• 締切済み

なぜ人間の「安楽死」は共感されないの?

私は一回失敗者です。 日本の何だか「死」というものが異常にタブー視されている事に疑問を感じます。 他の質問掲示板では死について質問回答すると暫くして削除されます。もちろんマナーを守った内容でです。ここもそうかな? 悩み相談は言い方は悪いですがボランティアの素人で、国はある意味その方々に押し付けている格好。 精神科はハードルが高く、行っても医者は薬を出すだけ。心理士は大学出立てのおねーちゃん。 相談する場所がない…。 一方、終活とかいう気持ち悪い概念が定着し「本当の死」を知らない方々が理想的な死を夢想し、結局死に向きあうのではなく、死んだ後の世間体を気にしているにすぎません。 なぜ国は安楽死を認め、国が認定した安楽死施設を作らないのでしょうか? 命がー!という方々もいらっしゃるでしょうが、直ぐ処置される訳もなく、先ずは話を聞いて病院の様に適宜対応する訳で、処置は本人の強い意志を確認してからです。 こうすれば、行き場のない追い詰められた人達の受け皿にもなりますし、認定施設なら最後の瞬間も安心だと思うのです。 現実では、ニュースで報じられる度に「迷惑だ!」というコメントを見かけますが、行き場がないからそうなる訳で、ボランティアに愚痴を聞いてもらって解決するならこんな事にはならないですよね。 真面目に「死」を語れる国になったら生きやすいのに、と思うのですが…。

みんなの回答

  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2378)
回答No.4

No2です。 報道特集かNスペかでスイスかベルギーに渡って安楽死した方が報道されてました。 確か難病か何かだったかな。 それを納得させられない事情なら、移住しても無理ですが。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11082/34531)
回答No.3

>なぜ国は安楽死を認め、国が認定した安楽死施設を作らないのでしょうか? まず大前提として、国が国民の生き死にを決める権利は持っていないというのがあると思います。 質問者さんは「死ぬ権利がある!」というのだろうけど、そもそもそれは間違いです。 人間というか、生きとし生けるものはいつか死にます。だから死ぬことは「権利」ではなく「義務」なのです。心配いりません。質問者さんはいつか死にます。必ず死にます。 だから国は「生きる権利」を守る義務はあっても「死の強要」をすることはできないのです。 次に、本人の精神的な問題です。もし質問者さんがお金持ちで女にモテモテ、明日も明後日もデートの約束があってセックス三昧の生活だったら死にたいと思うでしょうか。今日宝くじが当たっても今日死のうと思うでしょうか。おそらく宝くじが当たったなら、とりあえず使ってから死のうと生きることを延長するでしょう。 しょせん「死にたい」ってその程度なんですよ。質問者さんも国がそういう施設を作ってくれないと死ぬ勇気は持てないのです。だから質問者さんはただ単に、国に責任転嫁してるだけなんですよ。 そして第三に。日本人の民族性から考えて、質問者さんが望むような安楽死の施設を作ったら「死の強要」がはびこるに決まっています。 認知症の老人、末期がんの人、何らかの理由で働けなくなった人。そんな人たちが「あなたはもうこの社会の役立たずだから、周りに迷惑をかけないように早く死んでくれ」とプレッシャーをかけられるようになるでしょう。 あたしゃそんなの、絶対に嫌です。質問者さんだって自分の生き死にを他人に指図されるのは嫌でしょう。

noname#254456
質問者

お礼

確かに失敗した人達が「なんで死んだんだっけ?」となる事がある様に、非常に不確定な気分屋なのが死かも知れません。 役立たずは早く死ね、死の強要、これはネット民が良く言っていますね。

  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2378)
回答No.2

国の体質に合わないんだから、海外移住すればいい。 やってる人はいる。 この人権小国で、そんな難しいことを期待するほうが無理だと思う。外国へ行こう。 本人が希望した際に積極的安楽死を法律で容認している国・地域の一覧 https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E6%AD%BB スイス アメリカ合衆国オレゴン州、ワシントン州、モンタナ州、バーモント州、ニューメキシコ州、カリフォルニア州 コロンビア オランダ ベルギー ルクセンブルク カナダ オーストラリアビクトリア州、ニューサウスウェールズ州 イタリア ドイツ スペイン ニュージーランド オーストリア

noname#254456
質問者

お礼

流石に移住者には適用されないとは思いますが…こんなにあるのか!

  • Brian12
  • ベストアンサー率26% (206/789)
回答No.1

死は未知だからです。 共感しようにも、分からないものに対して評価することは出来ません。 生きている間は誰一人として分からないのです。 死後の世界を見て生還した人がいると聞きますが、それは死んでいなかったのだと思います。 私は、祖母が床ずれで苦しんでいるので、楽にしてあげたいと思い、抱きかかえました。そして、祖母は安らかに眠り、目を覚ましませんでした。 父や義父も死に直面しての特異な体験があります。 しかし、死ぬとどうなるかは分かりません。 >真面目に「死」を語れる国になったら生きやすいのに、と思うのですが…。 分からないことを語ったところで、生きやすくなるとは私は思えません。 同じ考え方を持った人を知ることが出来る。 たしかにそれは共感ですが、国が「安楽死」を認める根拠とはなり得ないでしょう。 ”死”そのものがわからないのですから・・・

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