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父親の存在が怖かったのはいつ頃の時代まで?

昔は地震雷火事親父っていう言葉があったくらいなので父親というのは一家の中で怖い存在だったと思います。 でも、今は父親が怖いということはあまり無いと思うのですが、どうでしょう? 世間一般として父親が怖いと感じていたのはいつ頃の時代までですか? 適切なカテが思い浮かばなかったのでここに書きましたが、違っていたらすみません。

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noname#12846
noname#12846
回答No.3

ご質問の向きは「人間関係」のカテゴリーでいいと思いますが・・。 さて「今は父親が怖いということはあまり無いと思うのですが、どうでしょう?」ですが、残念ながら私の周りで、父親から”強さ”を学んでいる人は見当たりません。大体、お父さんの影がほとんどありません。 そして、この父親不在あるいは父像の不在は日本にだけかと言うとそうでもないようで、どうもヨーロッパでもそんな傾向らしいです。 「世間一般として父親が怖いと感じられていたのはいつ頃の時代までですか?」 少なくとも明治時代は、父親の家父長意識が根強い観はあります。そして簡単に言ってしまえるなら、一つの大きな転換は戦後のアメリカンナイズドされた生活感覚の過度な流入によるものなのではないでしょうか。それと一時期、暴走族に注意した近所のおじさんが刺されるなんてことが頻繁に起き始めたことも、影響があるかもしれませんね。 加藤典洋氏や岸田周氏のご本は、参考になるかもしれません。 蛇足ですが、私は母親の小言は聞き流しましたが、父親の咳払いひとつで「ごめんなさい」で育ちました。

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 >一つの大きな転換は戦後のアメリカンナイズドされた生活感覚の過度な流入によるものなのではないでしょうか。 これは納得できます。確かにそのあたりから変わってきたようですね。 とても参考になるお話でした。ありがとうございました。

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noname#12846
noname#12846
回答No.10

父親への「畏怖の念」(・・死語ですねぇ)、尊敬の念(・・これまた死語ですねぇ)、そういったものへの価値が見事なほど失われた現代は、ある意味不幸な時代ではないかと、私としても思います。でも、ここで皆さんが書いていらっしゃるように、個人個人の思い出の中にそれは落穂ひろいされるレトロスペクティブな像として辛うじて存在していますね。それは本当に大切なことだと思いますが、その一方で社会全体から見れば、そんな父親像は砂浜に砂金を見つけるかのように「稀れな話」になり、やはり死滅の危機のように見受けられます。 前に書きましたように、一気にアメリカンナイズドされた新しい価値の大波の到来で、「修身」の教科書が墨汁で塗りつぶされたように、人々の心の中でも、父親の価値が塗りつぶされた結果かもしれません。 質実剛健、 清貧、 男子たる者、厨房に入るべからず、 寡黙、 私の父親は、これらを地で行った人でした。 大正13年生まれ。 最期の10年ほどは心臓病を抱え、「爆弾をここに持っているよ」と笑みを浮かべながら言っていましたが、本当は不安で、眠れない夜を持っていたようです。でも、男はそんなことは口が裂けても言えない・・、そんな意地・誇り・矜持を持った人だったようです。 手本とすべき偉大なる父親像を心の中でイメージ出来ない男性の場合、なさることすべてが手探りで、大変ではないかと想像します。でもその思いが、それに通じる道になると思います。良いお父さん、立派なお父さん・・、頑張ってください。

daina_man
質問者

お礼

再度のご登場、ありがとうございます。 大正生まれですか、このくらいの時代はこういうお父さんが普通だったのかもしれないですね。今は確かに絶滅危惧種でしょうが・・・。 父親像がないのは確かに不利と感じます。妻のお父さんが家族中から敬われ慕われる人なので特にですね。こんな私なので妻は不満もあるようですが、少しずつでも成長して行きたいと思います。

noname#14206
noname#14206
回答No.9

20代前半、女です。 私の父は戦中生まれ(というのかな…)ですが、物凄く厳しかったです。 私の思い出を… 1.門限を30秒でも破ると玄関で仁王立ち。  「どこ行ってたんだ~!」と殴られました。 2.説教のときは殴るのが当たり前。  あるときは1m物差し、掃除機のホースで殴られました。  …痛さよりも痺れが先にきます。 3.食事は父親が「いただきます」を言ってから食べ始める。  父親が席を外していたら、「食べてていいぞ」と許可をもらって食べていました。  父親だけ刺身付とか、一品多かったり。 4.お風呂は父親が最初。我が家は男(父・兄)が最初、女が最後と決まっていました。 …懐かしい思い出です(笑) 父親が怒鳴った次の日は、近所の友達から「○○ちゃんのお父さんの声、凄かったね~」と言われて凄く恥ずかしかったことがあります。 友達から聞く父親の姿は「怒らない」「(父親に向かって)と言う」「お母さんから馬鹿にされている」など、私から見たら信じられない話が沢山でした。 今思うと我が家が特殊だったんでしょうけど… 未だに父親は怖いです(大分丸くなりましたが)。 私と同じ年代で、このような父親を持った人はあまりいないのではないかと思います。 長くなりましたが、参考までに(^^)

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 私よりもかなりお若いのにこの怖いおとうさんぷりはすごいですね。 希少価値がありますね。

  • dreamplaza
  • ベストアンサー率13% (145/1090)
回答No.8

地域性もありますが、世間一般としてとらえるのなら、火事親父は昭和40年代まででしょう。 それまでの親父は、給料を家に持ち帰り(振込みではない)、晩飯のおかずも一品多かったはずです。 それが当たらず触らずで子どもの機嫌を気にし、挙句の果ては友達感覚になってはダメでしょう。 うちの親父は、わたしが22歳のときまで「親父地震雷火事」でしたし、手もぼんぼん飛んでいました。 22歳から亡くなるまでの9年間は、わたしと親子喧嘩のしっぱなしでした。手のつけられない頑固なクソ親父でした。 44歳になった今、亡き頑固親父の血を継いで、やはり頑固であります。 子どもが2歳になりましたが、親父の一喝は威厳があると家内が申しております。 子どももさるもので家内の方に逃げることを上手に使っていますがね。 P.S 懐かしいHNに出会い、ふと一筆したためてみたくなりました。家内にもよろしく伝えておきます。

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 怖いぐらいのお父さんの方が良いのかもしれないですね。子どももうかつに悪い事出来ないし。 よく見たら親父が最初ですか!?すごいです。 お久しぶりです。いつぞやはお世話になりました。ここのサイトは今でも使っていますが「ライフ」のカテはあまり来ないのでお会いすることがなくなってしまいましたね。でも回答者さんのHNは覚えていますよ。特徴のあるHNは徳ですね(私もですね)。奥様にもよろしくお伝えください。

  • yumihiko
  • ベストアンサー率50% (76/152)
回答No.7

たぶん父親によるでしょう。 あと、現在だとあまり厳しいと幼児虐待になったり、あるいは限界を知らずに子供を殺したり怪我させたり、という羽目になったりしているので、昔風の頑固親父は絶滅危惧種と考えた方がよさそうです。 小生30代高校教師(社会)、父親60代元大学教授(化学)の場合: ~小学生:とにかく怖かったです(がくがくぶるぶる) 父の帰宅までに宿題が終わってないと拳固が数発飛んできましたから、父の帰宅時間ころになると「帰ってくるな~」と祈る毎日。 ~中学生:状況はあまり変わらず。テストのたびに呼び出しては小生の答案を見て、間違えた問題について地獄の特訓が(泣) ~高校生:中学校と同様。周囲でも父親が息子の勉強を見るのは小生のみ。ただし、部活(吹奏楽)の演奏があると必ず録音に来てくれたりするあたりで少し恐怖が緩和。とりあえず社会科では父親に勝てるようになったので精神的にも余裕が出たような。 ~大学生:いちおー一人前扱いしてくれるようになって殴られたり怒鳴られたりはしなくなりましたが、逆に大学での学業が進むにつれ、畑違いとはいえこちらがかなわないと思う場面が結構。 現在:未だに知力体力甲斐性かないません(涙)  とりあえず文系方面では知識量だけ上回った気がしますが、根本的に人としてのスペックが違う気分…… パジェロとパジェロミニみたいな。

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに怖そうなお父さんですね。これなら十分「地震雷火事親父」になりますね。いや親父の順位を上げなければならないかも?

noname#18700
noname#18700
回答No.6

祖父は小学校で修身を教えていたのですが、 戦後はまったく内容が変わったそうです。 ですから、昭和一桁の人と二桁の人とは、 考え方が違うと言ってましたね。 戦前教育と戦後教育の違いかもしれないです。 あと、地域性も関係すると思います。 その当時に教育を受けた人は、 自分にも他人にも厳しく育っているかも・・・ きっと、怖いと思います。 だから、昭和30年代迄に生まれた人のお父さんは、 きっと怖かったのでは? (昭和40年代頃から変化してきたのかも・・・)

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 修身、おばあちゃんから聞いたことあります。その内容が変わったのですか。そのせいもあるのかも?ですね。

  • hakuro
  • ベストアンサー率18% (30/164)
回答No.5

30代です。 よく姉妹喧嘩をしていた頃は怖かったですね~~~ 普段怒らない人でしたから、怒ったらゲンコが飛んできました(笑) 今は、う~~~ん。 怖いというより、理想の男性というより、尊敬する人かな~~~  そりゃ~~嫌いな時期もあったけど、結婚するならこんな人と思っていた時期もあったし・・・ 家族がいやで5年ほど疎遠でしたが、再会した時は怒られる!と思ってちょ~~びびりましたが、怒られず、元気だったか?と一言。 怒られるより、涙が出そうでした。 今は妹たちが結婚して落ち着いて、親の役目を終えたと思ったのか、ただのエロギャグを言うオヤジ、よくボケて目で突っ込みを求めるオヤジと化していますが、私が家族唯一、エロギャグ、ボケに対して突っ込みを入れてやっていますが、呆れず、やっぱり父親は偉大かな~~~(妹たちは、エロギャグを言うようになった父に突っ込みが入れられず対応に困っていますがね*笑*)

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 いいお父さんじゃないですか、羨ましいです。 多少のエロギャグは許してあげてください。

  • ecco90210
  • ベストアンサー率22% (315/1383)
回答No.4

こんばんは~☆ 私は39歳、今年40歳になるんです~(泣) 私の父はワンマンで気に入らない事があればどこでも誰でも怒鳴り散らす人間です。 私は小さい頃から自分自身もですが、人が父に怒鳴られてるのを見て来たので、そのトラウマが取れません。 この年になった今でも恐いです。 何で恐いのか、自分の方が体力もあるし、口も立つ、しかも父に好かれたい、嫌われたくないなどの思い入れが無いのに恐い・・・トラウマなのかPTSDなのか・・40才までには克服したい自分への課題です。

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 戦後生まれでもそういう家庭(人?)も居るんですね。でも多少は怖くても良いと個人的には思いますけどね。(そのぐらい怒ってくれる人が居たら私も今と違った性格だったかも?なんて思ってしまいました。)

  • mintmiko
  • ベストアンサー率21% (128/605)
回答No.2

今は、怖いというより、大きい存在ですかね。 さすがに、怒らせると手がつけられません。 (家族で一番強い。)そういう意味では、怖いかもしれません。 幼いころは、母が怒って、父が「もうしないよな?(笑顔)」みたいな感じだったので、幼心にこの笑顔を崩しちゃいけない(。@@川)と言う感じでした。 結局のところ、今もある意味で怖いです。笑 娘だからかもしれません。(彼氏が会いにくるときとかも微妙に怖い雰囲気をかもし出してたりしますしw)

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 回答者さんは健全に育ったと感じました。父親は少しくらい怖い方が良いと思います。(私自身は小さい時に父親を亡くしたので経験は無いのですが。)

回答No.1

次女の私は、父親に怒られた記憶があまりなく、キレやすい父親のことを、怖いと思ったことはあまりありません。。中学ぐらいで怒られた時は、ギャク切れしてたような・・。 しかし、幼い頃からよく怒られてた長女の姉は、大人になった今でも父親の事は怖いらしく、いまだにビクビクしています。。 キレやすい上、よく怒られてたトラウマと性格でしょうが・・・。 父親・子供の性格でも大きく違うような気がします。 こんなので参考になりますでしょうか??

daina_man
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに性格でも違うと思います。 私は昭和40年代生まれなのですが、同じ世代で父親が怖いという人はあまりいなかったと思います。 回答者さんはどのくらいの年代の方ですか?差し支えなければ教えてください。

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