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将来の教育はいかに変わるのか
- 令和時代の子どもたちにとって、教育は最も重要な時期であり、英語の重要性も増しています。しかし、教師同士のいじめ事件や教育委員会の不作為など、教育現場には深刻な問題があります。
- そこで文部科学省は学校改革を進め、「スポーツや音楽など」は児童全員が自宅で自主学習し、教科での学習には出校日にミニテストを行うという新しい教育スタイルを提案しています。
- しかし、貧困や共稼ぎで児童の監視が難しい家庭では、毎日児童が学校に出校し、教師やパソコン、教科書、インターネットなどを活用して自主学習する必要があります。今後、このような教育スタイルが一般化する可能性もあります。
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>これは児童が自主積極的に調べ学ぶを身に付けるためです。今までは教師が教科 を一辺倒呼んで解説するだけ、児童が解ろうが解らないだろうが時間が来れば終 わりと言う授業です。後は塾で勉強しなさいと丸投げそれが今の学校です。 貴方の提案の場合、個々の主体性の程度によって 今以上に効果に差が出ると推察される。 親が指導するか、やる気のある人だけがどんどん進む。 興味がなければまったくやらない。 何年も留年させれば来なくなる。できなくても進級させる? 今の学校でも教科ごとに習熟度別にクラスを編成すれば それなりに救える。全教科でやれば子供に色がつくので 教科ごとにクラスを変えれば緩和できる。 義務教育の間は強制した方が零れ落ちる人は少ないでしょう。 高校になれば義務教育でもないことで、入学試験である程度の 範囲の子がきているので小中ほど差は大きくない。
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- saltmax
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>今はインターネットで十分な知識を知ることが出来る ので教師よりも知っている児童が増えてきているように思います。 ここのQ&Aでもそうですが、 管理者は回答の真偽正誤に関してタッチしないことになってます。 ネットで得た知識が正しいなんて何の担保もありません。 正しい知識が得られる、検証できるところは何処か? どうやって検証するのかを 教えずに教育もないでしょう。 正しいとわからない知識は無意味です。 大学教授の論文でもweb閲覧は可能ですが その人ひとりの意見であってそれが世界で認知され支持されているかは もっと調査しないとわかりません。
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有り難う御座いました。
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そうですね。教科の問題や教師からの課題を解くために、パソコンや図書館から ヒントを受けることが出来ます。週一回の登校授業において各児童の回答を考え を発表し、間違いがあれば教師が指導教授して正す事も良いのかと思います。 これは児童が自主積極的に調べ学ぶを身に付けるためです。今までは教師が教科 を一辺倒呼んで解説するだけ、児童が解ろうが解らないだろうが時間が来れば終 わりと言う授業です。後は塾で勉強しなさいと丸投げそれが今の学校です。
- saltmax
- ベストアンサー率39% (2997/7599)
>園児・児童の年齢は人生を左右する最初の時期ではないでしょうか。 そんなこと。 生まれる前から親や周囲の環境は平等などではありません。 子供の間に与えられるのは公平な機会であって結果、成果ではありません。 大人になっても同じでしょう。 環境は差が無くても親の知見によって子に与える示唆には 差があるでしょう。 学力だけに目をむければ 小中学校の教育内容はそれほど厚くないので 密に教育すればそれほど差は生まれません。 学力だけなら過疎地の小編成のクラスの方が高くなります。 しかし、そこでは大編成の集団での行動を学ぶことはできません。 社会で生き抜く上ではそちらの方が重要であることは言うまでもありません。
お礼
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現在でも国営の学校の他に町営の小学校があります。人数は少ないですが、 教師も児童もそれなりの教科をこなし楽しくのびのびとしています。文部 科学省や教育委員会のうるさいプレッシャーとか提出書類が無いので気楽 です。ただ、大人数で行う団体行動は出来ませんが、自然との教育も取り 入れ、ぐれずに素直に育っているようです。 高学歴(東京大学卒)でも実行力が無ければ無能です。低学歴(中学卒業) でも実行力が有れば有能です。学力は実行するために役立てるもので、学 力が無ければ知識の有る人の力を借りるとか教わるとかで達成すれば良い ことだと思います。今はインターネットで十分な知識を知ることが出来る ので教師よりも知っている児童が増えてきているように思います。
- tzd78886
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政治家は面倒なことに手を出したがらないので、細かい点は変わることは有っても概ね今のまま推移するでしょうね。大きく変えようとすれば必ず反感を持つ人が多数現れて、政治家、政権政党としての生命を脅かしかねないからです。
お礼
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古い頭の政治家がいる限り、良い教育は出来ないし、反対はあると思います。 「俺たちがしてきたことは、これからも続けていく、金儲けのために」政治 の中に蔓延しているそんな世の中です。園児・児童・生徒に対して、如何に 世の中を「上手く、いやらしく、楽しく、金を儲けて」自分の人生を如何に 生き延びていくのかを学び、「君が代は、千代に八千代に、さざれ石の巌と 成りて、日本が滅びゆくまで」生存術を心得なければ、せっかくこの世に生 まれてきたのに餓死・自殺を選ばなければ成らない。国としては平和に見え るが個人個人にして見ればけして生活は楽ではないはず、国民の為の保障を 厚くし安心した生活を取り戻せば、祭り事が楽しくなると思います。
- saltmax
- ベストアンサー率39% (2997/7599)
>保育園と幼稚園の何処が違うというと、保育園は一日中寝ていれば良いとこ ろで、時間割はありません。 幼稚園の管轄は文部科学省で幼稚園は学校教育法で定められた教育を行う学校です。 保育所の管轄は厚生労働省で親が働く為に子供を預かる児童福祉施設であって 学校ではありません。(3歳から6歳の保育内容については、幼稚園の領域と整合性を図っている。) マイクロソフトにオフィスというソフトがありますが、 学生版は幼稚園の子供は買えますが保育所の子供は買えません。 保育所は学校ではなく、子供は学生ではないからです。
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貧困家庭、母子家庭、共稼ぎは保育園組です。裕福な家庭、共稼ぎを しなくても良い家庭は幼稚園です。ここで園児教育の差が出てきます。 おそらく今の政治家は幼稚園組だと思います。保育園組みは「馬鹿」 だと思われがちで、幼稚園組はすでに上から目線なのです。その環境 の中、大人に成るにつれ保育園組は高校へ進学が出来るのか、大学ま で行けるのか、負け組になるのか、幼稚園組でも落ちこぼれは居ます が裕福な分、やる気があれば進学もできるし、やる気が無ければ反抗 期になり家を飛び出す事も、不良になることもあり得ます。園児・児 童の年齢は人生を左右する最初の時期ではないでしょうか。
- saltmax
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いじめのようなものは 動物的反応なので 教師に限らず、会社でも公務員でも議員の世界でも 当然、あります。 今回の教師間のいじめと教育委員会は会見していますが、 大人の刑事事件なので、いじめと定義なんかできません。 教師でも公務員なら見聞きした人は告発する義務があります。 そのことに対する校長に裁量権はありません。 起訴、不起訴を決めるのは検事だけです。 学校教育は集団での社会での生き方を教育訓練する場なので 教科を教える場ととらえるのなら学校なんか不用です。 社会で生きる術を練習しないと学校の意味がありません。 それは一人では練習できません。 社会にでてからでは実践なので遅すぎます。 親は躾はできても集団での行いを練習させることは 人数的にできません。機会は与えられます。 社会には様々な障害もあれば人的な攻撃もあるのは当然なので 学校生活において精神も肉体同様に鍛えないと社会で生きていけません。 それができる場所を常識のない、責任逃れの教師、教育委員会などに 任せておくから今のようなことになるのです。
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保育園と幼稚園の何処が違うというと、保育園は一日中寝ていれば良いとこ ろで、時間割はありません。幼稚園は規律正しい教育と時間割の中で色々と 学びます。貧困とか裕福の違いで入園が別れますが、賢いとか馬鹿とかでは 無く、如何にグループ仲間との交流の中で一般常識を学べるのか、10歳ま でに基礎が身につき精神年齢を育てれるのか。その後、読み書き算盤(算数 や国語)生活に必要最低限な知識を学び、教授や博士を目指すなら中学・高 校・大学・大学院・留学と言う道もあります。人それぞれ人生は1度だけ、 それでも、園児・児童の時期は大事な成長期だと思います。その為、教師と 教師の虐めは有っては成らない職業の一つだと思います。
- potatorooms
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良し悪しの視点ではなく、次期課程との整合性の話なのですが。。。 今の高2からの大学受験や次の新しい教育課程での大きなテーマはコミュニケーション力の養成になっています。 今の教育では、コミュ障や協働できない人が量産されてしまっていること大きな課題となっています。 ゆとり教育やその後の戦後最大の厚さの教科書での教育では、個人の能力の育成をあてにしていたのですが、次の課程ではコミュニケーションが取れない人、協働できない人を上級学校に進学させない制度を取ろうとしています。 自学自習ができる人材を重要視しない入試制度に切り替わったあと、ご質問で描かれた近い将来は、落伍者を育てる教育になるように思われます。 理想的な教育なのかもしれませんが、今の政府や文科省の進めている方向とは真逆で、現実で成功しにくいやり方になるように思えます。
お礼
有り難う御座いました。
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団体生活で多くを学びます。団体生活は民間で教育すべきだと思います。 例えば、ボーイスカウト、ソフトボール、厳しく言えば体験入隊(警察 や消防、自衛隊や病院、老人ホームなど)民間の先生は沢山おられます、 社会へ出て役立つ(興味ある仕事)を知ることも教育の一つです。その ように思います。教師になりたければ学校の職員室で学べば良いと思い ます。
>小学生は人生の中で一番大事な時、 大人へと大きく成長する時、・・・。 貴方が冒頭に謳っておられるとおり!と関心を寄せたのも束の間? 「一番大事な時」に何をしておかなければいけないのか?意見が分かれるところ。 私は、学問は各家庭の多種多様化、貧富の差によってベクトルが益々違っているのは仕方がない事と諦めていますが、、、時間厳守に始まり、共同生活に於いて、コミュニケーション力、意見の相違に対する理解力、団体行動の中の立ち位置、リーダー的引率力、喜怒哀楽のコントロール等々・・・挙げればキリが無いくらいの内容が感受性の高い年齢時に習得することを意味するものと考えます。 その環境の中で、「学問」という国民レベルを傍から見ても判断出来る基準(スペック)を構築しているに過ぎないと思っています。 人間の価値は、英知だけではなく、公共性の中で自立を欲とし、勇気と情熱を傾けてこそ、身に起こる出来事、他人の出来事を「幸せ」と感じる人格が形成されていく、、、>大人へと大きく成長する時 なんだろうと思います。
お礼
有り難う御座いました。
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ご意見良く解ります。ですが団体生活は中学校から高校そして大学へと、 大人になった考えが出来てからの方が、より切磋琢磨出来るのではと思 います。児童生徒の団体生活はあまり影響ない不要のような気がします。 特に、教師が教師を虐める学校に、心の白紙である児童生徒が影響し黒 く染まっていくのは教育にふさわしくありません。と思います。
- staratras
- ベストアンサー率41% (1494/3640)
これからの学校ではパソコンやインターネットを現在以上に活用すべきだというのは「その通り」ですが、一足飛びに「毎日の登校は不要」というところまで進むべきかどうかは疑問です。 少子化がますます進んで一人っ子も多くなり、また地域社会にも子どもが少なくなっていく時代だからこそ、「学校で同年代や年少・年長の子どもたちと直接触れ合う機会が必要だ」という主張にも一理あるからです。 もちろん現在の学校にはいじめなどの課題があり、どうしてもなじめない子どもや学校で不幸になる子どもがいることも事実ですので、要はパソコンなどを利用した学習(e-learning)等も含めて「その子一人一人に最適な教育」が受けられる(選択できる)制度になれば幸福だと思います。 そもそもe-learningは、よほど優れたコンテンツでなければ途中で飽きてしまいます。百歩譲って優れたプログラムができあがり、子どもたちが一日中パソコンの前に座ってその学習に熱中していたとすれば、それはそれで親としては逆に気がかりになるのでしょうか。
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有り難う御座いました。
補足
色々な議論をして児童生徒達が学びやすい学校に導いていきたい。 優秀な児童は先へ進み、そうで無い児童は追いつけるよう指導し、 悪い言い方ですが、オリンピックも大事です海外への支援金も大 事です。でも、児童生徒の環境を優先しないと「半グレ」が増え て世の中をかき乱す、「騙される大学生、騙される高齢者」人生 を狂わせる、しかし、罪にはならない普通の国民「ヤクザでも無 い、善良な国民でも無い」そんなグループが増えてきています。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
私の予想もそれに近いです。 家にいてはけじめがつかないので毎日登校の必要性はありますが、混雑を避けるために時差通学が導入されます。 校内では集団行動とコンピューターにおける自習との二つに分けられ、自習は 年齢によるクラスではなくレベル別です。ですので、プロジェクトを割り振られてもそのクラスで遅れをとるも特に出ません。 スポーツのように初心者からレベルが上がって行き、それが目に見えるために向上心と競争心を刺激しますし、教師はクラス内が同じレベルなので監督しやすいでしょう。また教えるのはモニター内でプログラムができているので、公文式のように監督してわからない生徒の手助けをするだけです。早く終わった人はどんどん先のレベルに進んでいいのです。 中学高校は6年生に統合します。途中で学生の入れ替えをすると人格形成期に友人関係が保持できないために人付き合いが苦手になってしまいます。 試験は入試があからさまに季節が決まっておらず、自動車学校のようにいつでもレベルが達した人が編入できる形になります。 大学だけは現在の形を保ち、ただしゼミはネットで参加できるので地方在住のままで通学できます。 高校までは学校に1日一回は通うという形をとることで両親の留守の間も自宅で勝手にしている訳ではありません。この程度は社会が監督しないと子供は悪い道にハマりやすいので。 学校においての集団教育はスポーツや集団行動を取るためのクラスにおいて年齢差のある人間関係を学びます。男女問わず大人とも年下とも話せる人間関係です。現在の同じ年の人としか会話のない人間関係はある意味欠陥があると思います。部活でも上下2歳差までしか対応していません。海外のように中高6年生にすることで視界が広がるでしょう。 家庭で監督していない場合もあるので、学校では勉学の進み具合・チームワークプロジェクトの監修・特別講義などを催行します。生徒は自分のやる気で進め、周りと協調もし、全員で集まり学校のイベントも一緒にやるという形です。教師はそのサポートです。
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有り難う御座いました。
補足
実現すると良いと思います。全ては児童達のためにある教育で、大人達の 都合で進める教育では無いと言うことを言いたいと思います。
- cse_ri3
- ベストアンサー率25% (165/640)
教育は難しいのよ。 先ず、教育について、一人一人考え方が違う。 関心を持つ人は多いが、意見が多すぎるため、まとまった票にならない。 結果として、過去の制度が温存され、今回の様なイジメ事件の温床になったりもします。
お礼
有り難う御座いました。
補足
時代の流れ近代化に添った教育にしていかないと児童達が可愛そうです。 未だに古い考えのままの人達が多いですね。
お礼
有り難う御座いました。
補足
文部科学省とか教育委員会とか無しにして、村民や町民が運営する民営の小学校で 民営独自の教育をすれば教師も児童ものびのびと勉強ができ、他の民営の小学校と 交流し合同でスポーツや勉強もすれば良い。今の腐りきった学校では将来日本を担 うことが出来ないだろう。正に、日本の大手企業は外資系にどんどん吸収され外国 との立場が逆転していく、それでも日本はオリンピックだの記念日だの増税だのを して「災害や児童の教育には無関心」国民を複雑にして苦しめている。それでも、 日本人は対岸の火事で息を潜めて生きています。そのように思いませんか。