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極楽浄土とは?親鸞は地獄を住処とする?
- 一心不乱に念仏を唱えることで極楽浄土へ行けると言われています。
- 地球では全てが幻であり、極楽浄土では何もしなくても幸せに暮らせると言われています。
- 親鸞は地獄を自分の住処とし、極楽浄土の存在は地球人には理解できない世界だと説いています。
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ご質問を読ませていただいて、ふと「月日は百代の過客」という言葉を想い出しました。調べてみると、もともとは8世紀、唐王朝の時代の中国の詩人、李白の「天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり(天地はあらゆるものを泊める宿屋であり、時の流れは永遠の旅人である)」から来ているようで、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の「おくのほそ道」の冒頭にも「月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり(月日は永遠の旅人であり、やってきては過ぎていく年も旅人である)」とあるとのことです。 これも宗教といえばいえるかもしれませんが、般若心経や浄土宗、浄土真宗とはまったく異なる世界のように思います。 地球では 人は形のないものであり、見ることも、聞くことも、話すことも、 臭うことも、味覚も、体に触れる感覚も、考えることも、全て幻 であると、空であると、般若心経は説いている。……私はそうは思いませんね。この世(地球)では人には形があり、すべてが「現実」であり、すべてが「有」であると思います。 地球人には誰も知らない世界です。……私もそう思います。 極楽浄土はどんな世界だと思いますか?……「信じる者にのみ存在する世界」だと私は思います。その信じ方によって極楽浄土の姿は変わってくると思います。信じない者、信じられない者には何も見えません。「無」しかありません。 法然の弟子親鸞は、地獄の方が自分の住処なりと説いている。……この意味は私には分かりませんが、他の回答者様の通りかもしれません。親鸞は、阿弥陀仏の約束を信じて、「ナムアミダブツ」と一心不乱に念仏を唱えなさいと言っています。大前提は「信じる」こと、「ただひたすら信じる」ことなのです。親鸞は、信じた結果、報われなくて、地獄に落ちたとしても悔いはないとも言っています。
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- hiro-hiro-hiro
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補足に対する回答 ・ほかにも目を閉じればかつて犯したことを思い出してしまい、罪悪感、恐怖などでいてもたってもいられなくなる人に浄土門は向いていると思います。 この世界が辛い→一刻も早く極楽浄土に生まれ変わりたい→念仏を鍛える です。 ・聖道門。禅の修行者は座禅が凄かった。禅で到達するには集中の才能がとても必要と思います。 ・ほかに心を観察する原始仏教があります。鬼和尚氏のサイトで禅宗には観察が欠けていると読みました。 原始仏教(集中、観察)→禅宗(集中) 原始仏教で到達に必要な集中の才能はほどほどです。 幻と思うのは到達後です。誰もが到達する可能性があります。 何か考えてしまうのが普通です。何も考えない状態になるための補助に「空の法」の般若心経があります。昔編み出され伝わって残ってきたということは優秀ということです。「ぎゃーてーぎゃーてー」以下を覚え何か考えてしまうとき唱えてみるといいと思います。効果あるかもしれません。
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有り難う御座いました。
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集中・観察ですが、観察は誰が見てくれるのでしょう か。思い出しました。小学生の頃、地元の寺院の住職 が公民館で子供を集め、「一寸ぼうし」とか「蜘蛛の 糸」とかを道徳講話してくれました。面白くも怖くも 自分なりに考えさせられる話でした。
- mekiyan
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極楽浄土にいける夢をみるだけでしょう。誰もそこに行って、また帰って来たお方はいないので、その説の正確性の確証なんかされていないです。
お礼
有り難う御座いました。
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お釈迦さまの時代は、地球が丸いを知っていたので しょうか。他の地に民を守る法律がある国は無かっ た。武力で国土を納め国主が法律で民を守っていた。 その為、国主次第で民は飢えて死んだりもした。 現代の今の時代が極楽浄土あるいは地獄かもと思い ます。人それぞれです。
- hiro-hiro-hiro
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こんばんは! パッと読んだところ質問文は混合してる。分けると ●教え 〇浄土門 一心不乱に念仏を唱えると、極楽浄土へ行ける。言葉にならない智慧(呪文)を唱え、西方十万億土の彼方へ旅立てる。 法然の弟子親鸞は、地獄の方が自分の住処なりと説いている。 〇聖道門 地球では人は形のないものであり、見ることも、聞くことも、話すことも、臭うことも、味覚も、体に触れる感覚も、考えることも、全て幻であると、空であると、般若心経は説いている。 ●疑問 さて、その様な人達が、僕楽浄土へ行き、何もしないで毎日をゆったりと過ごす。服を作る訳でも無く、食糧を育て調理するわけでも無く、家を建てて寝る処を作わけでも無く、誰が面倒を見るのだろう。何もしないで生きていける国だろうか、毎日笑って幸せに暮らせるのだろうか。地球人には誰も知らない世界です。質問です。極楽浄土はどんな世界だと思いますか? 意見 般若心経で説かれてるのは涅槃であり極楽浄土でない。オレは仏教徒ではない門外漢だが、極楽浄土は浄土宗や浄土真宗など感情的なアプローチを取る宗派に向いてると思う。一方、般若心経は曹洞宗が入りで使うイメージだ。浄土真宗では使われないようだ。ググったところ日本の仏教の宗派は聖道門、浄土門に分けられるらしい。オレは浄土門は飢えに苦しみ、労働に追われる自由に使える時間の取れない農民向け、現代では日々仕事に家庭にと忙しく、落ち着いて心を見る時間の取れないビジネスマンなどに向いていると思う。親鸞が地獄の方が自分の住処なりと説いている理由は、そのような人にとって今いるところでないところが極楽で、極楽浄土がどんなところか?本当にいいところだろうかなどと疑念が生じ得ない、念仏に一途になれるからと思う。質問者さんは極楽浄土とはどんなところだろう?と SF 的な想像をしてる時点で余裕がある。だから質問者さんは現在のところ浄土門でなく聖道門が向いてると思う。つまり質問者さんは極楽浄土について考える必要がない、考えても意味がない効果がないと思う。
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有り難う御座いました。
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勉強になりました。宗派によって、自分の立ち位置 によって、浄土門なのか、聖道門なのか、で私は聖 道門と言う事ですか、初めから空、何も形が無いの が現実幻と、まだ、90歳迄生きようと思いますが、 幻という実感が掴めません。何がを考えてしまいま す。
- oska2
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>極楽浄土は、どんな世界だと思いますか? 精神的なモノが集まる世界ですかね。 意識は存在しますが、物質(肉体)は存在しない。 ※意識+肉体=人間界。 ですから、衣食住の欲望や睡眠・食事・金・セックスの欲望もない。 結果として、無の悟りの世界でしようか。 >地獄の方が自分の住処なりと説いている。 これは、別に「親鸞は地獄で住みたい」と言っているのではありません。 極楽界・人間界・娑婆界・畜生界・餓鬼界・地獄と、仏教には死後どれかの世界に生まれ変わると説いていますよね。 下の世界にい者は、上の世界を目指す。 上の世界にいる者は、這い上がってく者を蹴落とそうとする。 庶民は、支配者・上部階級を目指す。 支配者・上部階級は、権力を奪われまいと庶民に圧力を加える。 国でも会社でも社会でも、確実に起きていますよね。 ※ママ友の支配者は、誰にも渡さない!など。^^; 親鸞は、最下層でいいので「這い上がってくる者を、蹴落とす事はしたくない」と述べているのです。 最下層だと、誰も這い上がってきません。
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肉体の無い、精神的な意識(頭脳)だけの世界、 それなら、衣食住は要りませんね。会話は出来 るのでしょうか。精神的苦痛は無いのでしょう か。親鸞のように蹴落とされても蹴落とす事が 無い。あの世でも階級や欲はあるように思いま した。
- DESTROY11
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つまり、極楽浄土は何もやる必要がないから進歩もなく退化もない。永遠に現在地点にとどまるしかないということですね。 それは別の意味の地獄ではないかと思います。
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有り難う御座いました。
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この世でも何もする事が無いのは苦痛です。 少しは体を動かして、頭脳を使わなければ 生きている意味がありません。あの世でも そうであれば永遠に苦痛ではと思います。 地獄です。
- runatickdance
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たぶん、現代人の3次元世界ではなく、極楽浄土とは、2次元世界ではないかな。 3次元みたいに厚みが無いから、 お腹すら空かない世界で、 ただ風に吹かれて、ゆらゆら 揺れているだけで、四季により、春に 生命宿ったり、夏にザワザワと周りの方達と笑顔で過ごし 色濃くなり 秋になれば散ってゆく。 たぶん、極楽浄土は、 根から栄養素をもらう、1枚の葉っぱのようなモノではないかな。 その葉っぱの寿命が短く、 しかも太陽にあたれば、葉緑素を 枝や木に戻して仕事をしております。
お礼
有り難う御座いました。
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植物的なイメージでしょうか。何の頭脳も無いのだ ろうか。春に生命(種)をまき、夏に笑顔で過ごし、 秋に散りゆく、冬は根から栄養素を取り、太陽にあ たれば葉縁素を枝やきのに戻して仕事をする。永遠 と繰り返して過ごす世界、お花畑の広がる世界。 地球のお花畑のような幻想的なイメージでしょうか。
お礼
有り難う御座いました。
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私も調べてみました。人は上を目指して登る。 下から登る者を蹴落として登る。親鸞は、地 獄にいれば、自分は蹴落とされるが、人を蹴 落とすことはないと説いている。