坂本龍馬は暗殺された後、これまで何度も有名になり
何度も無名になっています。
暗殺直後は龍馬がヤラレタというので当然騒がれたでしょうけど
明治初期にはそれほど有名ではなかったようです。
というのも、龍馬は商売には長けていましたし、外国の事情には詳しかったようですが
攘夷の理論家としてはそれほどでもなかったんです。
土佐藩の外郭団体みたいな海運会社をやっていましたが、
志士仲間の間では、あいつは本当に尊王攘夷の志士なのか?といった感じだったみたいです。
維新のあとは半ば忘れられていたんです。
最初に有名になるのは日露戦争のときでした。貞明皇后が薄汚い武士の夢を見たと言い出すんです。
その武士が「海防のことは私が守りますから安心してください。」と言ったというんですね。
それを勝海舟が、その男は龍馬ですと言って龍馬について説明するんです。
おそらく勝海舟と皇后のしくんだ作り話でしょうね。大国との戦争で不安に駆られた国民を
安心させようということでしょう。これで有名になったのが最初。
その後また龍馬は忘れられてしまいます。お役御免というわけですね。
次は軍縮時代です。軍縮で海軍予算が削られるんですが、海軍はそれに抵抗するために
竜馬を引っ張り出します。日本を守るには海軍を充実させるしかないということを言いたいために
龍馬が先見の明のある立派な志士だったと宣伝します。高知県の桂浜に立つ龍馬像は
昭和3年に作られました。資金は地元の青年たちの熱意で集まったのですが
海軍が支援しています。ですから戦時中の金属供出からも除外されました。
おかげで戦争に負けたあとは、無視されてしまいます。高知県で終戦後脚光を浴びたのは
自由民権論者の板垣退助でした。板垣退助は百円札になりました。
3回目に有名になったのは司馬遼太郎の新聞連載小説「竜馬が行く」でした。これが面白かった。
私も新聞が来るのを楽しみにしていました。この時のブームはすごかったんですよ。
龍馬が竜馬と書かれるように会ったのは司馬遼太郎がそう書いたからです。
本当は龍馬なんです。
そのあとはテレビです。大河ドラマにも何度も取り上げられましたね。このあたりからは
ご存知でしょう。
私は香川県出身で、小学校の修学旅行で高知へ行き竜馬像を見学しましたが
当時は小説も出ておらず、それほど有名ではありませんでした。
お礼
回答ありがとうございました 大変参考になりました 高知(坂本龍馬)と愛媛(坂の上の雲)はN〇Kが良く取り上げていますので知名度はあると思います。 ブームはすごいですね!