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原罪と磔

benderの回答

  • bender
  • ベストアンサー率45% (108/236)
回答No.8

「一般的にどう理解されているのか」というご質問ですが、自分にわかる範囲で発言したいと思います。 No.2の方が書いておられる「その後誰だったか忘れましたが…」というのは、おそらくアブラハムとその息子イサクの話だと思われます(創世記22章)。聖書によると、神はアブラハムにイサクをささげるよう言っているのですが、イサクがささげられる前に、神自身がイサクのかわりとなる小羊を備えたと書いてあり、イサクは殺されていません。イサクの息子がヤコブで、ヤコブは後に名前をかえイスラエルと名乗りました。 http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/bibleftxt.php?VR=6&CI=278&CV=99&FR=H 話は戻るのですが、アブラハムのイサクをささげにいく道中の発言から、彼は、最後に神がどうにかしてくれるだろう、とはじめから期待していた節がうかがえます。このことに関して、新約聖書ヘブライ人への手紙11章を最後まで読むと、イエスの死後すぐに、イエスを信じた人たちの間では、神に信仰をもつことにより救いを得る、という理解があったようにうかがえます。 http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/bibleftxt.php?VR=6&CI=14859&CV=99&FR=H 以上にもみられるように、旧約聖書に書いてある内容は、身代わりとなるイエスが現れることを暗示している、というのがキリスト教の理解だと思われます。何にたいしての身代わりか、ということに関しても旧約聖書に書いてあるようですが、ちょうどNo.3の方が参照されていた新約聖書ローマ人への手紙5章19節によると、「すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人が罪人とされたのと同様に…」という部分は、アダムの罪により(14節からアダムのことが書いてあり、「ひとりの人」はアダムを指すと思われます。木の実を食べたのはイブも同様ですが、この実を食べないように神に言われたときの状況から、アダムに責められるべき責任があったととることができます)人類すべてに罪かあるとされ(原罪)、そして19節後半の「ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」においては、イエス(が神の計画に従順に、身代わりとなったこと)により、人間も義人、正しい人として赦される、と取れるようにも私には思えます。 http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/bibleftxt.php?VR=6&CI=11525&CV=99&FR=H No.5の方が書かれている「汝の隣人を…」は、ルカによる福音書10章27節などにあるイエスが神の掟を要約して述べた箇所と思われるのですが、これは「…あなたの神である主を愛せよ」の次に続く言葉であり、この前半部分は原罪を考えるうえで関連があるかと思われます。 http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/bibleftxt.php?VR=6&CI=10762&CV=99&FR=H No.1の方も書いていらっしゃるのですが、イエスが特別な存在であったために、その身代わりの死によって、アダム以来、原罪をもつ人間も救われることができる、というのが聖書の内容ではないかと私は考えました。

hwy101
質問者

お礼

リンクの方が全部ハングル表示になってしまい 読めなくて残念ですが そうすると、結局そこまでして救われなければならない 『原罪』とは神に従わなかった事以外では何なんでしょうか? 今日の言葉で言うと、エゴとか、自意識とかそうことなんでしょうか??? ありがとうございました。

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