• ベストアンサー

世界はなぜ存在しているのですか?

tanita530の回答

  • tanita530
  • ベストアンサー率19% (9/47)
回答No.10

>世界はなぜ存在しているのですか? 聖書の一番はじめには、「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)と書かれています。つまり、世界は絶対者なる神さまが造った(創造した)から存在しているのです。 もし、「自転車が偶然にできると思いますか?」と質問すれば必ず、「偶然にはできない」と答えるでしょう。そして続けて、「時計」・「コンピューター」と質問を繰り返すならば、少々いらいらしながら、「偶然にはできない」という答を返してくるでしょう。しかし次に、「人間の複雑なからだが偶然にできるか?」と質問するとその答は「偶然ではない」と答えるか「分からない」と答える人が多いでしょう。 今まで、物が偶然にできないということを面倒くさそうに答えていた人が、今までの物の中で最も複雑な構造を持つものを指し示した時に、「分からない」と答えるのです。これは“理論的に人間が偶然にできない”という理性と “神様が造ったなんてあり得ない”という感情とをてんびんにかけ、感情が勝った答えです。もちろん「分からない」と答えた人も、人間のからだの方がはるかに複雑で難しいことは知っているので、「もし人間が偶然にできたと信じたいならば、少なくとも人間のからだよりもはるかに簡単な自転車ぐらいは偶然にできたと本気で信じなければならない。そうでなければ、人間のようなものが偶然にできたと信じる資格はありません。」と話した後に、「自転車が偶然にできたと本気で信じている。」と言った人は誰もいません。 「人間というものは、自分の望んでいることを、とかく信じたがるものだ」(ジュリアス・シーザー) 世界についても全く同じです。世界が偶然に出来るなどということは絶対にありえません。  人間とは勝手なもので、「理性」と「感情」が対立した時、どちらを取るかというとそれは「感情」なのです。進化論に関しても例外ではありません。人間は事実だから進化論を信じているのではなく、人間の好みに合うから信じているのです。その証拠に、もし教科書に、「人間は神様によって造られた。」と人間の好みに合わないことが書いてあるとすれば、どれほど大勢の人が目の色を変えて学校に文句を言い、そのことが本当かどうかのあらを探すでしょうか。しかし進化論は今まで批判すらされずに受け入れられて来ました。  進化論が人間にとって好都合な理由の一つは、唯一まことの神様の存在を否定できるからです。そうすれば人間がすべての中心となり、人間は罪を犯しても最終的なさばきはなく、もちろん地獄もなく、勝手気ままに、良心を痛めることなく何だってできるからです。 そしてもう一つの理由は、人間は進化するのだから人間には無限の可能性があると信じることができるからです(逆にアフリカの黒人を進化途中の人間以下の物として、奴隷売買も正当化もされたのです)。ですから産業革命以降の能率至上主義を背景として、進化論はダーウィンが1859年に「種の起源」を出版後、またたく間に世界中に受け入れられたのでした。しかし進化論というのは仮説にしか過ぎません。 世界のすべてのものは私たち人間も含めて絶対者なる神さまが造った(創造した)のです。

AbCd98521Dreame
質問者

お礼

この回答は3回ほど見ました。同じ回答者さんですね。 回答をくださるのはありがたいのですが、同じ回答をコピペ(あるいはコピペをちょこちょこっといじったもの)で回答するのはやめて欲しいと思います。

関連するQ&A

  • あなたがこの世界に生まれていなかったとして、この世界は存在していたと思いますか?

    表題の通りですが、 「もしもあなたがこの世界に生まれていなかったとして、そのときこの世界は存在していたと思いますか?」 ふと自分に問いかけたのですが、いろんな方のご意見を頂きたくて書き込み致しました。 どうぞよろしくお願い致します。

  • なぜ世界は存在するのでしょうか

    私は小さいころから世界が存在すること自体が不可解かつ恐ろしくて仕方ありません。「神が作った」といえばそれまでです。しかし、そうなるとその神の「存在」そのものがなぜ存在するかを説明できません。 仏教では無記と言って、問うことが妥当ではない疑問、回答不可能な問題としているようです。けれども、そう言われたからと言って、この疑問が私の頭から止むわけではありません。 なぜ世界は存在するのでしょうか。この問いが寝入り際など、心が隙を見せる時に突然蘇り、私を先の見えない不安へと駆り立てるのです。(どうもこのような心理状態を離人症というようです。) 世界の存在の理由について皆さんのお考えや、哲学者、宗教者の考えをお聞かせください。よろしくお願いします。

  • 世界で一番、存在して欲し

    世界で一番、存在して欲しくない国はどこですか? あなたにとって、不必要な国・民族は何処? 国名と理由をお聞きしたいです。 日本と言う答えは無しね!

  • 『存在と時間』、“世界=内=存在”について。

     ちくま学芸文庫版、『存在と時間』上巻、142pについて質問があります。  『現存在自身において、現存在自身にとって、この存在構成はつもすでにある仕方で知られている。ところがそれを認識しようとすると、あたかもこのような課題のなかで表立ってくる認識が、自分自身をー世界についての認識としてー「心」の世界への関係の範例にすることになる。それゆえに、世界の認識や、あるいは「世界」を呼び「世界」について語る言説が、世界=内=存在の原義的な様態としての役割をひきうけるようになり、世界=内=存在そのものは理解されなくなる。』  とありますが、「心」の、世界への関係の範例となってしまう認識とは具体的にはどのようなものでしょうか?また、そのような“認識”は「世界=内=存在」といった認識とどのように違うのでしょうか?  ご回答お待ちしております。    

  • この世界は辛いけれども、彼が存在するなら生きているのも悪くない

    私は子供の頃に自分が生きる理由を決めてしまいました。 きっかけは多分、当時のクラスメートのうちの1人を好きになった事です。 次第に「この世界は辛いけれども、彼が存在するなら生きているのも悪くない」そう思うようになりました。 私には生きる理由がこれしかありません。 もし彼に何かあったら、私は生きるのをやめる事をためらわないと思います。 過去の質問にも「生きる理由」について書かれたものはたくさんあります。 「周囲の人が悲しむから」「理由を探す為に生きている」「自分のため」「いつかはいい事がある」「怖いから」… そのどれを読んでも感情・感覚として理解できません。 それが生きるに値するほどの行為だとは思えないのです。 本当の事を書くわけにはいかないからとりあえずそう書いているのではないか、そんな事を思った事もあります。 今、私は「生きる理由」の彼と付き合っています。 とても落ち着いた関係ですが、時々不安になります。 もし今までの友人関係さえ維持できなくなるような別れ方をしたら私はどうなってしまうのだろうと。 それは生きる理由を失うと同時に、生きていい理由を失う事のような気がします。 自分でも、自分が少しおかしいのではないかとは思うのです。 自分がおかしいと認める事は怖い事ですが、そう言われ納得すればそれなりに覚悟をして生活する事ができるような気がします。 でも本当は「実は自分も人には言えない生きている理由がある」そんな話も聞きたいのです。 こんな「生きる理由」を抱えた人間をどう思うのか教えて下さい。

  • 「なぜ世界は存在しないのか」について

    マルクスガブリエルの「なぜ世界は存在しないのか」を読みました。 この本を読んで腹が立って仕方ありませんでした。 「物質なんか存在しない」という話なのかなと期待して読みましたが、そうではありませんでした。宇宙は存在するけど、世界は存在しない、という話でした。つまり物質的世界はそのまま認めた上で、個人の観測している「世界」を1つの世界にまとめることができないという話でした。 それはそうだと思うけど、それってわざわざ本に書いてまとめるほどのことなのか?著者の言葉遊びに付き合わされているようで腹が立って仕方なかったです。くだらないと思いました。 私のこの本の理解は間違っていますか?

  • 世界の存在する意味とは?

    年の功か、多くの現象には意味や理由が在るように思われます。ただ、人間を含む、世界そのものが存在する意味が、私にはわかりません。意味、理由など無く、すべては、あるがままに、ただ、あるという事なのでしょうか?

  • 世界でハッカーは何人ぐらい存在しますか?

    ハッカーは世界で何人ぐらい存在しますか? 又、クラッカーと呼ばれる人は世界に何人ぐらい存在しますか?

  • 「数」が存在しない世界

    みなさんに、聞きたいことがあります。 「数」が存在しない世界で生活すると仮定したとき、 今現在のような生活は成立すると思いますか? 不便に感じるならばどのような所だと思いますか? 課題で、このことについて書きたいと思っているんですが なかなか思いつかなくて… もしよろしければ、沢山の方の意見をお聞かせください。 宜しくお願いします。

  • 「自分の死後もこの世界は存在する」という根拠

    「自分以外の死後もこの世界は存在する」のは当然分かるわけですが、 「自分の死後もこの世界は存在する」という根拠は何処にあるのでしょうか。