軍隊的な強さを求めるのが保守なんでしょうか?

このQ&Aのポイント
  • 戦後の民主主義により、教育の荒廃が始まったという方がおります。戸塚ヨットスクールの実情や戸塚宏校長の発言を聞いて矛盾に思う事があります。
  • 戸塚宏校長は、いじめるかいじめられるかの人間関係を説き、偽善者を批判しています。また、体罰やいじめが必要だとも主張しています。
  • 戸塚宏校長は、暴力に耐えられない人間を鍛え直す必要性を主張しています。彼は、戦国時代や戦時中の軍隊での精神を持つ人々を理想としています。
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軍隊的な強さを求めるのが保守なんでしょうか?

 戦後の民主主義により、教育の荒廃が始まったという方がおります。  (戸塚宏氏 田母神俊雄氏 野々村直通氏等)  戸塚ヨットスクールの実情や戸塚宏校長の発言を聞いて矛盾に思う事があります。  1 ヨットの訓練とは別に いじめるかいじめられるかの人間関係を説き、  以上でも以下でもない人間を 偽善者等と言っている。  例えば それぞれが自分の領分を守っている人種(食事で自分のものを食べている  隣の人の者には干渉しない人は偽善者といい、 食事も喧嘩して勝った者から  取るという事を奨励して居た様な気がします。)  2 戸塚宏校長は 決まりを守る、普通にいう事を聞かせるのは法律や決まり  罰則というもので行えるが、「超えられる強い精神(戸塚校長のいう脳幹論)」  を形成するのには、体罰 いじめが必要であるという事を説いていたと思います。  3 戸塚宏校長にとって駄目な奴はこの暴力に耐えられ無い人間であり、  (家庭内暴力や引きこもりをしておらず、普通に学生生活や社会人として身を立て  ていても)、その様な人間を鍛え直さないといけないと云う様な事をいっていた  と思います。   4 幼少時から暴力三昧で育ち 凶悪な犯罪を犯した者も居ります。   (例 女子高生コンクリート殺人の加害者や名古屋アベック殺人事件の加害者)   が、戸塚校長から見ると、彼等は戦国時代や戦時中の軍隊ならば、その様な精神  を内に囲い込み使えると云う様な事を言っていたと思います。   (怖いもの知らずの不良も当初戸塚ヨットスクールにはおり、そこからコーチに    昇格した者もいるので)   彼等の様な精神なら戸塚校長の理に叶っているという事なのでしょうか?  5 犯罪や非行の減少より、暴力に耐えられない軟弱な奴が増えた事を憂いてお    り、絶対的な強者の下では、弱い者に対する苛めも容認される。    そこで、暴れる精神を内に囲い込み、闘う気迫を養えるということなのでしょ   うか?   だから 戸塚校長の求める強さは軍隊的な強さであり、   統率し、的に闘志を燃やすという意味では良い事なのでしょうか?   だから、いじめっ子の方がその様な思いに応える事が出来、   以上でも以下でもない人種の者は自分の目的を邪魔する目障りな存在と   成るのでしょうか?   (40年程前にとある高校野球強豪校の監督が    「不良に成るか野球に打ち込むかギリギリの処でいる様な気質の子が     可愛く、以上でも以下でも無い感覚でいる子はどう扱って良いか解らない」    等といっておりましたが その様な感覚なのでしょうか?)

noname#250543
noname#250543

質問者が選んだベストアンサー

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  • kappa1zoku
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回答No.3

<保守>という言葉がいつ頃から出来た言葉なのかは分かりませんが、保守イコール軍隊の精神というのは聞いたことがありません。 保守は、基本的な考えとして伝統的な慣習・風習を次世代も受け継いで欲しいと願うもので、政治的な意味合いは強いものではないと思います。 ただ、天皇制という政治体制が明治期に出来上がった中で、伝統的な慣習・風習と天皇制が癒着したというのが真相で、後にそこに強制力が加わったので、保守に対する誤解が生じたのだと思います。 戦後民主主義を断罪する人々は、どこかにあるかも知れない夢の国(戦前はよかった。明治期はよかったという幻想)に憑りつかれているだけです。 もちろん、戦後民主主義もアメリカから与えられた夢の未来で、日本人が自分の力で、自分の頭で勝ち取ったものではないので、お互い夢の国で争っているとも言えます。 僕は戸塚宏校長の本を読んではいないので、あなたの指摘はよく分かりませんが、柵の中で騒ごうが叫ぼうがどうぞご勝手にと思いますが、柵を越えて市民生活には入ってもらいたくない人たちです。 他人から命令されたり、命令したりと言う構図が好きな人種はいつの世でもいますが、所詮、そういう人種だということです。そういうことが好きなだけで、そこになにか精神性があったりはしません。 保守の美なんて、彼らにひとかけらもありません。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました <保守>という言葉がいつ頃から出来た言葉なのかは分かりませんが、保守イコール軍隊の精神というのは聞いたことがありません。 保守は、基本的な考えとして伝統的な慣習・風習を次世代も受け継いで欲しいと願うもので、政治的な意味合いは強いものではないと思います。 ただ、天皇制という政治体制が明治期に出来上がった中で、伝統的な慣習・風習と天皇制が癒着したというのが真相で、後にそこに強制力が加わったので、保守に対する誤解が生じたのだと思います。 仰られる様に保守=戦前ではないと思います。 が、どこかに「お上に従う国民」を作りたいと願うのが 上記の人で、それが天皇制を強固にする事で達成できると 思っているのではないかと思います、故に明治維新以前には触れず、開国し、列強の仲間入りを果たし、それを纏めていくのが天皇制であるという事が彼らのスローガンなのかと思います。 故に、伝統や文化は継承しつつ、おかしいものはおかしい という 故永六輔氏等の考えが私的には良いと思えるのですが? 戦後民主主義を断罪する人々は、どこかにあるかも知れない夢の国(戦前はよかった。明治期はよかったという幻想)に憑りつかれているだけです。 もちろん、戦後民主主義もアメリカから与えられた夢の未来で、日本人が自分の力で、自分の頭で勝ち取ったものではないので、お互い夢の国で争っているとも言えます。 故に、米国によって戦前の良さも払拭されましたが、 それはおかしいと見直させてきたものもありますが、 上記の人は「天皇という神に於いてまとまり、 列強の道を歩む」事が良い事という妄想に取りつかれているとも思えます。 僕は戸塚宏校長の本を読んではいないので、あなたの指摘はよく分かりませんが、柵の中で騒ごうが叫ぼうがどうぞご勝手にと思いますが、柵を越えて市民生活には入ってもらいたくない人たちです。 確かに、ヨットスクールは手に負えない人も居り、 藁をもすがる思いで預けられた事は頷けますが、 一般社会にまであの教育をと云うのはおかしいと 思いますし、それは認められないと思います。 他人から命令されたり、命令したりと言う構図が好きな人種はいつの世でもいますが、所詮、そういう人種だということです。そういうことが好きなだけで、そこになにか精神性があったりはしません。 保守の美なんて、彼らにひとかけらもありません。 多分、自分に都合よく従うのが良いと思っているのだと 思います、それを天皇制や軍隊というものを利用していると思います。

その他の回答 (2)

noname#242403
noname#242403
回答No.2

そういう意見を持つ人もいますが、一般的には否定されてますね。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました やはり、多数派ではないという事が伺われました。

  • alterd
  • ベストアンサー率23% (137/595)
回答No.1

それを一概に保守と呼べるかどうかは分りませんが そういう暴力的な強さを礼賛する人たちは昔から存在するでしょうね。 実際、アレキサンダー大王、チンギス・ハン、ローマ帝国等は皆暴力的な他民族の征服だった訳ですし。 その系譜はギリシャのスパルタを初め、ヒトラーからIS、トランプまで連綿と続いています。 しかし、世界にはオバマやメルケルのようなハト派も存在します。 彼らが国のリーダーになれたということは、そういう層も決して少なくないということでしょう。 ですので、世界はタカ派とハト派の絶えざる相克なのだと思います。 但し、排外主義が台頭している現在ではタカ派の方がやや優勢ではあると思います。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答有難うございました それを一概に保守と呼べるかどうかは分りませんが そういう暴力的な強さを礼賛する人たちは昔から存在するでしょうね。 実際、アレキサンダー大王、チンギス・ハン、ローマ帝国等は皆暴力的な他民族の征服だった訳ですし。 その系譜はギリシャのスパルタを初め、ヒトラーからIS、トランプまで連綿と続いています。 しかし、世界にはオバマやメルケルのようなハト派も存在します。 彼らが国のリーダーになれたということは、そういう層も決して少なくないということでしょう。 ですので、世界はタカ派とハト派の絶えざる相克なのだと思います。 その様な歴史の繰り返しかという事が伺われました。 但し、排外主義が台頭している現在ではタカ派の方がやや優勢ではあると思います。 タカ派の方が「頼りがいがある」「決断力」で惹かれる人も居られますが、一歩間違えるとおかしな方向にも行くのでハト派も必要かとも思えます。

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