哲学・倫理・宗教学
- 善人と善意とはどのようなことなのでしょうか?
私が考えるところの『善意』とは、ボランティア精神見返りを求めない気持ちなんですが・・・・最近考えさせられることがありまして、どうも『善意』とはそのようなものでない気運がかんじられるのです。 皆さんのお考えになられている『善意』とは、どのようなものなのでしょうか? もしお時間がございましたらお聞かせいただけませんでしょうか? あと、『善人』そうですね、『善意』なお気持ちを持っておられる方のされる行為や言動、すばらしいですね、人のために無償?でおこなえることはそんなことができるひとを善人とでも呼ぶんでしょうね。そうなんです、『善意』これまで私が考えてきたものとなんかちがう『善意』が存在するようなのでこんな質問をあげてご教授していただければと思いました。善意のかたちがもしかわっているのなら、善人と呼ばれるひともなんだか実は悪人だったりするのではなかろうかと考える次第です。 善意は無償なものと考える私の固定観念のようなものを立ち止まって考え直す意味でもお力をお貸しいただければありがたく思う次第です。
- 締切済み
- littlekiss
- 哲学・倫理・宗教学
- 回答数14
- フーコーの表象論について教えてください
美術史を専攻していますが、最近の専門書の中で、よくフーコーの表象論という言葉を見かけます。 いきなり「これはパイプではない」を読んでみたのですが、今ひとつよくわかりませんでした。 フーコーの表象論、あるいは表象論というものについて、教えてください。 また、初心者にもわかりやすい、表象論を論じたフーコーの著作や解説書なども教えていただければ幸いです。 よろしくお願いします。
- 人間の価値は何で決まる?
「人間の価値は何によって決まるのか?」 最近観た映画「ショコラ」でラッセ・ハルストレム監督は「何を排除するかではなく何を受け入れるか」によって決まるのだと訴えていました。ドラマ「ショムニ」によると「異性経験の人数」だそうで。(観ていないのですが) 答えは人の数だけ存在するのだと思います。だからこそ様々な映画や小説のテーマとなっているわけです。しかし個人の価値観が多様化した今だからこそ皆の答えを聞いてみたく思いました。どうでしょう?
- 締切済み
- noname#2626
- 哲学・倫理・宗教学
- 回答数19
- 霊魂に人格はあるか?
霊魂自体が存在するかどうかもよくわかりませんが存在するとお考えの方、 それは死んだときの人格が宿っているのですか?
- 宇宙法則が悪いのか、人間が悪いのか、
「何故、世の中ではこうも理不尽な事件や事故が起きているのか?」まともな知能 と良心がある人なら誰でも考えたことがあることだと思います。私も日々考えてお ります。話し出せばきりがありませんが、結論だけ言わせて頂きますと、やはり、 宇宙法則が不完全だからではないかと思います。 皆様のご意見をお待ちしております。
- 自由意志は存在するのですか?
ノーベル賞を受賞した利根川進さんが・・ 「すべての生命現象が物質現象から発生したものである以上、生命に特有と思われている感動や衝撃といった心理的な現象も、いずれは解明されるだろう」と何か書いているのを、今、思い出した。 人間には自由意志が存在するのか、それとも、自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎないと考えるのか。 利根川進さんよると・・「自由意志が存在するように見えるものの、それは決定されたものにすぎない。」らしい。 自由意志は存在するのですか? 教えて下さい
- 神が全知全能ならならなぜ・・
・キリスト教系の私立大学に今年4月から進学した長男が・・ キリスト教系の私立大学なのでの「宗教」の授業が必須科目で・・全員受講・・ 「宗教」の授業で・・聖書で「エデンでリンゴを食べたアダムとイフに罪を・・とあるが・・」 お父さん、おかしくないの・・神が全知全能なら・・エデンでリンゴをアダムとイフを食べることを予測できたはず・・、それなのにアダムとイフを罰するのはおかしい。」 と、長男がいっています。 教えて下さい
- ニーチェの運命愛とは?
yuan_kouさんの質問「運命の定義って?」に触発されて考えました。 ニーチェの語った運命愛とはどのようなものなのでしょうか。 私は今まで漠然と、悲劇の意志的肯定(克服ではなく受容)のことなの だろうと思っていましたが、違うでしょうか。 私は、克服可能なものは、運命でも悲劇でもないと思います。 (運命と悲劇を同じものと考える傾向が強すぎるのですが) また、人間は運命に出会うことでしか成長できないと思っていますが 偏った考えでしょうか。
- インドの宗教について
インドはたくさんの宗教があります。 その信教人数は何を基準としているのかを知りたいのです。 何でも、まだ生まれてすぐの赤ちゃんまで もう自分の信仰する宗教が決まっているそうです。 考えれば考えるほどわかりません。 何か、本などあれば紹介してくれるとうれしいです。 いつも勝手なお願いすいません。どうぞよろしくお願いします。
- 学級が崩壊したあと、教育は可能なのですか?
授業時間中の生徒は、自分の椅子に体をくくりつけて、教壇の教師の語る言葉を聞き、その要求にこたえ、もとめられている振る舞いをすることによって、教師の満足を得なければ、いい生徒になれない。ここでは、知識は自由をもたらさない。 このような事を誰も疑わず、意味のあることと思っていた時期がありました。将来の為、今がんばれば、きっと役にたつ。みんなが、そう信じていれば「学校の継続」は可能だと思います。授業の邪魔するやつは、病気あつかいして排除すればいいだけです。 ところが、学校は、将来の為、今がんばれば、きっと役にたつ。ということが、うすうす違うんじゃないか、うそっぱちじゃないかと、きずいてるかもしれません。モチベーション、0という状態で 「学校の継続」が可能なのかそれがしりたいです。学校神話が壊れた後で、再び「知識のない者は、どのような辛い壁をよじ登らねばならぬのでしょうか?」と学校の必要性の神話を築けるのか。もう学校という大きな物語りは、終わったのかもしれません。
- ベストアンサー
- passagen22
- 哲学・倫理・宗教学
- 回答数10
- 運命の定義って?
2~3年ほど前から『運命』と言う言葉の持つ意味について何となく考えてきました。わかりそうでわからない。微妙な感じです。 「最初から定められたもの」「自分で切り開いて行くもの」「その人が通ってきた道を、後に誰かが(もしくは自分)運命と呼ぶ」 等など、例をあげていくとこんな物しか出てこないので是非皆さんの「運命」に付いての考えを教えてください。 至極真面目な回答でなくて全然構いませんので、色々と聞かせてください。 宗教的な回答は出来れば避けて頂けると嬉しいのですが・・・。もちろん、あまりにも詳しすぎなければ、というか知識としての宗教でしたら大丈夫です。(押し付け気味な回答はちょっと遠慮します。すみません)
- 独我論と日常感覚
はじめまして。 似たような話題は「主観客観」等の トピックスにて今までも議論しつくされて いるのかもしれませんが、 この世界で現象することは全て 自分の意識の中に立ち現れた限りのものであり、 自分の外に実在する存在者などない、とする 独我論は、 私がいままで経験してきた、自分と世界のあり方の 一つの説明としてある説得力をもつのですが、 日常的な感覚では、 自分と同じような「独我」が自分の外に存在していることを 前提してこのような質問などしており、 思考の上での世界観と日常的な世界観が乖離しています。 このような乖離に対して、どのような調停、 が可能でしょうか。 よろしければ、ご教示ください。
- 列の割り込みについて
列の割り込みって悪いことですよね。 腹が立ちますよね。 直感的に悪いこと、腹が立つと思いますよね。 この理由を秩序を守るためという理由以外に かっこいい理由(これも直感的な理由ですけれど) は無いでしょうか。なんとなくでいいですのでよろしくお願いします。 また、列の割り込みが悪い本当の理由というのも 教えてください。 お願いします。
- なぜ学級は崩壊するのですか?
子供たちが病んでる。それは学校が病んでるせいだ。学校の病が、子供達を、突発的な暴力に、あるいは自閉症的な内向においやっているのだ。ほとんど毎日のようにこの種の紋切り型ほどいらだたしいものはないです。それとともに語られる「学校のあるべき姿」というのも、ほとんど時代遅れのステレオタイプの反復にすぎず、 そもそも、「あるべき姿の学校」などというものは歴史上いつどこに存在したというのだろうか。私達の考えるような学校というものは最初から大変な無理をかかえこんだものではなかったのか?今この時代が経験しつつあるのは、学校の病である以上に、学校という病のひきおこした末期症状なのではあるまいか? 学校は大変な無理をかかえこんでいました。現在その無理をささえることが、できない状態です。学級崩壊を、先生、生徒のせいなのですか?
- 締切済み
- passagen22
- 哲学・倫理・宗教学
- 回答数15