なぜ日本軍を信頼できるのでしょうか
なぜ日本軍を信頼できるのでしょうか。
安全保障関連法という法律が無理やり制定されました。その真意には先行きに軍隊を作りたいという気持ちがあるようです。その方々はどうやら日本軍が軍として役に立ち、国民に幸福をもたらすと考えていらっしゃるようです。要するに日本軍を信頼している。新しいはやり言葉でいうとリスペクトしているらしくみえます。
なぜあなたは日本軍を信頼できるのでしょうか。それが私には不思議です。
まず世界全体一般軍事について、戦争の全てについてよく聞くことですが、始まりの大義名分とは自国防衛、平和のためといいながら、実のところは侵略です。たとえば国連軍が派遣した核排除のためのイラク戦争でさえ、核はなかったのに内政に干渉し、一国を滅ぼしたことは事実です。
核保有の疑いは言いがかりにすぎず侵略行為でした。このように「国際平和・自国防衛」の戦争は全世界の歴史に一つたりとありません。専守防衛戦争も同じく世界に皆無です。
平和と命を失うばかりの軍に資金と名目を与えてはなりません。
以上は世界一般の話ですが、ご当地、昔の日本を振り返れば、特に中国で英米蘭支配進行中の大陸の時勢に悪乗りして日本軍が中国を侵略しました。もちろん朝鮮でも併合という侵略行為をしてきました。
シナ事変・日中戦争、その日本の侵略を抑制阻害しようとした英米の経済封鎖・エネルギー封鎖があり、それに耐えない情けない軍の反抗が太平洋戦争へ続きました。
開戦の真珠湾攻撃では宣戦布告の前から作戦を開始して、いわゆる敵の寝首をかく卑怯な夜討ち戦法というわけです。70年後、いまだに米国人の怒りを新たにさせる出来事です。
さらに悪いことに沖縄戦では住民の命を盾に日本皇軍が逃走しました。国民の命さえ友軍が奪ったのです。あなたに怒りは生まれませんか。気にしませんか?
またインパール作戦では誤った戦法の命令から、兵士の万死、憤死、餓死、犬死をさせる程の悪行を重ねたのです。万死、憤死、餓死、犬死のどれが表現に適するかあまりの悪行に表現がしきれません。70年後の今ご存じない方も多いでしょうがWEBや図書館で調べてみてください。
良いことなし、およそ信頼に能わない日本軍です。
このような皇軍評価では、「自分の父や親戚の苦労を無にするか!「軍神英霊の御霊を粗末にするな」「戦死を犬死と呼ぶな」、「泉下におられるであろうお父さまがお嘆きだ」とか言い出す御仁がいます。そのような流れでは、そのあとに反省や評価や信賞必罰が続けられません。
当然ですが、反省の声がないことから、日本の軍隊には進歩がないのです。
すでに軍備について最先鋭新鋭の設備と世界に誇る戦機量を持つ日本ですが、レベルは小学生に自動車を買い与えたようなものです。
インパール作戦の何が悪かったのか、兵站です。無補給のまま、めいめいが背にした3日分の食料で1か月行程の山路を生きて超えることはできません。銃器、戦器も補給できません。いまだに何も進歩していません。
日本軍の兵站技術の歴史は織田信長の戦国時代からほぼ進歩していません。現地で軍票により購買、物々交換、野盗となって近隣住民食料を略奪のどれかです。太平洋戦争のアジアでは補給艦隊が全滅したこともあり、主に略奪です。
父の話によると軍営においては毎日営舎内で上官命令による互いの盗みあいと拳骨ビンタの嵐が新兵を襲うそうです。すると上官の調達命令に躊躇なく、盗みであっても命令に従う兵卒を作れたのでしょう。するとよい人には過酷な地獄の生活です。兵営では校長先生、教師、神父、僧侶の名のある人間は首をつって死ぬしかない暮らしだったそうです。
名士の皆さんに生きざまを公衆に強く主張できる場があれば、犬死ではなかったかもしれません。
そんな場がない軍隊だったので、便所の中で首を吊っていたそうです。3人にであった、知るだけで2ケタの人数を数えたと父は述べていました。悲惨な死を迎えた名士たち、その生き様主張の場も昔も今もいまだにありません。
兵站補給線は米軍が日本軍の補給艦隊を狙い撃ちして全滅させ、結果米国が全面勝利を得たように、戦争の勝負を分ける最前線です。もし私が軍に入れば狙いは兵站補給線です。真っ向から等しい力が対峙するような前線では火ぶたを切らず静かに息をこらし時期を待ちます。
もし精鋭部隊と新兵部隊の区別がつけば、新兵を狙います。父によると新兵20人以上の働きが古年兵1名で成しえるそうです。古年兵と同等の力は前線経験2年以上ないと得られぬそうです。私も最精鋭の外人部隊と戦いたいとは思いません。ですからイスラム兵が戦地で日本兵と米兵を見たら、決して米軍を狙わず日本兵を狙うのが道理です。日本軍の任務は最も危険なのです。
日本では職業軍人でも戦地で見れば新兵の日本兵がもし兵站補給線にいれば、敵から見ればカモが葱を背負って歩いているのです。
なぜあなたは日本軍を信頼できるのでしょうか。それが私には不思議です。良いことなし、およそ信頼に能わない日本軍です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 第48師団と第5師団を調べました。 第48師団には、自動車の他に「日本陸軍としては初の自動二輪車60両集中配置を行った自動二輪車隊を捜索第48連隊内に設置した」そうです。 また、第5師団は、昭和15年末「輓馬主体の編制から自動車3個中隊(総数124輌)に改編」したそうです。 お陰様で疑問は解消しました。