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統一教会の原罪の解釈の仕方とキリスト教の原罪の解釈の仕方

統一教会の原罪の解釈の仕方(ネット上にある原理講論から引用しました) 罪を犯す前、アダムとエバは裸でいても恥ずかしく思はなかった。しかし、彼らが堕落した後には、裸でいることを恥ずかしく思い、無花果の葉を持って下部を覆ったのである(創3:7)もし、善悪の果というある果実があって、彼らがそれを取って食べて罪を犯したのだとすれば、恐らく彼らは手か口を隠したはずである。なぜかと言えば人間は恥ずかしい所を隠すのが本性だからである。したがって、この事実は彼らの下部が科となったためで、それを恥ずかしく思ったということを表しているのである。ここから、我々は彼らが下部で罪を犯したという事実を推測することができるのである。 統一教会では裸を恥ずかしがるというより、下部をあらわにすることを恥ずかしがっており、キリスト教では裸であることを恥ずかしがっているように見えます。ここで質問です。統一教会では葉で下部を隠したということを上記のように詳しく説明していますが、キリスト教ではあの創世記にある「自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした」という部分で、なぜ恥ずかしがって先に腰の部分を隠したのですか?キリスト教の場合ではここはどう解釈しているのですか?

  • vovo2
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みんなの回答

回答No.27

そもそも統一教会はフランスの反セクト法にも定められているカルト宗教です そんな邪悪な宗教の解釈など論じるに値しません お金をむしりとられ、肉欲に溺れるだけですhttp://en.wikipedia.org/wiki/List_of_groups_referred_to_as_cults このページを「Unification Church」で検索すれば出てくるでしょう http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E7%9A%84%E8%87%AA%E7%94%B1%E3%82%92%E4%BE%B5%E5%AE%B3%E3%81%99%E3%82%8B%E3%82%BB%E3%82%AF%E3%83%88%E7%9A%84%E9%81%8B%E5%8B%95%E3%81%AE%E9%98%B2%E6%AD%A2%E5%8F%8A%E3%81%B3%E5%8F%96%E3%82%8A%E7%B7%A0%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%82%92%E5%BC%B7%E5%8C%96%E3%81%99%E3%82%8B2001%E5%B9%B46%E6%9C%8812%E6%97%A5%E3%81%AE%E6%B3%95%E5%BE%8B%E7%AC%AC2001-504%E5%8F%B7%281%29 このように、反セクト法とは統一教会信者対策のためにできた法律です

  • age1118
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回答No.26

ずい分古い質問ですが、失礼。 キリスト教では、善悪の実を食べて賢くなったから、裸であることを知ったと解釈し、特にどこをというのは、焦点になりませんね。また、その実も何かある種の実であると解釈したり、しなかったりと様々ですね。キリスト教の教義において、このことは、あまり重要視されていないようです。むしろ、食べるなと言われたものを食べたことが、不信仰の象徴として、重要なポイントになります。 一方、統一教会は、これが罪の根と結びついていると考えます。教義上とても重要な要素であり、人間の堕落・罪とは、神様の愛の秩序を壊したことにあると捉えています。

noname#66269
noname#66269
回答No.25

あなたの問いは、根本において意味の無い問いになっています。何故なら、統一教会の教義を考える前に、まず最初に、統一教会の根本教義すなわち 「文鮮明」 が救世主であることを信じるかどうか、そのことをハッキリとしておかなくてはなりません。原理講論の内容は、すべて文鮮明の思想・考えを表しています。そこには “何故” の問いが入り込むスキはありません。ただ、彼がそう述べたからそうなんだ、としか言いようがないと思います。ましてや、他の宗教(キリスト教)と比較することなど、ナンセンスです。 私も、学生の頃、友人の勧めで、一時、統一教会と接触したことがあり、原理講論を熟読したことがありましたが、その内容はキリスト教の聖書とオーバーラップしているにもかかわらず、到るところに矛盾点があり、それを指摘して統一教会の講師にひどく敬遠されたことがあります。

  • vincero
  • ベストアンサー率35% (28/80)
回答No.24

>善悪とは一人の人間である個人によって成り立つものではありません。  上記のNo.23で書かれた意味がわかりずらいかもしれませんので、もう少し説明します。  例えば、神も存在せずこの世にあなた一人しか存在しなければ、あなたが善悪を判断できるものは何一つありません。  あなた一人で判断できるものは快感や苦痛など、好きか嫌いかであり、それだけでは善悪としての判断はできないのです。あなた一人だけでは、善悪を生むことはできません。  善悪を生むには、あなたと同じ感覚があり、共通認識ができる対象(他人)が必要となります。お互いに快感であったり好きなものは善であり、お互いに苦痛であったり嫌いなものは悪と考えることができるようになります。あなた一人では感覚的であったものが、同じ感覚をもつ対象(他人)との共通認識により、善悪は生まれるものなのです。 ヨハネ福音書 1:1 『初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。』  聖書に書かれたこの個所は  「神」=「ことば」=「ロゴス」=「論理性」となります。  善悪を判断する基準は、絶対主義(神)と民主主義(社会性)では異なります。  絶対主義では神を基準に善悪が判断されます。  「神→人間」  民主主義では社会性を基準に善悪が判断されます。  「社会性→個人」 

  • vincero
  • ベストアンサー率35% (28/80)
回答No.23

 「悪の心」善悪について  『善を理解するには、悪を知らなくてはできません。悪が無ければ善もありません。人間にとって善悪を判断するのは主観的なものなのです。』  『そもそも善と悪を分けることが、全ての人間に罪を与えることになります。なぜならば悪は罪と等しいものだからです。主観的な判断でですが、全ての人間は善悪を理解できます。』  とNo.4で回答しました。善悪とは一人の人間である個人によって成り立つものではありません。個人だけで判断するのならば、「快←→不快」などのような感覚であります。これを個人ではなく、社会が考えた場合には不快指数などがあり、そこから基準が作り出されます。  その基準から「快←→不快」を「善←→悪」とも考えることができます。そのことから、善悪とは人間の社会性が生み出すものとわかります。  人が社会にとって不快な考えを持つことは、「悪い心」を人が持つと同等の意味になります。  「社会にとって不快な考え」…「悪い心」  >なぜ神の命令を破ったことで裸であることを恥ずかしがったのですか?  神は人間の親であり家族でありましたが、人間が神から離れたことにより、他人と同じ存在になりました。  現在、神に代わって社会が人間を支配しています。社会とは他人同士の集まりであります。   家族や夫婦の場合には恥ずかしくはないことも、他人には恥ずかしいものがあります。個人にとっての喜びは、他人とって不快になるものもありまです。  例えば、とても高価な(生命に等しい)プレゼントを人からもらっておきながら、その人を裏切ってしまった場合。そのプレゼントを返すこともできなければ、その人から逃げて隠れようとするでしょう。それでも見つかった場合は、その(生命に等しい)プレゼントをその者は隠そうとします。  例えがおかしく感じるかもしれませんが、これが私達人間の罪による結果といえるものです。      

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.22

再度なんどもすいません ^_^; キリスト教(ユダヤ教もだと思いますが) サタンとは、悪口を言う人 って意味です。 つまり私のように「意義あり!」と異論を唱える人です。 キリスト教にとってはあたしはサタンで、とても煙たい存在です。 ^_^; 真理を得たと思った人の言葉を、じーっと見て、「あ、、ゆがみみっけ」って横からつついちゃっているので。 笑 哲学では、「異議あり」はあたり前です。 前の理論を吟味しておかしいところを訂正して、前の理論を用いつつ、新しい理論を作り出しているのが哲学。 つまり人間の知恵のリレーで、次の世代へバトンを渡していっているわけで。 崩されることを了解した上で、せいいっぱい知恵を絞って バトンを受け取り次に渡しているわけで。 だから覆されても哲学やっている人は「きーっ」ってなりませんよね。 自分の論が覆されると、「ラッキー!サンキュー」です。 が、宗教は意義を認めません。 「人間は考える葦である。」 ところが「考えるな 教えたことを真とすればいい」 または「考えてもいいが 答えがこうなるように考えなさい」です。 聖書にはサタンがよく登場し、それぞれの人生の主人公と問答をします。 これは自分自身との心の対話だと思います。 「疑う心が芽生えたが、これは自分ではなくサタンだ」って事にする。 つまり自分ではないから自分は汚れてなどいないという自己防衛によるものだと思います。 ということで、今度統一教会の人とサタンについて論じたとき、サタンの意味を知っていて聖書を読んでいるのか聞いてみればいいと思います。 意味を知っているのと知らないでは、全然違う書物になりますから。 というか、ギリシャ語に翻訳された時点でもう間違っているらしい。。。 その誤訳を真として懸命に考え、難しい 難しいって。 矛盾していては 結果がこうなるようにって考えても、終着点自体が誤訳なら、いくら考えても結果そうならないような。 だって1+1=3になるように考えなさいって言われて、それが真理とされたら考えますよね。 難しいが懸命に頭を悩ませどうしたら1+1=3になるのか、いろいろ詭弁使ったあげく、胸を張って 「真理を得ました。こう考えれば1+1=3になります。」 「おおお さすが! なるほどそうです。よくわかりましたね。1+1=3です。 みなさん これが間違っていると思うお馬鹿さんはまさかこの中にいませんよね」 「いませーーん わかってました 同じです」 そこに、「すいませーーん 3じゃなくて2でした。翻訳間違えちゃった~」 ああ、裸の王様・・・。

  • kigurumi
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回答No.21

>この宗教とは統一教会のことですか? いえ、キリスト教の母体 ユダヤ教のことです。 >彼らから見れば私は間違った結婚をした両親から産まれたサタンの血統を持つ子ですからね(^^; へー 統一教会って文鮮明氏が指名した相手と結婚しなかった両親から生まれた子どもはサタンの血統ってなるんですか。 統一教会はそんなに詳しくないですが、合同結婚式があって、文鮮明氏が決めた相手と結婚をしなければならないという掟があるんですよね。 確か前聞いた話では、文氏が写真を空中にばら撒いて、それを信者がバーゲンセールの突入のごとく、われ先にと争って、拾った写真の人とその場で結婚したとか。 聞いた話では、過疎の韓国の農村では嫁不足で、日本人の女とやりたい。。。いや 結婚したい人がお金を積んで、日本人と結婚をするように計らってもらい、過疎の村に嫁いだとか。 言葉も風習も違い、儀式も無くレイプ状態で初夜を迎えたが、過疎の村なので、逃げれなくてしょうがなくて、文氏が決めたからとそのまま暮らしているのだとか。 天蓋孤独だが信仰が救ってくれるのでしょう。 韓国では、文氏は宗教家ではく実業家として知られているそうです。 送金にはお金がかかるので、信者が直接現金を持って飛行機の乗ってお金を韓国に届けていたのだとか。 それで不明なお金の流れを止めるために、法律で個人の所持金にも税金をかけることになったとか。 大量に日本で集金したお金が韓国に信者によって運ばれているんですよね。 昔バイトしていたところによく幹部が食べにきていましたっけ。 一食2万円~3万円のご馳走食を月一回食べにきてました。 恐らく他の店でも食べていたでしょう。 みなさん とてもふくよかな体系でした。 >正統派とはどこのことですか? バチカンを総本山とする派。 >私も検証本の「ダ・ヴィンチの暗号を解読する」を読んでるいる途中です。 あ、、、解説見ると私の読んだ「ダヴィンチ コードの『真実』」と同じような内容ですね。 >このダ・ヴィンチの暗号系の本を読んでいると、本当に文氏(統一教会の教祖)の >前にイエスが現れたのか? んーー 彼がどうして宗派を設立したのかは知りませんが、多くの宗派の教祖は、神が現れたと信じて、自分の解釈が正しいって信じて、自分なりのキリスト教を設立するんだと思います。 日本にもいくつかキリスト教関連の宗派を作っている人たちがいあますが、それぞれの設立者達はキリストと会ったとか言ってますから。 みんな解釈が違う。 毎回イエスは言うこと違うんでしょうか・・・。 なんでしたっけ?えっと、、、脳の中の幽霊って本があるんですが、側頭葉人格とかいうのがあって、その部分を刺激すると、神と遭遇したような体験になるのだとか。 アルファー波だったかベータだったか忘れましたが、それが異常に高くなるらしい。 脳内物質の異常により起こるんだと思います。 そうなった人に「本当に神がいるとおもいますか?」って聞くと あきれ返った顔で「あなた・・・他に何があるっていうんですか」(そんなわかりきった事を聞くなんてアホじゃない)って答えるそうです。 その人にとっては神と出合った実体験だとしか思えないので。 つんつんって磁器器具で的確な部分を外から刺激すれば、誰でも神と遭遇したとしか思えない体験ができるんでしょうね。 昔の人は磁器とか器具を使ってトリップしていなかったと思うけど、麻薬を使っていたふしがある。 麻薬だとは知らずに食べて、麻薬が切れた後も神と遭遇したと、信じたのかもね。 なんせ、麻薬ですから、通常の思考 感覚を超越した状態になるので。 私の知り合いが、遊びから白い粉を外国でやっちゃいました。 見事にトリップした。 その後、そのトリップした時の異常体験を現実に起こったことだと信じていたんです。 記憶がそうなってしまったから。 「ありえない」っていくら言っても、「そうだろうけど、でも神が現れテレビから話しかけてきて、テレビから出てきたんだよ。」って・・・。 「あのね・・・」って言っても無駄でした。 リンク先の本の内容、解説で読みましたが、私が読んだ ダビンチコードの「真実」にも同じような内容も書いてありました。 ダビンチは反キリスト教だったって説が書いてあり、彼は反キリスト教の人の弾圧が吹き荒れる中、こっそり知りえた事を絵画に託したって説。 世界で一番お金持ちはビル・ゲイツってなってますが、本当の世界一はバチカンなんだとか。 絵画に値段がつけられないから、番付に乗らないだけ。 その絵画がダビンチのイタズラだったとしたら、えっらいこっちゃになります。 何億という絵画が、コミック風刺がになっちゃいます。 とまあ、本題から外れちゃってすいません。 アダムとイヴが一番最初の人間だって説。 大洪水があって、ノア一家以外水死したってことになっている。 全人類の祖先はノア。 私らアジア人はその中のセム族。 へーーーー 地球人はみんなユダヤ人なんだ~。 でもね、ダビンチコードの真実に書いてありましたが、最初は今より宗派がものすごく多かったらしいです。 多様だったそうです。 それで軍隊を味方につけた団体が他の解釈をする団体を「異端」として弾圧していったらしい。 力で正統派となった団体がこれが正しい解釈だって押し付けたみたい。 そりゃあ 恐ろしい世界だったそうです。 裸の王様状態。 すばらしいって言わなければ拷問され殺された時代ですから。 で、弾圧された宗派の書物は焼き捨てられたはずだったんですが、実はこっそり隠してあって、2000年後くらいにポコっと出てきちゃった。 それで今もめているらしい。 そもそも最初の創世記の今の解釈が正しいのか から見直す作業が始まったところだって。 といっても、神の真意が書いてあるわけじゃなくて、人間の作った「これが絶対」って非のうちどころのない理論を完成させるだけであって、それがイコール神の真意とはならないんだけどね。 例えば、タイムマシンは理論上はできるけど、現実不可能でしょ? 机上の理論でしょ? 人間は生きている。 肉体を持っている。 その肉体をおざなりにして、死後の世界とか霊魂とか それはそうなったとき 真実を見てまだ感知する能力があれば永遠なんだから考えればいいんだと思うのよね。 まずは 今。この限界という肉体を持った今をどう生きるかだと思うのよ。 アダムが最初だとか、イヴはアダムのゆがんだあばら骨からできたから、女は歪んでいて、男が完璧だったのに、騙して堕落させた張本人っていっくら言ったところで、「おっさん あんたの女によろめくのは 女のせいじゃなくて あんたの性欲のせいです! あんたは健全な肉体を持っています。だから女に欲情するんです。 ただし 女のせいにしたがるその精神がいびつなんです!」って創世記読むたび ムカムカ腹立つのは私だけでしょうか。笑 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047912255/qid=1119193370/sr=8-2/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/249-6013756-8306740 魔女の鉄鎚はホントにあったらしく、正統派と言われる宗派の二人の修道士が作ったらしいです。 「女の髪を全部そぎ落とし はだかにして後ろ向きににして魔女裁判にかけ、一気に殺さず 地獄の苦しみを与えるように」って。 時には逆さ刷りにもしたらしいです。 そして苦しみから思わず「わたしは魔女です」って言わせた後 処刑したらしい。 ようやくゲロしたか しぶとい魔女めって。 15世紀頃私生まれていたら、キリスト教に拷問の末 殺されていたでしょう。 拷問の際 思いっきり毒ずくでしょう。 どうせ殺されるのだから。 「おっさん あんたがイン○なのは私のせいじゃないし、男色家なのは私のせいじゃないし、あんたの愛する男が女に恋したのは私のせいじゃありません おっさん 目をさませ わたしは男色家 容認していますから~」って叫ぶでしょう。 です。 こんな宗派がまとめたのが現代広く流通している聖書です。 いびつですよね。 創世記の解釈のところからしていびつですよね。 曲がった姿勢でどうやって真理を見れるのでしょう。 ってことで、そもそもこの聖書は。。。ってことからやり直しですよね。 どうしてそういう聖書になったのか から。 どうして統一教会がそういう解釈に至ったのか からみなおすと 結構わかるかも。 何かあったからそうなったんだと思いますよ。

  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.20

たぶん今まで通して考えることのできることは それぞれのクリスチャンと同じ様にに考えている人も いますが最終的に違うことはメシヤが誰なのか? ここが違いますね。イエスが救い主であるなら もう世界に平和が訪れているはず。来ていないのは 失敗したからだと、統一教会で教わった事があります救い主がイエスです. なぜ救われないのか?本当の意味で「信じていないから」だと思います。

  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.19

下部というのは象徴で一番大切な場所、本来の信仰ならそこを見せなくてはならない。あくまでもたとえであり、創世記を真実だと考える必要もないし、そこから私たちは堕落したということも考える必要もないでしょう。なぜなら救いはイエスを信じることにあります。創世記を信じて福音書を否定しているのはちょっと疑問ですね

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.18

またまたすいません ^o^; 誤解があるかもしれないので言いますと、わたしは http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/249-6013756-8306740 は読んでいません。 私が↓で書いた「ダヴィンチ コードの『真実』」は http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4812419255/249-6013756-8306740#product-details です。 こっちを読んだ上で書きました。 表紙 似ているし、タイトルも類似していますが、別物です。 えっとーー、これは フィクション小説 あるいは推理小説の<ダ・ヴィンチ・コード>について、いろんな学識者からの意見を取り入れ、場面場面が正確かどうかが書かれているのです。 あくまでフィクション小説ですが、現在事実とされているものを作品にそのまま取り入れているのか、作者の推理なのか って事を、宗教学者やその他博識者にインタビューして検証している本です。 ただ単なる検証本ではなく、キリスト教のなりたちや聖書のなりたちにもちょっち触れています。 又、秘密結社などにも触れています。 人類はこの世をどうしたがっているのかも、なんとなく読めてくる。 つまり人間とはかくあるものだってのが、なんとなく読める。 へーーボタン いっぱい押せる書物です。 難解な聖書をこういう見方すれば、「だからか」って聖書の編集者の意図が読めてくる。 つまり神ではなく 人間がこの世をどうしたいのか読めてくる。 恐ろしいが、これが人間というものか ってなり、目を逸らしたくなるような歴史に目を逸らさず勇気を奮い立たせ、人間の悲しい性を見つめるきっかけになる本ですよ。

vovo2
質問者

補足

私も検証本の「ダ・ヴィンチの暗号を解読する」↓ http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4537252731/qid%3D1119162817/249-8953672-3404341 を読んでるいる途中です。このダ・ヴィンチの暗号系の本を読んでいると、本当に文氏(統一教会の教祖)の前にイエスが現れたのか?とか思ったりします。

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    こんにちは.当方,哲学・宗教についてはまったくの素人です. どうかお教え下さい. アダムとエバが犯したとされる原罪についてですが,これを取り除ける(祝福できる)のはメシアのみとされています. イエス以降,現代に至るまで,メシアを称する宗教者があちらこちらで現れているようです. 各人が本物のメシアかどうかについての議論はともかく,果たして信仰心なき者は,メシアからの祝福を受けることはできないのでしょうか. そもそも原罪がない状態とは,宗教学的にいかなる状態を指すのでしょうか.理想的には神が創造した人間本来の状態を指すのでしょうが,正直想像できません. 迷いの無い,実に晴々しい状態なのでしょうか. サタン的思考で大変申し訳無いのですが, 原罪が無い状態というのは,実際のところ,メシアを称する宗教者による洗脳が完成された状態(宗教学的祝福=心理学的洗脳の完成)を指すのではないでしょうか. たとえば,Wikiによると,統一教会のトップである文氏はメシアを名乗っている様ですが,巷では祝福どころか詐欺者扱いです. 単に本物のメシアが未だ再臨していないだけのことなのでしょうか. また,メシアによって原罪を取り払われたとする男女の間に生まれた子は,理論上,先天的に原罪が無い状態にありますが,後天的に原罪が復活することもあるのでしょうか. 当方,原罪があるが故に分からなくなっている状態にあると思われます. 原罪の無い方,あるいは何かご存じの方,この迷える子羊(?)にどうか教えを説いて下さい. 万一,ご気分を悪くされた方がいらっしゃったならば,お許し下さい.悪気や批判の念は一切ございません.

  • キリスト教を信じておられる方に質問です。

    キリスト教を信じておられる方に質問です。 下のような疑問に対してどう考えられているのでしょうか。 (1)神とは何でしょうか。絶対唯一神がすべてを造った。そして神は全知全能、完全であり 愛であり、善である、等等いっておられますが、その存在の因果関係、神の実体は全く 明かされていません。もし本当に完全な神が私たちをつくったというならば何故、生まれながらの 不平等や一生、不幸の宿命に泣く人がいるのでしょうか。 (2)キリストの贖罪愛で地上の罪は消えたはずなのに、いっこうに減らずますます複雑多元化している 事実。 (3)キリスト教では、よう信仰が深まれば死に 直面しても驚かないとか、不安に耐えうるとかいってるが、それはすべて あきらめの結果であるのではないか。 (4)キリスト教には現実の生活を変える力がない。生活の 苦悩をいいわけする論理をくみ上げてあるだけである。 現世の宿命すら 転換することができないのだから、まして天国などという来世の保証など およびもつかぬ話である。というのに反論できるのでしょうか。 (5)宗教の究極である生命に関して、 紀元前4年に誕生したキリストの母は、処女マリア、 父は神であったという。 そして三十歳ではりつけになったキリストは、三日目に 復活し、1ヶ月後には昇天したとしている。 たんなる科学の常識から考えても、 まことにバカらしい話であるが、キリスト教では、これをそのまま信じている人も あれば、宗教上の一表現として、合理化した解釈をたてたりしている。 しかし どんな理屈をつけようと、宗教の教義は万人の納得する普遍妥当性のある哲学 でなければならない。仏法は生命とは何か、死後はどうなるか、原罪の幸、不幸はなにによって決ま ったのか。 こうしたらあらゆる生命の状態を、因果のうえから解き明かし、そのうえ で原罪の宿命を打開し未来の宿命を開いていこうとするものである。仏法に劣る教義ではないか。 (6)敵を愛せよというキリスト教が、教会に対立したガリレオ等、多くの科学者を迫害してきた事実。 (7)日本のキリスト教の町、長崎に、真っ先に原爆が投下されたこと。 (8)日蓮大聖人は竜の口で命におよぶ難に勝たれたが、キリストの死は悲惨きわまる横死であった。 (9)キリストの予言は1つよして実現していない。 (10)世界教会運動が提唱されているほどの内部不統一は、教義が無力だからではないか。 (11)清貧、精神愛を説きながら、ローマ法王庁が示してきた膨大の権力、圧政の歴史ついて。 (12)キリスト教各派中どれが正統主義のキリスト教か? 他派はみな邪義をかまえ、キリストに背く罪深き人になる道理だが・・・・。 (13)法の無力をカバーするために盛んに社会事業を行って民衆を迷わせているのではないか。 拙問ですが、おねがいします。

  • キリスト教改革は可能か?ここが変だよキリスト教?

    キリスト教は宗派は沢山有りますが信者も非常に多く、20億人を越えるそうです。 そして英語圏やヨーロッパ等に多いため、世界への影響力も大きいです。 しかしそのキリスト教の神は一つの筈なのに、もう信者は分派してバラバラです この宗教が一つに纏まれば相当大きな世界的改革が可能と思われます。 昔日本でも流行った世界基督教神霊統一協会(統一教会)もそれを実現しようと 文鮮明の元信者を増やしました。しかしその教えが妥当なものではなかった為 お金は集めましたが 日韓トンネルも実現しないまま 合同結婚式で色んな弊害を出し 霊感商法と呼ばれ、反社会的と言われついに教祖の文鮮明氏も達成を見ないまま 92歳で死去しています。他にもエホバの証人やモルモン教等のキリスト教新興宗教が 出ましたが飽くまで聖書的で 聖書自体から何を学び、何をどう解釈するかが定まらず イエスの復活 イエスの死 イエスの贖罪 三位一体説 進化論 言葉 永遠の命 神への愛 隣人愛 敵への愛  神の死 原罪 終わりの日 楽園追放 姦淫など 解釈が一定でなく 現実とも異なるためもはや現代にそぐわない所が出来て来て 日本の仏教と同じで 聖書もろくに読まない信者も多いと聞きます。 このキリスト教を改革しないとこの世界の精神状況は現実と乖離するばかりです。 キリスト教をどう活かし、どう改革すれば世界は変わるでしょうか? 日頃神について疑問に思うことなどお聞かせ下さると幸いです。

  • 原罪がいまだに その贖罪とともにだが 言われるのは

     ・・・どうしてか?  原罪は なぜなおいまだに それが人にはあると言われつづけているのでしょう? ――これが 問いです。  キリストによるそれの贖いもともに言われるのですが それでも なおまだ原罪がなくなったとは必ずしも聞けない場合があります。なぜでしょう?  それは もし文献の問題とすれば エレミヤ書31:31以降に《罪は覚えられることはない》であったり《主を知れと言っておしえることはない》であったりと書かれており しかもそれらは ヘブル書にも取り上げられています。  ▲ (ヘブル書8:7-13) ~~~~~~~~~~~  もし、あの最初の契約が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。  事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。    「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、     新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。    「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、     エジプトの地から導き出した日に、     彼らと結んだ契約のようなものではない。     彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、     わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。    「それらの日の後、わたしが     イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。    「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、     彼らの心にそれを書きつけよう。     わたしは彼らの神となり、     彼らはわたしの民となる。     彼らはそれぞれ自分の同胞に、     それぞれ自分の兄弟に、     『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。     小さな者から大きな者に至るまで     彼らはすべて、わたしを知るようになり、     わたしは、彼らの不義を赦し、     もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」      (エレミア書 31:31-34)  神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  原罪は 悪魔とともに 方便であり もともと無い。ということではないのですか?  ということで もう少したたき台をつづります。  1. 原罪は 無い。方便として説明したのみ。悪魔としてのヘビが 方便として表現じょう用いられたのと同じだ。  2. 無明(≒煩悩)が 乗り越えられないものとしてあるのではないのと同じように--なぜなら ブッダター(仏性)ないし神の霊がやどる存在である-- 原罪が 不治の病いであるということはあり得ない。  3. スサノヲ市民たる人間の《自治 また 共同自治》が なかなか思うようにならないこと(=《苦》)の説明に 悪魔なるヘビとこの原罪なる観念が引っ張り出されたのみ。  4. 悪魔は 一般に人びとのあいだで想像されていたもので そのような社会通念を ヘビにかこつけて用いたのみ。分かりやすい。  5. 原罪という観念は 悪魔のしつこさに当てはめたのみ。ただ ひとの自由意志は ヘソを曲げることがある――それすらも 自由――と認識したのみ。  6. 世界の初めに じんるいの始祖たちのマ(間)のチガイを方便として引き合いに出したものだから このあやまちとそれを世代を経つつシガラミとして引きずるさまを 白紙に戻す意味で イエスが十字架にかかって《原罪の贖い》という物語として説明した。のみ。  7. 人間の知恵や努力だけでは すべてを乗り越えることはむつかしいであろうが 人びとはすでにそれぞれ心の内にそのシガラミのシツコサから自由なチカラの湧き出るのをおぼえているのではないだろうか。    8. あとは 外なるシガラミのチカラ つまり社会力学上のクウキのようなチカラ これを屁の河童と見るという課題が残るのみ。それらは 人間の意志を踏みにじるという無効の意志に発した行為であり 初めからなかったことにひとしい。原状復帰させるべきことであるのみ。(盗んだものは 所有者に戻される)。  9. 外なるクウキのチカラに巻き込まれて行くことと 内から出る理性のワル知恵に誘われることとは 別である。  10. 悪魔は方便であり 無明も原罪もともに屁の河童であるなら 靄は晴れて行くはず。――これが 内なる心の問題だ。  すでに問うたことがありますが なお問う必要を感じます。よろしくご教授ください。

  • プロテスタントと離婚(長文)

    こういう質問をここでしてよいのかどうか迷いましたが、適当な場が見つかりませんでしたので、質問させていただきます。 先日、キリスト教のホームページでインターネット放送(?)を聞いていて、ふと気持ちが軽くなったように感じました。 もっと接点を作るため、教会(プロテスタントの)に行ってみようかな、と思っています。でも、調べていて、キリスト教はどうやら離婚を認めていないか、認めていても消極的で良く思っていないらしいということ、再婚もよく思っていないらしいということがわかってきました。 私の婚約者は離婚経験者です。私は彼の離婚の直接の原因ではないものの、そのことも悩みの一つなんです(多分、私の考えすぎだと思うのですが)。クリスチャンではないものの、彼の状況を知った時、「これが原罪というものなんだろうか」と思いました。詳しく書けなくてごめんなさい。 離婚は罪だと自覚しているからどうしようもなく苦しくて、だからこそゆるしが欲しいのに、さらに「あなたは罪を犯しているのです、でもゆるしてあげます」と言われるのはさらに苦しく、セカンドレイプ的にも感じてしまいます。それならば、罪など感じず、開き直っている方がどんなに楽でしょうか。なんだか矛盾を感じずにいられません。 それで、プロテスタントで「離婚」ということから逃げずに、現実に即した解釈を行っている宗派、または教会がありましたら、教えていただきたいのです。よろしくお願いします。