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平安上級貴族の勤務状況

源氏物語などを読んでいて思うのですが、当時の上達部 といった上級貴族たちは日常の実務はどれくらい やっていたのでしょうか。 どうも、宿直をしたり式典で楽器を演奏したり行幸に 供奉したりという形式的な業務しか行っていない気が します。もちろん各地からの税を出納したり購買を おこなったりという実務は基本的に下級貴族が行う ものでしょうが、国政の大方針を関係者と会議して 決めたり、責任者として決裁したりぐらいはして しかるべきだと思います。 あるいは全く描写がないだけで、そういうこともちゃんと やっていたのでしょうか? 

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noname#10410
noname#10410
回答No.3

平安中期以降になると、荘園は、寄進が中心ですね。 その一方、税金は国司が取り立てます。 本来、国司にとって荘園は邪魔なものです。国司は律令制の国の長官で、税や地方政治を束ねますが、荘園は私有地で、律令制からはみ出たものなんですから。 というわけで、取り立てようとする国司と、取り立てられたくない荘官や豪族の間で対立があります。国司の取り立てを免れるには、彼らの上司である中央の有力貴族の力添えがいります。それで自分の土地を、有力貴族に寄進する形にして、国司の徴税権の外に出ようとしました。 これが寄進地系荘園と言われるものでしたね。中央の貴族は、だまって荘園をもらっていたようでも、彼らの権利を保護するという利益を満たしてやっています。地方豪族は、国司の税金から逃れられたのですから。 こうして、かりに有能な国司でも、国司が取り立てる税金がないので、国の財政が逼迫しますし、悪逆な国司はひどい収奪するので、地方が乱れて武装化したというのが、平安後期の歴史でしたね。 さて、話をもとに戻すと、中央の貴族は、そういう権益と保護を与えることで、自分も権益を得ていました。そのためには、高い官職につく必要があります。具体的には天皇に近い位置にいる必要があります。このため、歌や儀式で恥を「かかせる」ことが重要になりますし、自分は恥をかいては失脚します。政治権力は、官位の高さで決まるので、朝廷での位置は決定的です。結婚だって、好きでやっているだけではとてもつとまりませんし、政略結婚などは当たり前です。そのためにあの手この手で、有力者とのコネを結ぶ必要があります。楽しくて遊んでいるばかりではなくて、宮廷政治の原理に則って、遊んでいるのです。遊ぶのが嫌いな人もいたと思いますよ。でも、これも仕事だからと言って行っていたのだと思います。 なお、国政はやらないわけではないでしょうが、自分の権利(私有地の荘園)と国庫(国有地、国衙領)との利害が対立するのです。まじめに議論する人は、一部ですよね。だれが、自分の領土を削って、国庫にあてる議論をまじめにするものですか・・。うまい解決案を探しても、根本的に無理がありました。ということをやっているうちに、官吏に出す給料すらまかなえない状態になってしまったのです。

marlborough
質問者

お礼

なるほど、中央高官がお手盛りで私腹を肥やしていると 言っても過言ではない時代だったのですね。 ご説明を聞くと、詩歌管弦の遊びに盛を出すのも 納得できます。詳細なご回答、ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • cse_ri2
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回答No.2

『逆説の日本史』(著者:井沢元彦)がわかりやすいのですが、 平安時代の政治は、今日の政治感覚とはまったく異なります。 平安時代の貴族にとっては、歌を詠んだり、儀式をこなす のが政治であったのです。 井沢元彦氏は、コトダマイズムだと著作の中で述べています。 日本の歴史では、平和な時代が続くと、貴族階級の人たちは 政治の実務には携わらず、とかく形式的な儀式だけを勤めれば よいといった風潮に流れがちです。 平安時代の場合、あまりにも貴族が政治をせず、そのくせ 荘園からがっちり収入だけは得ていたので、そのうち武士 たちが怒りはじめ、時代が鎌倉時代へと変わっていくように なりました。

marlborough
質問者

お礼

ありがとうございました。確かに、最上級者が徐々に 実務から離れるのは後代でもありましたね。 とはいえ、たとえば税に公正さが欠ければ反乱が起こりかねないし、 未然に防ぐためには治安維持システムを構築する 必要があり、そのためには安定した税収が必要となり、 といった感じで国政にはそれなりの泥臭い実務が 必須と思うのですよ。下級の者がやるといっても 上級者は決裁する責任はあり・・・ううん。 そういうことは考えないでもいい時代だったのでしょうね。

  • Reffy
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回答No.1

源氏物語の中でいえば、つかさめし(司召し)などと呼ばれる人事を決める会議がありますね。出産後の葵の上が亡くなる所あたりや、おばあちゃんの所で源氏と頭中将が出会ってしまった後など、なにかの御前会議といった雰囲気のものに出ていたみたいです。 あとは、天皇が主催するあれこれの神事(新嘗祭?)などへの陪席が主なお仕事だったのではないでしょうか。上級貴族って=皇族(母が宮家)などがほとんどなので、これといった「労働(夜勤やなにか)」はほとんどやってないようです。

marlborough
質問者

お礼

ありがとうございました。そういう描写もあったのですね。 儀式にお供するのが基本の仕事という環境は理解している つもりですが、昔も今も儀式だけでは組織は回らない のでは、と思ってしまいまして・・・。

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