• 締切済み

平安貴族の日記研究

こんにちは。 現在大学三年生なのですが、卒業研究のことで悩んでいます。 日記史料を読むのが面白くて好きなので(今のところ活字でしか読めませんが…)、平安時代の貴族日記を扱いたいなぁ、と考えています。自分なりに調べてみたら、国文学的には日記研究は多いですが、歴史学的にはあまりないように思いました。有名な御堂関白記と、同時代の日記史料などを使って研究ができたら面白いかも、と思っていました。 しかし、担当の教授にテーマを提出したら、「日記研究よりもっと他のやつをやった方がいいんじゃない?つまらないし、君には難しいよ」と言われてしまいました。この先生、悪い方ではないのですが、2人いるゼミ生のうち院進学を考えてない私を、あまり目をかける気がないみたいです。もちろん、ずっと研究を続けるわけではないので、卒論の質にも限界があるかもしれませんし、学部卒とわかっている子にまで忙しいのにかまう暇がないことはわかっています。 ですが、わたしにはやる気があります。今までだって遊んでいたわけではありません。ちゃんと勉強してきた証として、先生に認めてもらえるような卒業論文を一年後に提出できたらいいと思っています。適当に書いて卒業しようとは思っておりません。 そこで、アドバイスをいただきたいのですが、先生に面白いと思ってもらえるような切り口、アプローチはないものでしょうか?日記を扱った研究を史学の学部生がやるのは難しいですか。また、扱ってみたら面白そうな史料があれば参考までに教えていただけたらうれしいです。 最後にどこまでやれるかは、自分次第です。 やはりちょっと寂しいので、先生に認識してもらいたいです。 長文&グダグダで申し訳ありません。

  • 歴史
  • 回答数3
  • ありがとう数6

みんなの回答

  • nepa-aiko
  • ベストアンサー率27% (12/44)
回答No.3

史学科学部卒です。 質問者さんより少し時代は下りますが、中世史をやってました。 本当は平安時代が大好きなので平安やりたかったです。 そこで卒論は、平安末期~鎌倉初期の法親王の著作と日記をもとに、彼の文化的貢献と寺院における文化サロンの発展について書きました。 (仏教研究で有名な人なので、歌集も残しているわりにそっち方面の研究があまりなかった) 日記研究おもしろそうですね。ひとつひとつ追っていくのは大変そうですけど。 私は藤原実資の「小右記」が好きですよ。あの記録魔のおかげで、平安時代の実態が少しみえてきますから。 史料を読んでみて、素直に「なんで?」とか「作者はここにこだわってるのかな?」というような疑問点をテーマにしたらどうでしょう。 私の友人は、学部2年生のときある史料で感じたふとした疑問をまとめてゼミで発表したら、指導教授に「そんな観点で考えたことなかった!」といわれて、卒論はそれを発展させて書きましたよ。 学部生なりの素朴な視点ってのもあるかもしれません。 がんばってください。

ruu0131
質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 私のゼミも古代・中世ですが、平安時代が好きなので。 わたしも「小右記」は面白いと思いました。一部しか読んだことはないですが、道長の「望月」の詩が詠まれた日のこと、実資は何行にも渡って皮肉をこめながら書いているんですが、道長の「御堂関白記」ではたった一行くらいしかその歌会について触れてないんですよね。それなのに「小右記」のおかげで道長の「望月の」が残ったと考えるとなんだかおかしいです。 アドバイスありがとうございます。学部生なりに「これなんで?」というものを探せればいいと思います。意外と素朴な疑問から深みにはまって発展していく場合もありますもんね!卒論まではいかないですが、以前レポートを書いたときもそんな感じで1本書けたときがありました。 大変参考になり、また、面白そうといっていただいて勇気がわきました。がんばって勉強したいと思います^^

  • suicyo
  • ベストアンサー率43% (83/193)
回答No.2

前の方が適切に回答されておられるので、蛇足でしかありませんが‥ 私は専門家ではありませんが、専門家への道を断念したあとも20年以上趣味で天皇家や公家の研究をしています。 >国文学的には日記研究は多いですが、歴史学的にはあまりないように思いました 私も上記には疑問です。公家の日記研究はかなり古くから歴史学方面で行われており、国文学の方は物語・随筆・説話文学の方に力点があると感じています。 >先生に面白いと思ってもらえるような切り口、アプローチはないものでしょうか? 人に聞くことではないと思いませんか? それこそ、 >どこまでやれるかは、自分次第 だと、思いませんか? >日記を扱った研究を史学の学部生がやるのは難しいですか 私は大学院進学を前提に学部3回生の時から、教授・院生がやっている「兵範記」研究会に参加させて貰いました。ついてゆく為に必死に予習しましたが、本番では自分が何も理解・把握できていないことに唖然とすることばかりでした。毎回たった1ページ程度のスピードだったのですが‥ 結局、家庭の事情で進学は諦めサラリーマンになりましたが、未練たらたらだったので、卒業後も続きを読み進めながら5年くらいかけて研究?しました。 先日、研究者となった同級生に聞いたところ、研究会はまだ続いている(最後まで到達していない)とのことで仰天しました。恐るべきスローペースです。学部生レベルの平板な読み進めと専門家とのレベルの差ですね。 確かに、 >最後にどこまでやれるかは、自分次第です。 ではありますが、院進学を考えてないのなら、高望みする必要もないのでは?と思います。 ただ、院進学を考えてないからこそ、卒論は評価が低くても卒業できる最低レベルであれば良い訳で、教授の忠告を無視して思い通りにすれば良いという利点もあるにはあります。私は3回生の冬には進学できないことが決定しましたので、卒論は今まで可愛がってくれた教授の忠告を無視して思い通りにしました。評価は「内容はいまいちだが、独自の視点でやろうとした努力は認める」というものでした。

ruu0131
質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 趣味で勉強を続けておられるとはすごいですね。でも、歴史学は興味があればずっと好きに続けていくことができる(どの学問でもそうですね)ので、わたしもずっと関わっていければいいと思っています。 日記研究の歴史学、国文学云々は、おそらく自分の中で「日記」と「物語・説話」が少し混ざってしまっているからだと思いました。 ご指摘いただいたとおり、自分の研究ですから自分の責任でもってやるべきですよね。考えが煮詰まってしまい、ちょっと甘えがでてしまいました。アイデアしぼりだしたいです。 院進学を考えていないので、たしかに高望みをする必要はないかもしれません。高望みをする、というより、教授に認めて欲しいというのは、「もし院に行かないのならある程度のもので卒業させてあげるよ」といわれたので、少し悔しかったというか…。でもある意味では先生のやさしさかもしれませんよね。まだまだ自分の勉強不足は否めないので、精進したいと思います。回答ありがとうございました^^!

  • nomori
  • ベストアンサー率32% (64/195)
回答No.1

史料がどれほど読めるのかに拠りますが。女房日記じゃなくて普通の日記の場合和製漢文の読解力も問われますし。(時代は下りますが玉葉とかほんっとーに意味判らないですし…やめてくれー…) 扱ってみたら面白そうな史料はそれこそ自分で見つけて下さい。ご自身の卒論なんで。 参考文献をあげるとすれば 平安朝漢文日記索引 : 典籍文書名篇 っていうのはあります。漢文日記なので勿論貴族(女房を含まない)の日記です。 というか今私は大学の図書館にアクセスして検索をかけたのですが、史学方面からの本も普通にヒットしますよ。 国会図書館の論文検索でも相当数ヒットしますが。 きちんと検索かけられますか? 中古的に一級史料ですから先行研究多い分野ですし、教授が難しいかもね、っていうのもまあ判ります…。

ruu0131
質問者

お礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。 史料は漢文体なら読めますがかな文字はちょっと苦手です…。 たしかに自分の卒論ですから自分で見つけるべきですよね。 甘えがでてしまいましてすみません。 みなさんがどのような史料に興味をもっておられるのかも気になったので聞いてみました。参考文献ありがとうございます^^ わたしの捉え方が悪いのかもしれませんが、思想や心性でやりたいなぁ、と思って問題を考え始めると、「でもこれって歴史学?国文学になってないか?」とわからなくなってしまうのです。しかしながらまだまだ勉強不足なのは確かなので、きちんと検索をかけていろいろな文献にあたりたいと思います。ありがとうございました!

関連するQ&A

  • 卒業研究について

    工学部の学部生です。 卒業研究発表も終わり、無事合格したのですが 先生に提出用にデータ整理をしていたところ間違いを発見してしまいました。 グラフのプロットの位置が多少ずれる程度です。結論などには影響ありません。 明日先生に言うつもりですが、 これによって卒業できなくなるようなことはありますか? 既に論文は学校に提出済みです。またどのような措置になるでしょうか? かなり不安です。

  • 平安時代の古記録中の『度者を賜う(給う)』とは?

    こんにちは、いつも回答者の皆様にお世話になっております。 平安時代の漢文の古記録(『御堂関白記』『小右記』『貞信公記』など)を読んでいて、どういう事なのか意味がまったくわからないのが『賜度者(給度者)』というフレーズです。 文面から想像するに、天皇・東宮・中宮などやんごとなき辺りの御悩の際や、朝廷主催の公の法会の為などに修法・読経などを行うとその担当の僧侶に『度者を賜う(給う)』らしいのですが・・・。 『度者』=得度者で、近日中に出家した新米僧侶を朝廷のお墨付きで弟子にさせて頂く、というご褒美なのでしょうか? 自分の持っている古語辞典にも『度者』という単語は載っていないため、正式な仏教用語ではないのかもしれません。 『摂関期貴族社会の研究』・告井幸男著の<度者使考>も読みましたが、度者そのものの意味については説明してありませんでした・・・。(史学の専門家の方にとっては知っていて当然の言葉なのでしょうか?) ふとした拍子にこの単語が目に付いてしまい、どこを調べても(正確にはどこを調べたらよいか)わからないので、気になってしかたがありません。 上記の件、ご存知の方、または専門家の方、よろしければどうかご教授くださいますようお願い致します。

  • 武士にとっての刀の研究史料を探してます

    卒論で武士にとっての刀についてを研究しようと思っています。 時代は江戸時代で、初期から幕末までの武士にとっての刀の存在や認識、時期によっての帯刀状況などの移り変わりを研究しようと思っています。 ちなみに研究地域は決まっておらず、江戸か京都、大阪の辺りで史料が多い地域を考えています。 しかし、どうやって論文や史料を見つければいいか困っています。 方法?として考えているのは、武士の日記などから刀の記述を見つけたり、鍛冶屋等での刀の注文、絵図に描かれている武士の帯刀状況(季節や行事、時間などから)です。 恥ずかしながら、上手く自分で史料等を見つけることが出来ないのでご教授願います。

  • 日本近世史の研究をされている方へ

    卒業論文の研究で江戸時代の江戸参府、とくに江戸阿蘭陀宿長崎屋源右衛門方について調べています。あまりの史料の少なさに大変苦労しています。史料、文献等情報をお持ちの方はお知らせください。

  • 研究室選びについて

    私は、この春に大学院博士前期課程に入学した者です。大学院は、学部時代と同じところに入りました。 学部4年の卒業研究でO先生という人にお世話になりました。大学院も当然、O先生のところに行って研究を続けようと考えていました。 しかし、O先生は4年生のときの私を見ていて、私のような生徒に指導するのは無理だと言いました。なので、他の研究室を探さなければならないことになりました。 O先生と同じ部屋で研究をしているM先生という人のもとで研究をすることも考えました。しかし、O先生とM先生の院生は研究室が一緒なので、O先生の院生とは一緒の部屋に居にくいです。O先生の院生も、本来やりたかった研究ができなかった私の前では研究をやりにくいです。わたくしもO先生の院生を見ていて辛いです。研究室に居るだけで苦痛です。 私はO先生やM先生のグループのことは忘れて、別のグループの研究室で別の研究をした方が互いに精神衛生上よいと考えております。しかし、別のグループの先生もなかなか納得してもらえず、研究室選びが宙ぶらりんの状態で、ゼミが始められない状態です。このままでは、1年間どこの研究室でも研究をしていなかったことになり、留年しそうです。 同じような経験をお持ちの方、アドバイスをお願いします。

  • 研究内容の書き方について

    大学院に通い、就職活動を行っている者です。 研究職のエントリーシートに学部時代と大学院時代の両方にそれぞれ500字ずつ、研究内容を書く欄があるのですが、詳しく書いた方がよろしいのでしょうか。 300字程度の短い研究内容を書くときは簡潔に書いて提出していたのですが、500字で学部、大学院の両方の研究内容を書くとなると、簡潔で分かりやすく書くべきか、詳細まで書くべきか、迷っています。 また、研究職のA4、1枚で研究概要を書く場合は、詳しい自分の研究内容にまで触れて書いた方がよろしいのでしょうか。

  • 成績が良いことと研究ができるというのは関係ないですか?

    研究室の教授が言うには、学部時代の成績が良いからといって必ずしもそんな学生が研究ができるとは限らない。成績が悪くてもすばらしい研究者になってノーベル賞をとった先生もいるのだから。と言ってました。研究者に向いている人とはどんな人なんでしょうか?

  • すごい研究っていったい何なの?

    工学部の学部生でまだ研究室配属もされていないヒヨっこなんですが、よく、「彼の研究はすごかった。」とか、「博士課程をトップで卒業した。」とか聞くことがあるのですが、研究にスゴイとかダメとかどういう風に決めているものなんでしょうか。配属された研究室の先生から研究課題をもらって結果を出すか出さないかの問題だったら、その課題を与えられた時点である程度成績って決まってしまうものだと思いませんか?また、博士課程とか修士課程には、テストがないから研究で成績を決めると聞きますが、研究というものに対してどういう採点をしているのでしょうか。

  • 卒業論文提出後に先行研究との類似を発見した場合について

    私は史学を専攻している大学院の一年生です。 先日、私が卒業論文で書いた事に関して改めて調べていた所、 私の大学の講師の先生が書かれた論文の中で、私が卒論で結論付けた所と極めて類似する事が書かれているのを見つけました。 その先生が私の研究分野について研究されている事は知っていましたが、卒論を書いた時点では勉強不足でその論文の存在は知りませんでした(その先生の書かれた他の論文は読んだ事はあります)。 何度か卒論の草稿を見て頂いた指導教官の先生や、卒論の審査の先生(指導教官の先生ともう一人別の先生)からは特に類似する事に触れている論文があるという指摘はありませんでしたし、大学院に進学後、自分の書いた卒論の内容をまとめて先生(審査時の二人の先生とは別の先生二人)や他の院生の前で発表した折も特に指摘はありませんでした。 また、その先生の論文と私の卒論は研究対象は同じなのですが、先生は制度史的な立場から、私はどちらかと言えば思想史的な立場から論じていますので、類似点があっても全体の流れが違うといえば違うのです(どうしても重なってしまう部分はありますが)。 ただ、不安なのは私の卒論が学部で編集される冊子に掲載される事が決まっているという事です。 既に編集用に卒論のデータは提出してあるのですが、提出した時に知らなかった先生の論文を卒論中に引用したり参考文献として挙げてあるという事は当然ありません。 その冊子は学部の各専攻に提出された卒論の中から一編ずつ選ばれて編集され一般の学生に配布される冊子なので、今後多くの人が目にする事になると思います。 そうなった時に、私の結論とした所が数年前に発表された先生の論文の中で既に触れられていたという事で、その論文を読んだ事のある人が私が先生の論文を読んでいた事を故意に隠して盗作した、という印象を受けてしまうのではないかと心配になってしまいました。 その講師の先生の論文が掲載されている雑誌は、私の大学で同時代の研究をされている先生方の論文をまとめて研究室が発行した論文集なのですが、そのような冊子でも研究している時代が違えば他の先生方はご覧にならないものなのでしょうか(図書館にも収蔵されていて閲覧は普通に出来ます)。 それとも、私の卒論の内容を読んだ(聞いた)先生方は講師の先生のその論文の事を知った上で、問題はないと判断なさったのでしょうか? また、このような場合は、自分の書いた卒業論文の内容に関して提出後に類似している事を言っている先行研究を発見したと卒業論文を指導してくださった先生に報告して相談するべきでしょうか? 長々と失礼しましたが、どうかご意見をお聞かせください。

  • 研究

    卒業研究を今やっている人ややり終えた人に質問したいのですが、今私は卒業研究のテーマを決めようとしていて、でもとくにこういう研究がやりたい!って考えて研究室に入ったわけでもなく、とりあえずちょっと興味があるカラーセンサーについてやってみようかと考えています。しかし先生からそのことについての論文を探し、その探しだした論文についての改善点を探しだし、それを研究としてやっていくといわれたのですが、改善点というものが見当たりません。たしかに完璧なものなどないので改善点はあるとは思うのですが、どのように改善しようとするか考えられません。みなさんはどのようにして卒業研究のテーマを決めましたか?また論文にたいしての改善点というものをどのように探しだしましたか?