、定立的意識が同時に意識自身についての非反省的、非定立的意識であるとは、対象を意識するということは対象を自己ではないものとして捉えると同時に自己を対象ではないものとして捉えるということです。

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