• 締切済み

更級日記の作者は・・・

 作者は、13歳のころに入京してから25歳に父の孝標が常陸介に任ぜられて別れるまで、詳しく言うとどんな出来事があって、どんな生活をしていたのですか?  大まかに起こった出来事は分かるのですが、これを詳しく説明しなさいとテストに出るそうなので・・・どう説明したらいいのかが分からないので教えて下さい。。。  あと、これは私が勝手に思ったことなのですが、姫君という事になっている猫が現れたとき、どうしてすぐにその姫の父親の所に連れて行かなかったのでしょうか??見せようと思っていたのに・・と後で後悔していたような文があったような気がするので・・・ちょっと気になったので。やっぱり、気味悪がられたりしそうだったからでしょうか??  

みんなの回答

  • toko0503
  • ベストアンサー率36% (886/2437)
回答No.1

更級日記は、作者が13歳の秋に、父の赴任地だった上総国から家族と共に京に帰って来る時の旅日記に始まり、その後、京に戻ってからは、物語に読みふけり夢にあこがれ、肉親や知己との生別、死別の無常観を思い、次いで、宮仕えに出て、若い頃描いていた夢が破れたりしつつ、やがて30歳(過ぎ?)で結婚して、子供を2人産み、平凡な生活を送る中で、52歳で夫に死別し、淋しい晩年には幻想的な仏の道を思いつつ、一生を振り返る、……… という人生の回想録のようなものですよね。 猫の場面は「父親の大納言にも姫がここにいらっしゃる、ってことを知らせたいわ」と猫に言うと、猫の方でも何となく、その気持ちが分かったような様子なので、"あはれなり"(とてもいじらしくて胸を打つ思いだわ)と言っているので、連れて行かなかった、とは言ってないと思いますよ。(^^) その後、火事で、この猫は死んじゃうんでしたよね? 参考までね。 テスト、頑張って下さいね~  p(^ ^)q 

aipiyi
質問者

お礼

お礼が遅くなってしまってすみません(><) テスト終わりました~♪ 勘違いのまま受けることにならなくてよかった・・・。 ありがとうございました☆

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