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庶民にも家紋

江戸時代、庶民にも9割以上の家で家紋があったらしいですが、実際はどうなんですか? 因みに、徳川や大名や旗本が使ってる種類の家紋は庶民(名主一族以外)は遠慮して使わなかったみたいです

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回答No.3

No.2です 補足を頂戴しましたので追加の説明をさせてください。 通紋と呼ばれる紋は苗字などとは無関係に誰でも使うことができた紋というか誰もが自由に使っていたデザインの紋のことです。 御質問のように当初は特定の家の家紋として使われていたものが他の人が使うようになって一般化してしまったものもあります。 参考 [通紋] 女紋 -きものトータルケア 大宮華紋森本- - 染色補正森本 http://www.omiyakamon.co.jp/onna-mon/03-4.html 抜粋 この通紋は日本紋章学によると 「どのような紋章でも、すべての紋章は名字もしくは称号の目印として用いられたものであるから、名字の数が多く、紋章の数が少ないために、どんな紋章でも、一つの名字で独占することが滅多になかった。その中でも、最も多く用いられて、出身の如何にかかわらず、各姓氏に共通に用いられた紋章がある。これを通紋という。例えば、花・菱・蔦などの紋章である。俗に、これはムダの紋とかタダの紋と呼ばれていた。この種の紋章が多く用いられた理由は、紋章の形状が優美で、しかも描きやすいためであろう」(日本紋章学 沼田頼輔著より引用) 補足にあります釘抜紋に関しては一口に釘抜紋と言っても色々なデザインがあります。 採用した経緯はその「家」それぞれで違っています。 逆に言いますと単純に一族に引継がれただけのものだけではないということです。 釘抜紋 http://www.harimaya.com/kamon/column/kuginuki.html 釘抜紋を使っていた一族やその由来の概略が説明されています。

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回答No.2

>江戸時代、庶民にも9割以上の家で家紋があったらしいですが、実際はどうなんですか? 確かに庶民にも普及していたと考えられていますが9割以上というのは多すぎるかと思います。 実際はどうか、と言われましても史料として統計も文献もありませんので分かりません。 ネットなどの家紋の説明に苗字の代わりに家紋が使われていたという説明をよく見受けますが人口の大半を占めていた百姓階級の人達で苗字や家紋を必用とする人達はさほど多かったとは思われません。 家紋が使われるのは所謂紋付き羽織です。 江戸や大坂あるいは城下町の町人は他人と面談する際の正装として羽織りを着用していましたが、城下町外の農山村部で暮らす百姓身分の人達は冠婚葬祭などの行事の時以外に着用することはまれでした。 そもそも衣服というのは当時の物価から考えても極めて高額なものでした。 たまに使うだけの羽織を一般の百姓階級の人達があつらえていたとは考えられません。 冠婚葬祭の際に着用するにしても村役人などを務めることがある人達で百姓階級の上層部に属していました。 以上のようなことを考えますと上記したように9割以上ということは有り得なかったと思われます。 >因みに、徳川や大名や旗本が使ってる種類の家紋は庶民(名主一族以外)は遠慮して使わなかったみたいです。 遠慮して使わなかったというよりも身分にかかわらず同じ社会集団(村落、城中etc.)に属する上位者が親族でない限り下位者が使いことを認めなかったということです。 一方で通紋(つうもん・とおりもん)と呼ばれるデザインのものがあり身分や階級にかかわらず使われていました。 又、武士階級の間では城主などが功績があった家臣に家紋を授けることがありました。 城主の家紋とは別に下賜するための特定のデザインがありました。 歴代に渡って数々の家臣に下賜されていましたので結果として複数の武家が同じ家紋を使うことがありました。 下賜紋で有名なのが秀吉が後陽成天皇から下賜された五七桐紋です。 秀吉以降豊臣家の紋として使われていました。 よく似たデザインの五三桐紋は信長から下賜されたものと言われていますが、豊臣氏が滅亡した後の江戸時代には通紋として庶民にも使われていました。

sokoo0823
質問者

補足

例えば、江戸時代武士(一柳家、堀家、大給松平家、他色々)が、よく使ってた釘抜紋は通紋ではないんですかね

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15295/33014)
回答No.1

1。江戸時代、庶民にも9割以上の家で家紋があったらしいですが、実際はどうなんですか?  家紋の起こりは、平安時代の貴族の牛車など持ち物の印、戦国時代の旗印、などを平和になると、名字帯刀のような制限がなかったので、下記のように庶民にも広がります。  https://ameblo.jp/chiko-chiro-coro/entry-12258082935.html 2、因みに、徳川や大名や旗本が使ってる種類の家紋は庶民(名主一族以外)は遠慮して使わなかったみたいです  これは、甲家の紋は、乙家で使いませんから当然で、徳川の紋と、別の家とは異なって初めて「家紋」としての識別機能が発揮されるわけで、庶民も同じです。

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