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教師と教育について
はじめまして高校3年生のものです。 受験をひかえる時期になって疑問に思ったことについてみなさんの意見を伺いたいと思います。 まず学校の教師について。 最近学級崩壊だとか色々教育について問題になっていますが、教師の責任はやはり大きいのではないでしょうか? 小学校などのことは多分親の責任が大きいとは思いますが。 教師の責任が大きいと思った理由として例をあげると、私が中学の時に数学の先生がすでに退職して、非常勤講師となった人でした。 その先生の初回の授業の第一声は「私はもう年ですからそんなに真剣に教えようとは思いません。年金がもらえればいいわけですから」でした。 さすがにこの言葉を聞いたときは殴ってやろうかと思いましたね。 自分で言うのもなんですが、中学の多感な時期にそんなこと言われたら教師なんて信用できなくなるに決まってます。 さらに今の問題として、教師ってほんとに給料もらうためだけに授業やってるんじゃないかとよく思います。 今の受験生(に限らずかなりの人数が)は塾に通うことが多いと思いますが、塾で2週間で終わることが何故学校では1ヶ月もかかるのか? さらに塾の方が断然理解しやすいし… これははっきり言って教師の怠慢だと思います。 学校はいろんな生徒がいるから塾のように統一した授業ができないなどの言い訳も聞きますがそんなことは問題ではないとおもいます。 教師もたいがいですが、それは文部省のせいってのもあるかもしれませんね… ゆとりある教育だとか、教科を増やすだとかする前に何が求められていて、どうすべきかを考えるべきでしょう。 教育の実態をよくわかっているのはある意味生徒のほうだという気がします。 普段思っていることを半分勢いにのせて書いたので脈絡などおかしいかもしれませんが許してください。 このことについて意見・批判などがありましたらよろしくお願いします。
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「給料をもらうために授業をやっている」という記述がありますが、それは、ある意味で間違っております。 「給料をもらうために授業をやっている」のは、塾の先生の方です。塾の先生は、授業が魅力的でないと、すぐに人気がなくなり、解雇されます。ですから、1時間1時間への意気込みに、凄みがあります。わかりやすい授業をするための努力は、おそらく、公務員の先生方よりも上なのではないか、と思うことがあります。中学・高校では、特に、です。 学校の先生の授業がつまらなかったり、わかりにくかったりするとすれば、たいていは、確かに先生の怠慢である、ともいえます。それは、「この1時間で失敗したら私は解雇される」という緊迫感が、学校の先生にはないからかもしれません。逆に学校の先生でも授業の上手な、わかりやすい方は、生徒への誠意を持ってその緊迫感を作り出しているともいえます。 ただ、私も同業者としてかばうとすれば、現場の先生は、授業以外に受け持っている仕事が、あまりにも多い。たとえば朝の8時から5時までが勤務時間だとして(実際そんなに遅く来て早く帰る方などまれですが)、「空き時間」がない日では、9時間、休憩時間ゼロ秒状態で、その仕事内容は非常に多岐にわたっております。他の職場では、休憩に位置づくはずの食事時間も、「給食」という1種の授業となっております。事務関係、行事関係の仕事も猛烈で、研修活動、保護者や地域の方々との連絡会、問題を起こした生徒との懇談、家庭訪問など。 これでもまだ一部です。イギリスなど海外では、「割に合わない仕事」のトップクラスとして、教職希望者の少なさに頭を抱えているそうです。 これは、「学校論」ですね。現代において、もしかしたら学校というものの持つ役割は、終わったのかもしれないとする論もよく出てきます。自分を失業者に導くような話ですが。 塾が、日本のほとんどの家庭で、それほどの負担にならない程度の金額で入れるようになっている日本では、「教師を選べる」塾へと需要が傾いていくのかもしれません。「おおやけ」で行われてきたさまざまな活動が、日本ではどんどん分割・民営化してきております。 または、授業がもっと魅力的になるように、中学・高校も、教師の事務仕事などが分割され、教師にとっては授業だけに取り組める環境になっていくかもしれません。かく言う私にも、高校時代がありました。やはり、わかりにくい授業を経験して、不満を募らせていたことを覚えています。今ほど塾が普及していなかった時代です。不満はありましたが、それなりに、一生懸命その先生から何かを学び取ろうとがんばることができたことは、今でも無駄ではなかったと思っています。 そう考えると、なるほど、誠意も愛もない授業は、腹が立つものです。
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- sinjiro
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補足説明をお願いします。 「公務員」「教師」のどちらについてのご意見でしょうか?? こういう問題を論ずるときに、これが混同されてしまいがちです。 もしかすると「公務員の教師」に対することかもしれませんが・・・。 公務員は、公務員法によって守られている(ある意味)特殊な立場のかたがたです。(よほどのことをしないと 首になりませんね) ============= 近代民主主義は、(社会・自由)資本主義経済の中で発展してきました。資本主義では 資本(お金)がすべてであると思っています。ですので 民主主義も 「気概」が感じられなくなっています。現代社会での問題は 資本主義の壁にぶち当たっているような感じです。社会資本主義は 10年前に崩壊しましたが 自由資本主義はどうなるのでしょうか??資本に注力していると 民主の責任がとれなくなる(人間の限界)ような気がしています。わかりにくくてごめん。
私が「講義本来の目的」 ということで過去に質問してるので参考にしてください。 私は講義は無用であると考えてます。 講義とテレビを比べてみてください。 例えば産業革命。 ジョンケイの飛びひという発明がありますが、学校だろうが塾だろうが予備校だろうがこれを手振り身ぶりで説明するのがせい ぜいです。 でも、テレビはどうでしょう。ジョンケイの顔が見れることもあるし、飛びひもどんなものか実際の映像で見れる。 どのような動きをするのかまでわかる。資料集ではせいぜい写真程度ですが、 テレビを含めた映像なら動くところも含めて全てが見れる。 ということで、映像教育には多いに可能性があります。たしかにジョンケイの顔がみれないことがあるかも知れないがそれは映 像教育が発展すればいいこと。 おそらく、このようなことに高校生も薄々気づいているのではないかと推測されますがいかがですか? 映像教育は既にもう現実的であるにも関わらず、手振り身ぶりだけの貧乏臭い授業がさももったいぶって行われている。これが 問題です。いくら講師がわかりやすく説明しても、映像の力にはかなわないと言うことがもっと知られていいと思います。 加えて、パソコンでの自学自習も現在では効率的です。 授業は全て講師のペースで他律的に行われる。 自律的に勉強できないから効率がわるい。例えば、わからない単語を調べたくても、授業中に講師の話を聞きながらというのは 厳しい反面、自律的勉強では容易です。 我々は全て自律的な勉強をすべきだと思います。多様化した社会なので、それだけのコンテンツはもう十分にそろってます。 もちろん、どうしても講師の顔をみながらしたいというのであればそれも一つの選択でしょう。 でも講師の顔付き、声付きである必要がありますか? これだけ充実したコンテンツの存在する現在では反って自分で映像などを中心として学習した方が効率的で勉強になるんです。 私は学校は体育したり、やコミュニケーション能力を磨くために行くだけの場所に変るべきだと思います。 コミュニケーション能力なんていままでの学校でまともに学べたでしょうか?これからはそうした能力を効率的に磨くような教育 に変るべきです。 いままでは、生徒同士の勝手な雑談からそうした能力が勝ってに上がると言った野暮なレベルでした。 いままでの先生は自宅待機し、生徒からのメール相談 に答える。たくさん良質の回答を答えたものが給料をたくさんもらえる仕組みに。
お礼
回答ありがとうございました。 確かにこれからは教育も科学の恩恵を受けてどんどん進歩していくべきだと思います。 自主勉強のほうがはかどることもありますが、やはり講義を受けたほうがわかりやすいということもあります。 これからはそのあたりの解決が必要になってくるかもしれませんね。
- tweetie
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何の職業の人についても同じだと思いますが、人間的資質に問題があると、当然その仕事に影響する場合、ありますよね。たまに、人間性はともかく、素晴らしいプロ意識を発揮する人もいますが・・・尊敬できる人は少ないです。すくないから、羨望、信望するものかも知れませんが・・・。 教育の実態・・・色んな角度の捉え方で、様々な実体があるのかもしれませんね。同じものを見ても、教師の世代と生徒の世代という違いだけでも、別の物に見える可能性は大です。確かに怠慢な教師が居ることも認めます。私を教えた何人かも、ほんとうに信じられない人たち、いましたから。 教育の実態の改善・・・そもそもおかしかったから、そんな人間性の教師も育ってきているわけで、その背景には経済的要因もあれば社会風俗的要因もあり・・・・壮大な問題ですよね。あまり回答になっていないですが、私には短絡的に誰が悪い、どうすればよい、と言う考えが、キッパリ出てくる問題じゃないです。 現場の方、もしくは造詣の深い方の意見が多数集まることをお祈りしております。そして私も参考にさせて貰います。
お礼
回答ありがとうございます。 ちょっと表現がたりなかったようです。 給料をもらうために授業をやっているというのは、自分は公務員だから給料はもらえるが、そのためには一応授業をしなければならない のような態度のことです。 songbookさんの話によると教師もなかなか大変そうですね… 小学校の先生をなされているのですか? 私の見た限りでは一番大変なのが小学校で、一番楽なのが高校だと思います。 大学はまだわからないんで(^^ゞ それなのに一番不親切なのは高校教師だという印象があります。 まあ学校にもよるんでしょうけど 結局教師も教育環境の悪さの犠牲者の一人ということでしょうか