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「目新しい」と「目映い」の使い分けについて

目の字は「め」と読んだり「ま」と読んだりします。 「目蓋」を「まぶた」と読んでも「めぶた」とは読みません。 「目の当たり」を「まのあたり」と言いますが、「めのあたり」とは言いません。 「目映い」は「まばゆい」と言っても「めばゆい」とは言いませんから、何か使い分けの根拠があるのだろうと思いますが、「目新しい」を「まあたらしい」と読まないのはなぜなのですか。

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  • SPS700
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回答No.5

 #4です。補足です。 >>全くの新品と珍奇なものといった語感の違いがありますが、「まあたらしい」と「めあらたしい」は似て非なる別語なのでしょうか。謎が深まります。  これは二重語、姉妹語、英語では doublet と呼ばれるものでたくさん例があります。shade と shadow のように、語源は同じですが意味の違う二語です。  https://ejje.weblio.jp/content/Doublet  日本語の場合母音の交替を示して居るほうが古く、酒屋も、サカヤの方がサケヤより古いが、両方とも存在しますが、目新しいと違って意味は同じです。  場合によっては「真新しい」と書くために、目という語源が「目新しい」だけにあると誤解されることもあります。  

jasko
質問者

お礼

重ねての回答ありがとうございます。 つまり。「めあたらしい」も「まあたらしい」も母音交代で発生した一卵性の双子だったのですけれども、漢字をあてはめているうちに目と真の二つをつけてしまい、漢字の目と真の意味の影響を受けて、片や物珍しさ、片や真っ新という使い分けが誕生したということなのでしょうか。ということは「目新しい」は「マアタラシイ」と読むべきなのかなぁ。

その他の回答 (6)

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.7

 日本には、古くから  「雨(う)の字をば、アメ、サメ、ダレとグレて読み」  という自虐的川柳?があるくらい多種多様な読みを当ててますから、一々「なぜ」とか理屈を言ってもムダなような気がします。  雷雨、雨、霧雨、五月雨、時雨  ついでにいうと、 雨音(アマ)、梅雨(梅を「つ」、雨を「ゆ」と読むわけではない) というのもありますね。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.6

 $3です。補足です。 >>漢字をあてはめているうちに目と真の二つをつけてしまい、漢字の目と真の意味の影響を受けて、片や物珍しさ、片や真っ新という使い分けが誕生したということなのでしょうか。ということは「目新しい」は「マアタラシイ」と読むべきなのかなぁ。  まず最初に、メアタラシイ、マアタラシイの二つが「話し言葉」で二つに分かれ、その後で、「真」と「目」の漢字が当てられたのだと思います。  両方意味の違う言葉が二つ現存するわけですから無理に「目新しい」をマと読む必要はないと思います。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.4

 これは、日本語の「母音交代」などと呼ばれる現象のうちの一つで、それだけポツンとあるものには「e」、まだ後に続くときは「a」などがあります。 http://wpmu.hidezumi.com/?p=3943 船は fune と 船乗り funanori、 稲は ine と稲穂 inaho、 手 te は 手綱 taduna、雨傘、酒屋、などもその例で、目 me と 目蓋 mabuta はその例です。  このほかにも「i」と「o」例えば 木 ki と木立 kodachi などがあります。  学者によってはポツンと独立する形を「露出形」、後に何か続く形を「被覆形」と呼ぶ人もいます。  http://portal.dl.saga-u.ac.jp/bitstream/123456789/122926/1/ono_201701.pdf 1。「目の当たり」を「まのあたり」と言いますが、「めのあたり」とは言いません。   これは古い日本語からあるので、まばゆい、や眩しい、まのあたりは古くからあるためでしょう。 2。「目新しい」を「まあたらしい」と読まないのはなぜなのですか。  どちらも使います。目新しいは最近の言い方で真新しいは昔からあります。

jasko
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 全くの新品と珍奇なものといった語感の違いがありますが、「まあたらしい」と「めあらたしい」は似て非なる別語なのでしょうか。謎が深まります。

  • tihe
  • ベストアンサー率23% (57/246)
回答No.3

基本的にですが、目の後に来るのが濁点をもつ音の場合まと読みます。 目蓋→まぶた、目映い→まばゆい、目深→まぶか、目草→まぐさ、目合い→まぐわい 目指し→まなざし 目ざしなので目の後が濁点です 目頭→まがしら、目尻→まじり これらはこういう読み方もあります。 言葉は変わるものですし、例外ももちろんありますが十中八九この法則かと。

  • marukajiri
  • ベストアンサー率45% (504/1101)
回答No.2

まず口から発する言葉ありきで、あとからそれに見合った漢字が割り当てられるということがされているのです。目に関する言葉には「目」の字を使い、「ま」と読ませたり、「め」と読んだりしているのです。 「まあたらしい車」と言うと、出たばかりの新車のことを言うと思います。また「めあたらしい車」と言うと、変わった車のことを言っているという違いがあります。その違いが漢字に出るのです。「まあたらしい→真新しい」「めあたらしい→目新しい」 目は眼であり、「め」というのは「まなこ」とも言います。目の字を使って「ま」という読みになるのは「まなこ」の「ま」から来ています。 繰り返しますが、基本は、まず言葉があって、それに漢字があてられたのです。なぜ違う読み方をしないのかは、そういう順番だからです。 ちなみに、将来もし仮に、漢字の間違った読み方が世間一般的に広まった場合には、その間違った読み方も世間の一般常識として通用することになるかもしれません。

jasko
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 全くの新品と珍奇なものといった語感の違いがありますが、「まあたらしい」と「めあらたしい」は似て非なる別語なのでしょうか。謎が深まります。

  • bakansky
  • ベストアンサー率48% (3506/7250)
回答No.1

なるほど、そう言われればそうだな、と思いました。 目のことを、古くは [ま] といったようなので、目という文字の下に別な言葉をつなげて複合語ができた時には [ま] と読まれたのかもしれません。 「目新しい」 という語は、ひょっとすると、かなり新しく作られた語なのかも。それに、[まあたらしい] と読むと、「真新しい」 という語と混同してしまうことから、差別化のために [め] という読み方をするようになったのかも。(「新しい」 を [あたらしい] と読むこと自体が明治以降のことで、本来は [あらたしい] という言葉でしたし)。 以上は私の素人考えですので、この後、もっと詳しい方による、正しい説明があるかもしれません。

jasko
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 全くの新品と珍奇なものといった語感の違いがありますが、「まあたらしい」と「めあらたしい」は似て非なる別語なのでしょうか。謎が深まります。

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