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戦国時代の火縄銃の威力についての質問

noname#21649の回答

noname#21649
noname#21649
回答No.3

銃の正しい使い方としては. いつでも発射するように用意して.敵がくるのをひたすら待つ。 敵の腹に銃口をおしつけて(寸法に注意してください刀が届かない距離になります).発射。相手は確実に死にます。この後.脇差を取り出して.殺した相手の首だけを切り取り対象のところに持っていって.領地とか金とかに替えます。 離れて打つ場合には相手が槍の場合です。 当時.私はなんたら天皇の末裔なんたらこうたらのの孫なんたらこうたらの息子なんて.20-30分かけて名乗りをあげて切り合いをはじめます。この名乗りをあげている相手をドカンと殺すという合理的殺人方法で成果をあげたのが火縄銃です。

tetujin23
質問者

お礼

なるほど 2~3mまで近くに来た敵に向かって撃てばさすがに死ぬということですね、しかし目の前に刀を振り上げた敵をまえに銃を構えるいうことはかなり度胸がいることではないでしょうか、それにしても戦国時代の戦いでも未だ名乗りをあげてから戦っていたのですか?

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