• ベストアンサー

死について真剣に考える恐怖心

kabukimonoの回答

回答No.8

死の定義とはどのような物でしょうか(医学的な意味でわなく)自分が思うに多かれ少なかれ人が抱く死への恐怖という物は、ひとえに{喪失する恐怖}だと認識しています。家族や友人、恋人などそういった他者の存在を大事に思えば思うほどそれらを失うかもしれない、これらとの関係が無に帰ってしまう{死}という物に人は恐怖を覚えるのではないでしょうか。  おそらく生まれた時から無人島のような場所でたった一人で生きていれば(実際にはありえませんが、、)死の恐怖というものはそれほどでは無いと 自分は思います。つまり死の恐怖というものは、自分以外の者との関係性の中で生まれるもので有ると言う事です。どんなに嘆き悲しみ命が有限である事を恨んでみても死は全ての生物に平等に訪れます。しかし 制限時間があるからこそ、そのなかで何かを成し遂げようと思うではないでしょうか。死の恐怖に怯えるより命は有限で有ると言う事を再認識してならこうしよう、ああしようと考えることが一番死の恐怖から逃れる方法なのでは?と自分は思います。死に怯える時間も生を楽しむ時間も同じ時間なのですから楽しい方がいいじゃないか!的に考えるのが一番ですよw  蛇足ですが、司馬遼太郎の{竜馬が行く}の中で竜馬が毎日頭の上から大岩が落ちてきて自分が死ぬところを想像して怖くて動けなくなる、しかし最後にはその死ぬという事を達観するというような話がでてきます。まあ読み物の中での事ですが、そういった幕末物等の本の中に案外sora211さんの探している答えがあるのかもしれませんよ。  長文失礼しました。  

sora211
質問者

お礼

命が有限である再認識は 死を怖がるよりいいですよね。 何かを成し遂げれば というか、成し遂げたい気持ちに なれるといいと思います。

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