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知らぬが仏ってアダムとイブが禁断の果実を食べて

諺?に知らぬが仏と言う言葉があるけれどそれってアダムとイブが禁断の果実を食べて自分達が裸であることを恥じたのと同じ感覚なんでしょうか?

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  • glee-glee
  • ベストアンサー率30% (127/410)
回答No.4

違うと思う。 知らぬが仏は、事実や真実を知らない方が幸せである。幸せでいられる。と言う事。 でもこう言った『事実』や『真実』『恥』『嘘』はアダムとイブが禁断の果実を食べて知恵を手に入れた事で知った概念。 禁断の果実を食べていなければ『知らぬが仏』みたいな概念は生まれて来なかったとも言えるね。

noname#248885
質問者

お礼

分かりやすい回答ありがとうございます

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その他の回答 (3)

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1701/4759)
回答No.3

見てはいけないものを見て悲劇を生むことを「知らぬが仏」と言います 『知らねば仏、見ぬが秘事』 ちなみに故事です(上記) この言葉を「故事」として解釈するのか?他の回答のように「諺」として解釈するのか?で、意味が変わります 諺としての意味は、他の回答に託すとして、故事としては昔の日本らしい考え方です 例えば昔は、家族が癌の末期であったら、もう治らないので、あえてそのことを告げないで、前向きな心のまま(治ることを信じて)、最後を過ごしてもらう・・・という感じです(モルヒネ・鎮痛剤で最後は意識も飛ぶので) しかし、今は、個人の最後の過ごし方を尊重して、真実を伝えることが時制ですから、知らぬが仏は当てはまらない時代です あるいは家族が、奇妙な服装を気に入っているが、ある程度周りの人も理解はあるので、あえてそこは指摘しないで、本人が幸せならそれで良い・・・いわゆる「裸の王様」の『物語』に似ています この「裸の王様」もまた、諺にしてしまうと、悪い意味で捉えられ表現されるように、『物語』ならまさにアダムとイブに当てはまりますが、諺にすると意味が逆転します 諺とは、まさに時制の解釈です 言ってしまえば、その時代の「しつけ」「教育」で勝手に解釈が捻じ曲げられてきました 例で言えば「井の中の蛙大海を知らず」です 本来は・・「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る」です これももともとは「故事」で、ひとつのことを突き詰めて努力すれば、他のこと(世界・世の中)も解釈できるという意味で、「諺」の真逆なのです つまり、ご質問も「故事」としての「知らぬが仏」と諺としての「知らぬが仏」では意味が違います ので・・・・、 >諺?に知らぬが仏と言う言葉があるけれどそれってアダムとイブが禁断の果実を食べて自分達が裸であることを恥じたのと同じ感覚なんでしょうか? 「知らぬが仏」を故事として解釈すれば、その通りですし、諺として解釈すれば、意味が変わってしまうということですね

noname#248885
質問者

お礼

知らない方が幸せだったけど知ってしまってからは嘘や真実を目の当たりにしてしまって自分を恥じてしまったら、知らぬ場仏がよかったと言うことにもなるんでしょうね

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  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.2

1。諺?に知らぬが仏と言う言葉があるけれどそれってアダムとイブが禁断の果実を食べて自分達が裸であることを恥じたのと同じ感覚なんでしょうか?  違うと思います。 2。「知らぬが仏」には、下記のように、(い)知らなければブッダのような平静な心でいられる、と(ろ)知っていても知らない振りをして、責任を逃れる、の二つの意味があります。  http://kotowaza-allguide.com/si/shiranugahotoke.html 3。禁断の木の実の話は、主としてユダヤ・キリスト教の旧約聖書の創世記にある、タブーを破ると罪になる。という話です。 4。大きな違いは、前者には平静さがあり罪の意識はない、後者には、最初に罪悪感を植え付ける、という目的がある、ということでしょう。 5。キリスト教の原理は、敵にまず罪を犯したという意識を押し付け、教理と武器をアメと鞭に使って、植民地を拡大したのは周知の通りです。

noname#248885
質問者

お礼

分かりやすい回答ありがとうございます。 知らないことを罪としないことと、知ってしまったら罪だとわかって自分を恥じるといったことなんでしょうか?

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  • Nakay702
  • ベストアンサー率80% (9741/12123)
回答No.1

以下のとおりお答えします。 >諺?に知らぬが仏と言う言葉があるけれどそれってアダムとイブが禁断の果実を食べて自分達が裸であることを恥じたのと同じ感覚なんでしょうか? ⇒「恥を知る以前」と同じ感覚でしょう。 『故事ことわざ辞典』によれば、知らぬが仏とは、「知れば腹も立ち、苦しみもするが、知らなければ仏様のように平気でおだやかでいられる」という意味だそうですから、アダムとイブが禁断の果実を食べて自分達が裸であることを恥じるようになる前と同じ感覚ということになるでしょうね。 この諺の全文としては、知らぬが仏のあとに「見ぬが極楽」と続けることもあるようです。

noname#248885
質問者

お礼

知らぬが仏は禁断のか実に似てて、食べなければ知らなければ幸せだったのに知ってしまってからはあとが辛いみたいなのが似てると思いました。ありがとうございます

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