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更級日記
こんばんは。 中学3年生の受験生です。 「更級日記」を訳してみたのですが、結びつかない文になり困っています。そこでサイトで検索してみたのですが、探し方が悪いらしく今のところ見つかりません。 野山蘆荻の中を分くるよりほかのことなくて、武蔵と相模との中にゐて、あすだ川といふ、在五中将の「いざこと問はむ」と詠みける渡りなり、中将の集には隅田川とあり、舟にて渡りぬれば、相模エの国になりぬ。にしとみといふ所の山、絵よくかきたらむ屏風を立てならべたらむやうなり。片つ方は海、浜のさまも、寄せかへる 浪のけしきも、いみじうおもしろし。唐土が原といふ所も、砂子のいみじう白きを二三日 ゆく。「夏は大和撫子の、濃くうすく錦を引けるやうになむ咲きたる。これは秋の末なれば見えぬ」といふに、なほ所々はうちこぼれつつ、あはれげに咲きわたれり。「唐土が原に、大和撫子しも咲きけむこそ」など、人々をかしがる。 (菅原孝標女 『更級日記』 この文の訳の参考になるサイト・古典の訳し方のコツなどがありましたら教えて下さい。 一生懸命がんばり、国語を得意にしたいと思います。 すみません。よろしくお願いします。
- asamitan
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この文は、問題文の1部分ですか。もしもそうでしたら、回答を見る ほうが、疑問は早く解決すると思います。 一般的に、更科日記の中での隅田川は、「4 その翌朝そこを立ちて その翌朝(つとめて)そこを立ちて、下總と武藏の境にて、あすだ川 〔隅田川の古名〕といふ、在五中將〔在原業平〕の、いざこと問はむ と詠みける渡なり。・・・」と、なっていますね。 状況や文が、本文と違うものを訳すサイトや本はないのでは。 この文を使って勉強するのなら、古語の単語学習とか文法の勉強ですね。 しっかりした教科書をしっかりした辞書で調べて、しっかりノートに きれいな字で、縦書きで記録し、訳してゆけば、良い古典訳ができると 思います。がんばって下さい。 以上
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- OKAT
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この質問文は下記サイト「更級日記(有朋堂文庫)錯簡修正版」によれば「6 野山芦荻の中を」と「4 その翌朝そこを立ちて」が一部ずつくっついた形になっています。このサイトにリンクしている「未修正版」(この質問文にある本文)も見られます。未修正版の「6 野山芦荻の中を」がそうです。現代語訳のサイト探しましたが、現在リンク切れで見つかりませんでした。訳本をお持ちで文の内容が食い違うのであれば、二つの部分をくっつける必要があるかも知れません。
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