- ベストアンサー
【宗教】遠敷明神(オニウ明神)と牛頭天王の素盞嗚尊
fujic-1990の回答
遠敷明神というのは初めて見たので、まったく知りませんでしたが、多少は興味があるのでちょっとだけ調べてみました。 日本書紀にある「海幸山幸の物語」に出て来る「山幸彦」を祭神としているようですね。そっちの物語なら知っていますが。 天孫族と隼人族の争いが神話になったものではないか、というようなことが書いてありました。天孫族(ヤマト朝廷)が隼人(九州の人?)と出会うのは、出雲などで素戔嗚尊が奮闘した時期よりも後のはずですから、時期的には素戔嗚尊よりは後の神様だと思います。 もっとも、天孫族が神武東征以前にまず九州で戦っていたとすれば、こちらが先かもしれませんが。 どっちにしろ、710年代に仮神社ができていたようですので、奈良時代(奈良時代は710~784年)には信仰されていたものとも思います。 素戔嗚尊は、なんと言っても朝廷のご先祖天照大神を相手に暴れたとも伝わる神様ですから当然、大和朝廷の広がりとともに素戔嗚尊伝説も広がり、奈良時代には有名だったはずです。 が、山幸彦と素戔嗚尊は関係ないと思われます。いわんや、素戔嗚尊の本地仏と言われる(←こじつけ)インドの牛頭天王とは関係ないと思います。
関連するQ&A
- 牛頭天王と牛頭羅刹との関係について
マニアックな質問です。 なるべく専門家のご回答がいただければ幸いです。 (1)八坂神社の祭神牛頭天王は祇園精舎の守護神と説明されています。 荒ぶる神が人間のために訓育され奉仕するというパタンの神さまですか? もしてなづけたとしたら、それはお釈迦さまですか? (2)一方地獄草子に描かれている牛頭羅刹は、生前家畜を虐待することの因果応報を教える。いわば動物愛護教育の材料かとも思われます。 この両者は全く無関係か、どちらかが源流の関係、又は通底する何かがあるのですか? (3)牛頭天王の画像を簡単に入手する方法
- 締切済み
- 伝統文化・風習
- 天王山はいつから呼ばれた?
「天王山」とは、勝敗の分目という意味合いでよく使われますが、「天王山」は、秀吉軍と光秀軍が戦う以前から「天王山」と呼ばれていた山でしょうか。それとも以前は別の山名であったものが、山崎の戦いによって、以後この名に変更したのでしょうか。 Wikipediaには「天王山は元は山崎山と呼んでいたが、当社にちなんで天王山と呼ばれるようになった」とあり、天王山の頂上近くに中世ごろよりあった天神八王子神(牛頭天王)を祀る「山崎天王社」が由来とあります。 知りたいのは、「山崎の戦」のときには、すでに「天王山」と呼ばれていたのかどうかという点と、それを確かめる文献、もしくは伝承です。 教えて下さい。
- ベストアンサー
- 歴史
- 四天王の語源って何?????
ものまね四天王とか、明訓四天王とか、ポケモンリーグ四天王とか、徳川四天王とか、東京四天王とか・・・・・いろんな四天王がいます。 そもそも、四天王という言葉はどこから来たのでしょうか。初代四天王は誰なんでしょうか。四人組の偉い神様でもいたのでしょうか。何気なく使ってる言葉ですが、起源が何なのかまったく思い当たりません。 どなたかご存知でしたらご教授ください。
- ベストアンサー
- 日本語・現代文・国語
- 貴方の宗教、或いは無宗教のセールスポイントは?
貴方は宗教の信者でしょうか?それとも無宗教でしょうか? 何れにしてもその理由があると思います 貴方はなぜその信仰を持つのでしょうか?或いは何故無宗教なのでしょうか? 実際に霊験新たかだからとか、神は助けてはくれない事をまざまざと見たからとか そのセールスポイント 何故信仰を持っているのか 何故持たないのかを 簡潔に教えて頂けるとありがたいです。よろしくおねがいします。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 宗教画を描きたいのですが
神をただキャンバスに描くだけでも、宗教画といえますか? 古代エジプトの、今は崇拝されていない神なのですが どうしても「信仰が終った」とは考えたくなく、自分で信仰心を形にし残せることはないかと思っています。 私は高3で、大学をはっきりと決めなければまずいのですが 宗教学について学んだほうがいいのか、絵画についての技法などを学んだほうがいいのか とても悩んでいます。 なりたい職業も決まっていなくて、最悪な状況です。 正直、偏差値は45辺で 今からじゃ到底、上の大学を目指す事は難しすぎる事はわかっています。 神話や宗教について学んでいなければ、絵を描いても宗教画といえないなら、宗教学を学びます。 信仰心だけでも、その神を描くことで宗教画といえるなら、美術科に行きます。 どちらがいいんでしょうか;
- 締切済み
- 大学受験
- 何故宗教は信仰されるのでしょうか
今現在、世界には様々な宗教があります。ユダヤ教、イスラム教、ゾロアスター教、仏教、オウム真理教など種類も信仰の対象も様々です。 しかし、私には何故宗教が信仰されるのか今ひとつ理解できません。 世界史的に見ればほとんどの宗教は神権政治や民衆反乱によってできた、つまり人が人を動かすために都合のよいからという理由で生まれてきているということです。そして宗教は基本的に神と呼ばれるものを信仰しますが、今日に至る過程の間に宗教同士が混ざり、神が混ざり、新たな神、信仰が作り出されるといったことが少なからずありました。現在においても同じ宗教でも考え方に相違がある、等ということがあります。 人類はここまで宗教のルーツについて客観的な調査ができています。それなのに何故、人類は人類自らが人民誘導のために作り出した宗教を何の疑いもなく信仰できるのでしょうか? 現在キリスト教には20億人の信者がいると言われています。そしてその起源はユダヤ教にあるとされています。そのユダヤ教もバビロン捕囚によって精神的に追い詰められたイスラエル民族がまとまりを取り戻し再び歩み出す際に生まれた宗教です。実際に誰も神の世界を見たわけではないですし、世界を想像した主が信じるものしか救わない、それも必ず救われるわけでもない。(信じて救われるのなら人は死にません。)そんな確かな存在証明もされていない神を本当に20億人もの人が信じているのでしょうか?(例えば、まだ宗教のルーツが完全に把握できておらず、なおかつ神がいたという古代人による表記が多数見つかっている、とかならまだ神はいないという意見に確証性が足りないので理解できないでもないですが・・・) 私は無宗教ですので宗教を信じる人の気持ちを理解しているわけではありません。しかしこうも条件がそろうと神を信じている人の言うことよりも神が人為的に作られた架空のものであるという考えのほうが辻褄があうのでは、と思います。 宗教の自由についてとやかく言うつもりはありませんが、一体何人の宗教信者が史実を理解し、それでも神はいるという確証性のある持論を持ち信仰をしているのか疑問に思います。 どなたか詳しい方ご教授をお願いします。 また、私は世界史についての学があるわけではないですし、宗教についても見当外れな知識や、差別的な見方を持っている可能性があります。この文を読んで不快感を覚えた方には深くお詫び申し上げます。
- ベストアンサー
- その他(カルチャー)
お礼
ありがとうございます