- ベストアンサー
薩長同盟の坂本
k99の回答
- k99
- ベストアンサー率47% (491/1025)
当時の坂本はすでに「亀山社中」という海運業の頭目でした。 商船と軍艦がそれほど分科していないため、「私設海軍」的な性格もあり、陸戦兵器の流通も行っていた坂本はすでに下流の浪士ではなく政治勢力の首魁であったと思われます。 同盟当時は勝は失脚中ですし、討幕の算段をつけに幕臣の手紙を携行するのは考えがたいですね。
関連するQ&A
- 何故薩長同盟を結べたのでしょう
対立していた薩摩と長州は坂本竜馬の仲介で同盟を結んで倒幕に動き出しました… しかし…藩主同士(薩摩の島津公と長州の毛利公)で話し合って締結 と言うなら分かりますが 同盟交渉に当たったのは1薩摩藩士の西郷と1長州藩士の桂(木戸)です まして 土佐を脱藩してお尋ね者だった坂本竜馬が仲介に入って ですから余計に不思議です 西郷と桂は藩から藩主の名代みたいな形で交渉に出たのでしょうか? もしそうじゃないとしたら この2人が勝手に交渉して同盟結んだ事にもなります お互いの藩主は納得と言うか受け入れたのでしょうか? そして坂本竜馬の仲介は信用できたのでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 薩長同盟の軍事力に関して
幕末期に薩長同盟が結ばれるや否や倒幕の動きは加速され、幕府はあっけなく倒されてしまいます。なぜ長州と薩摩2藩だけで幕府を倒すだけの力があったのでしょうか。どうしても分からないのです。 今の日本では二つの県が組んだだけで日本が転覆することなどとうてい考えられないのですが(ちなみに私は鹿児島県出身です)220項目までは調べたのですが、それ以上調べていません。類似の質問ならお許しください。 宜しくお願いいたします。
- ベストアンサー
- 歴史
- 坂本龍馬が薩長同盟を締結させた???
「坂本龍馬」司馬遼太郎創造説という内容の本を読みました。 つまり、実際の坂本龍馬が歴史上果たした意義、さらには龍馬自身の人物像は、司馬遼太郎の誇張によるところがかなり大きいとういう内容です。 実際、司馬遼太郎本人も 『あれは僕の竜馬なんだよ。「竜馬がゆく」は小説だから、史実の龍馬と区別するために「竜馬」という字を使ったんだ。』 と対談集で言っていました。 この「坂本龍馬」司馬遼太郎創造説を知って以来、「竜馬がゆく」をそのまま信じて 「坂本龍馬が薩長同盟を締結させた。」 というのは間違った歴史観だと思えてきました。 小説のように龍馬が日本を救うための薩長同盟をひらめき、薩摩も長州も嫌がっているのに、ムリヤリ同盟締結をしたのでしょうか? 薩長同盟は少なくとも西郷と桂に代表される実質的な指導者層が必要性を感じていなければ坂本龍馬がいくら周旋したところで成功はなかったでしょう。 やはり薩摩もしくは長州に同盟に意志があり、同盟締結のための一つの手段として龍馬を使ったという方が納得できませんか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 薩長同盟の真の発案者は坂本龍馬ではなく中岡慎太郎???
司馬遼太郎が「薩長同盟を発案したのは中岡慎太郎かもしれない。」 とある対談集で言っていました。 今まで、薩長同盟は中岡慎太郎と坂本龍馬との共同発想というのが一般的でした。 慶応元年4月初め、中岡慎太郎と土方楠右衛門が大阪の薩摩藩邸を訪ねて、薩長同盟を力説しています。 そのころ坂本龍馬は薩摩の西郷の下に預けられていたので、中岡と連絡はとれなかった。 5月6日に中岡は薩摩に出向き坂本龍馬と西郷隆盛に会い薩長同盟を説いています。 坂本龍馬が薩長同盟に動くのはそれからです。 閏5月1日に、坂本龍馬は下関で桂小五郎に会見して薩長同盟を説いた。 従って、薩長同盟発想者は中岡慎太郎の可能性が高いです。 ということは、坂本龍馬は長州を説得しただけで “中岡慎太郎”が薩長同盟を発案して、薩摩を説得したということでしょうか?
- ベストアンサー
- 歴史
- 幕末薩長同盟について、
幕末薩長同盟について、 いずれも、桂小五郎の日記に依ります。 (1)薩摩藩名義での武器購入は、長崎で桂小五郎自身が薩摩藩の某氏に依頼した。 (2)同盟締結前夜、龍馬来訪翌日陪席。 と有ります。 (1)龍馬が斡旋した資料? (2)龍馬が夜半隆盛説得した資料? 正誤問いませんが、 小説以外の資料お願いします。
- 締切済み
- 歴史
- 薩長同盟と大政奉還
「薩長同盟」と「大政奉還」に関する質問です。 坂本龍馬は「薩長同盟」と「大政奉還」を斡旋したとされていますが、これって変ではないでしょうか? 坂本龍馬の独創ではない、という意味での「変」ではなく(坂本龍馬の独創ではなく、数多くの人間の考えを元に行われたことは承知の上です)、この二つを斡旋するのは矛盾ではないか、という意味での「変」です。 薩長同盟は幕府の武力討伐のために結成されたものだと思いますが、大政奉還は逆に、幕府の権力を穏便に朝廷へ返上するものですよね。 つまり、この二つって真逆だと思うのです。 討幕のために薩長同盟に協力していた龍馬が、次は討幕ではない大政奉還に協力するというのは、私には「転向」に見えます。 龍馬は勝海舟を会いに行ったときに尊皇攘夷の考えを捨てていますから、「転向」はありえない話ではありませんが、散々薩長を振り回しておいて、土壇場で大政奉還に協力するなんて、何だか筋が通っていないようにも見えます。 これはいったいどういうことなのか、教えていただけると幸いです。
- 締切済み
- 歴史
- 長州藩について。
大河の新撰組を、毎週かかさず見ています。 賛否両論あるようですが、個人的には評価しています。 幕末物のドラマや映画を見て、 長州藩についていつも思う疑問があります。 1. 「薩長同盟」や「薩長土肥」と、当たり前のように言われていますが なぜ、長州は薩摩より下におかれているのでしょうか。 維新の原動力では、長州の方がはるかに上だと思うし、 言葉の響きだけなのででしょうか。 私には、この言葉の作者が意図的に下にしたように思えます。 2. なぜ、長州藩士は標準語なのでしょうか。 薩摩や土佐はいつも露骨な方言ですが、恐らくそれが正解です。 「自国の方言を話す長州藩士」のイメージはありません。 当時の長州の教育は、方言禁止だったとか...。 よろしくお願いします。
- 締切済み
- 各種テレビ番組
お礼
ありがとうございます。 >同盟当時は勝は失脚中 失脚中とはb知りませんでした。