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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:苛め肯定論を説く人は我が子が加害者でも肯定する?)

苛め肯定論を説く人は我が子が加害者でも肯定する?

このQ&Aのポイント
  • 苛め肯定論を説く人は我が子が加害者でも肯定するのか?
  • 戸塚ヨットスクールの校長戸塚宏氏が苛めを肯定し、その理論を展開している。
  • 苛めを進歩のきっかけとして捉える立場から、自らの子供が加害者になっても肯定するのか疑問が残る。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#245385
noname#245385
回答No.2

その感覚なら肯定するだろうね。イジメを肯定するというより、加害行為をイジメではないと思うから肯定できるんだろう。 例えば悪いことをした人を更生させるために罰を与えたとか、被害者のためを思ってやった行為だと考えるのだと思う。体罰とか私刑の是非に近い。 加害行動の根幹が正義感であるタイプは厄介。自分の行動が正しいと信じてるから罪悪感も手加減もなく、当然イジメをしている自覚がない。 こういう輩は「悪人相手なら加害してもいい」と本気で考えてる。悪人=犯罪者とかならまだ理解の余地があるが、SNSで炎上してる程度で悪人認定して人を追い込むことができるような人間も多い。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 例えば悪いことをした人を更生させるために罰を与えたとか、被害者のためを思ってやった行為だと考えるのだと思う。体罰とか私刑の是非に近い。 多分、「鍛えてやっているのに耐えれないやつが悪い」 という事なのかと思います。 故に、中東の過激派のテロ、オウム真理教のポアと同じ論理に成ると思います。 つまり、狂信者的な発想かと思います、 昔の高校野球の強豪校(文化部でも吹奏楽や演劇等も) の指導者もその様な人が居られたかと思います。 加害行動の根幹が正義感であるタイプは厄介。自分の行動が正しいと信じてるから罪悪感も手加減もなく、当然イジメをしている自覚がない。 こういう輩は「悪人相手なら加害してもいい」と本気で考えてる。悪人=犯罪者とかならまだ理解の余地があるが、SNSで炎上してる程度で悪人認定して人を追い込むことができるような人間も多い。 昔。未成年者の罪は許さない(許されないレベルの事をしている人は多いが)と実名公表するホームページを立ち上げ炎上しましたが、 酷い苛めや犯罪は未成年者でも許されるべきではないと思いますが、この様な感覚も疑問視しますので、 未成年者も刑罰を重くする事に賛同いたします。

その他の回答 (1)

noname#247529
noname#247529
回答No.1

確信がある話ではありませんが、人を褒められない、叩いて伸ばすしか方法を知らない人はいるんじゃないでしょうか。 父親にほとんど褒められた覚えのない人はいると思います。最近の有名な高校球児の父親が褒めない子育てをインタビューで答えていたように思います。今時いるんだなあ、と印象的だったので。 考えてみると、人間も野生の動物だった時には、パワハラ(仲間内、兄弟の中でもでも腕力が重宝される)の世界であったわけです。哺乳類以前まで遡れば、愛情だってなかった時代もあるかと思います。力で生き残る世界です。 そう考えると多少の苛めを肯定する人間がいても不思議はないかなと、思います。 野生の名残というか、古いやり方を続けようとする人間はどこの世界にもいます。 教育を充実させ、知識を蓄え、研究発展させて、野生の頃から引きずっている側面から早く脱却したいものです。

noname#250543
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 人を褒められない、叩いて伸ばすしか方法を知らない人はいるんじゃないでしょうか。 父親にほとんど褒められた覚えのない人はいると思います。最近の有名な高校球児の父親が褒めない子育てをインタビューで答えていたように思います。今時いるんだなあ、と印象的だったので。 父権 家父長制的な家族観であっても、 道徳的(いじめ 暴力)な決まりを破ると罰するという 家庭ならば、そう可笑しくは無いのですが、 この様な家庭で「弱肉強食」「強くなる(力で圧倒する)」的な躾をしている家庭が質が悪いのではと思います。 私は1980年代に小中学時代を過ごしましたが、 暴れている乱暴な同級生の家庭はこの様な感覚だったと 思います。 考えてみると、人間も野生の動物だった時には、パワハラ(仲間内、兄弟の中でもでも腕力が重宝される)の世界であったわけです。哺乳類以前まで遡れば、愛情だってなかった時代もあるかと思います。力で生き残る世界です。 そう考えると多少の苛めを肯定する人間がいても不思議はないかなと、思います。 野生の名残というか、古いやり方を続けようとする人間はどこの世界にもいます。 多分その様な感覚で認められたい、又は自分をアピールするのにそこしかないという人間も居るのではないかと思います。

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