命は命で償える?
一応、死刑賛成という前提で考えます。
死刑賛成者の多くは 被害者遺族の身になって 奪った命は 自分の命を差し出して償うのが当然という考えがあると思います。
しかし、宅間守や加藤智大なんかは 死刑は当然なのに 喩えようのない やるせなさを感じるのではないでしょうか?
宅間は裁判で
「お前らの子供8人は わしが殺して わしが死刑になるために生まれてきたんや。」とか言ったそうです。
遺族としても 宅間を生かしておくのは 言語道断だけど、死刑にしたら 宅間の思い通りになったようで、特に 宅間が言ったように 自分の大事な子供の命が あんな外道の命の 1/8しかないことを認めるようで 非常に悔しい思いをしたと思います。
それに、遺族たちも いざ 宅間の死刑が執行されてみて、区切りはついただろうけど、虚しさを感じ、宅間の最後のセリフが頭に蘇り、自己嫌悪に苛まれたんではないかと察します。
命は命で償うというは、逆から 考えれば 最初から自分の命を差し出すつもりなら 何人殺して構わないということにも なりかねません。
死刑賛成派の論理だと 命はどれも同じ長さで 数本束ねても長さは変わらないということになるかと思いますが、死刑反対派の人からみて、命は命で償うことの最大の不条理は何だと思いますか?