• 締切済み

家族の今後の向き合い方がわからない

助けてください。教えて欲しいことが有ります。 家庭、家族の在り方はそれぞれだと思います。ですが、私自身家族の在り方がよく分からなくなりました。 以下の内容から、よくある事なのかどこかおかしいのか教えてください。 そして、似たような家庭の方、居ましたら家族とどう折り合いをつけたか教えてください。 母子家庭や父子家庭、両親が不仲の方、教えてください。以下の内容はよくある事なのですか? 家族と折り合いのつけ方の事例や助言を下さい。 相談できる知り合いや友人も居らず、他の方の意見が聞けるのが此処しかありません…。 私は現在20代で、親元から離れて4年一人暮らしをしています。 親元から離れる迄は、母子家庭で主に母と二人で生活していました。 戸籍上では母子家庭ですが、血縁の実の父は私が小学生迄は確か週に一度家に帰って来ていたので、自分の家庭が母子家庭という自覚が全くありませんでした。 母方の親族はかなり遠方に居り、母と二人の時は話題には上がりましたが、私は18の年迄母方の親族に会った事がありませんでした。 父方の親族の話は、家庭では一切上がる事が無く、私は3~4歳の頃から私は父方の親族の話は禁忌だとどこかで悟り此方から話題にはしませんでした。 小学生中~高学年時に、ある日父から父方の祖父の骨?灰?の入った小さな白い壺を渡され、祖父が亡くなっていたこと、父に其れをお寺に納めに行くと言われても、実感が湧かない薄情な子供でした。 お寺の周辺へ行く迄は家族三人一緒でしたが、お寺の周辺からは父一人で行ったので、 そのお寺が何処に在るのかは知らないです。 私の母は、私の父と母方の祖母にとても酷い仕打ちを受けていたみたいで、私が3~4歳ぐらいからよく話聞かせてくれました。 母曰く「私はお前の祖母に長年酷い仕打ちを受けて育った」「私はお前の父親に酷い仕打ちを受けた。騙された」「私はお前の父親とお前の祖母が大嫌いだ」「お前は父親と祖母にそっくりだ」「ぞっとする」「お前も母親の私を苦しめるんだ」 私が家を出る直前迄、刷り込みの様に聞かされていました。 私の頭の中で、(父親と祖母=母を苦しめる存在)(私≒父親と祖母)という図式が長年頭の中にありました。 ですが母は、父が帰って来たり祖母からの電話があると、父や祖母と仲良くする様に言うので、かなり混乱しました。 父や祖母と仲良くしたいけど、父と祖母は大切な母が苦しめられた存在。大切な母の味方で有りたいけど母を苦しめた存在と目の前で仲良くしろと言う。 そして、また家に二人きりになると父や祖母への恨みを滔々と連ねるのです。 そして、その話を友達や学校の先生に絶対教えるなと、毎回釘を押されました。 母は私が友達の家に遊びや泊まりに行く事や、自宅に友達を招く事を極端に禁じました。当時はとても疑問で友達と悩みましたが、今考えたら私が家庭環境を他所に話すのではないかと不安だったんでしょう。 流石に高校からは、週一回位なら友達と遊びに行く許可が出ました。 そして、母は異様な迄に過保護でした。 中学は、自宅から母が双眼鏡を使って毎日私が登校するか見えなくなるまで確認していました。 高校は無理をお願いして電車通学をしました。その代わりGPS付きの携帯で母は数時間毎に私の現在地を調べていました。GPSの精度が甘く校内に居ても現在地が校外に表示されることがあり、この度に叱責されました。 家の周辺の住民は全員敵、こっちを見下している。信用するなと何回も言われました。 母は、自分がその地域の出身では無いから周辺の住民が自分を馬鹿にするとずっと言っていました。 本当の友達なんか一人も居ない。友達と簡単に言う奴や簡単に近づいて来るは同じクラスの子供でも信用するなと小学生になる前後から何回も念を押されました。 色々あって数年後、このままでは母と共依存になり良くないと思い一人距離的に会いに行き難い所まで引っ越しました。 今は逃げているだけなのは承知です。 いつかは親の世話の為にもう一度親と向き合わなければなりません。 でも、もう一度あの生活を思い出したら拭えない不安や恐怖が湧いてしまうのです。 父や祖母を私自身は憎みたいのか仲良くしたいのか今ではよく分からなくなっています。 父や祖母、母に近づこうとしても遠ざかろうとしても、家族の何かが私の中にブレーキをかけるのです。 上記のような事は、各家庭ではよくある出来事なのでしょうか?私が悩み過ぎているだけでしょうか? どうか、似たような家庭の方、居ましたら家族との向き合い方の解決事例や助言をお願いします。

みんなの回答

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.5

今の日本は母子癒着傾向が強いので、程度の差こそあれ、このような 家庭は結構あると思います。 自分の場合は、父、母、自分、妹、父方の祖父母の6人家族でした。 母は、父と、祖母の事をとても嫌っていました。 その愚痴を聞くのは、幼いころから、私の仕事でした。 子供心に正直、複雑でした。母にとったら、赤の他人でも、 私にとっては血のつながった家族だという認識だったからです。 それでも、子供にとっては、一番大切なのは母親です。 毎回、愚痴を聞かされているうちに、父や祖母が悪いんだ、 だから、嫌いだ、という風になっていったと思います。 一種の洗脳のようなものかもしれません・・・。 そんなですから、家庭内の空気もピリピリしており、子供が 安心できるような家族ではなかったですね。いつも大人の 顔色を窺うような状態でした。 それに、母は非常に教育熱心で、俗に言う教育ママでした。 私は田舎に住んでいましたが、幼稚園から市内へ通わされ、 そこからは、エリート街道まっしぐらってやつです。 私は、別に天才でも何でもなかったので、非常に辛かったです。 めちゃくちゃ勉強させられましたね・・・。 でも、それも今思えば、それが母のコンプレックスだったんだと 思います。家庭の事情で、兄弟の中でも自分だけ大学に行かせてもらえなかった。それを私の人生を使って、自分のコンプレックスを解消していたんだと 思います。 母から言われたことは、勉強しろ!だけでした。 友達と仲良く、とか、そういうことは一切言わなかったですね。 そもそも、遠くの学校に通っていたので、学校を一歩出たら 友達と遊ぶことすら、不可能でしたし。 でも、それも母にとったら好都合だったんだと思います。 友達からの情報が一切入ってきませんからね。 母からすれば、純粋培養ですよ。自分のいいなりです。 でも、あなたはすごいと思います。20代で、何かしら疑問を感じているんですから。 私が明確に何かがおかしいと感じたのは、父親が死んだ時でした。 私が40前だったと思います。 それまで、自分の家庭がしっくりいかないのは、ずっと父親のせいだと 思っていました。ですから、父親が死んだ時は、正直うれしかったです。 それを機に、祖母は施設に入ることになりました。 これで、ようやく楽しい家庭になると思ったんです。 ところが、一向に楽しくならないんですよね。 それがなぜなのかわからず、ほんと悩みました。じゃあ、何が原因なの?って。 3年くらいノイローゼのような、鬱のような状態になりました。 その間も、ネットで調べたり、いろんな本を読み漁りました。 そして、わかったことは、諸悪の根源は母だったということです。 本当にショックでした。 腹は立ちましたが、それでも、子供とはけなげなものです。 私的には、話し合いをして、謝ってくれたら、許すつもりでいました。 ところが、母が謝ることはありませんでした。 自分は悪くない、あんたのために一生懸命にやった。と繰り返すだけで、 私の言葉に耳を傾けることさえしませんでした。 まあ、母にすれば、非を認めれば、今までの自分を全否定することに なりますからね。 あんたのため、っていうのも、建前なんですよ。結局。 建前がつけば、何でも出来ちゃうんですよね、人って。 今は一緒に暮らしてはいますが、私は完全に心の扉を閉じております。 早く死ねばいいのにと思っています。憎くてしょうがありません。 私の同級生にも、このような家庭の子は多いです。 母親と話し合いをして、今は和解してる子もいれば、 いまだに、そのことに気づかず、母親に支配されたまま暮らしている 子もいます。ほんといろいろです。 今となっては、ほんとに父は悪い人だったんだろうか?と ふと思う時があります・・・。 人は誰しも、自分は正しい、と思い込んでいますからね。 こういった問題を解決するのは、非常に難しいと思います。 相手の出方にもよりますしね。 私の場合は、結果、円満にはいきませんでしたけど、 それでも、母の支配から逃れられ、気持ち的には、非常に楽に なりました。 人生って思い通りにならないな、ってつくづく思います。 私は、あなたのように物理的に距離を取るって言うのは 悪くないと思いますよ。根本的な解決とはいきませんが、 その間だけでも、楽にいられますからね。 まあ、これだけは、親子の問題ですからね。 どちらかが死ぬまで、ついて回りますから。 参考になったかどうかわかりませんが、 頑張ってくださいね。

0512265
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 nagainekoさんの境遇の辛さ、お察しします。本当にお疲れ様でした。 私の母も私の保育園時代は大変な教育母でした。 私が4歳の時は、3桁同士の足し算や引き算を夜遅く迄熱心に教えて一回間違えたら鉛筆で手の甲を突き刺したり真夜中の外に放り出したり、真っ暗なトイレに閉じ込めて(灯りの電源は外側にありました)母は布団でさっさと寝たりとトラウマレベルの教育でした。 小学校2~3年ぐらい迄は私も学校では秀才の部類でしたが、4年以降は凡人の部類になり、塾を薦められましたが昔の母の教育がトラウマになり塾を頑なに嫌がりました。 それ以降は教育母にはならず、その代わり交遊関係の束縛が一層強くなりましたが…。 nagainekoさんが歩んだ人生の経験や助言を頂けて本当に感謝します。 昔や現在を思い起こしたことで、沢山辛い気持ちを思い出してしまったと思います。 それでも、私にお返事して頂いて嬉しかったです。ありがとうございました。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11127/34633)
回答No.4

おそらくですが、お母さんは統合失調症か何か、精神を病んでらっしゃった方だったと思います。本来は専門医の治療を受けるべきだったでしょうが、体面や体裁を気にして放置される人っていうのは案外に多いのです。最近のカジュアルな言い回しをするならば、メンヘラっていうタイプの女性だったと思います。 お父さんが極端に自分の親戚にお母さんと質問者さんを会わせなかったのも、おそらくはお父さんの家族にお母さんの存在が反対されていたからだったと思います。お母さんのことを悪くいうのは良くないですが、なんというか「そういう病気(あるいは傾向)を持っている女と付き合うな」といわれていたのでしょう。 お父さんもお父さんでもうちょっと父親の自覚を持ってちゃんと質問者さんを育ててあげるべきだったと思いますが、とにかく子供(質問者さん)を近くに置いておくとお母さんはおかしくならないのでそうさせて放置してしまったのは否めないですね。 客観的にいえば、質問者さんはお母さんによって「洗脳」されていたということでしょうね。ほら、ヤバい宗教団体なんかが山奥に子供たちを連れて行って洗脳することがあるじゃないですか。あれと同じですね。 じゃあどうやってその洗脳を外すのかってことなのですが、それってなかなか難しいのです。だってね、質問者さん、「洗脳」と「教育」って何が違うと思いますか?私には分からないんですよね。男女平等で民主的な社会が正しい社会だと私たちは「教育」されてきましたが、それって「洗脳」じゃないのでしょうか?どう違うのか、私には分かりません。 だから洗脳を外すのは、新しい価値観に「洗脳し直す」ってことでもあるのですよね。新しい社会で自分が経験したり学んだり、本を読むことによって自分自身の中に新しい価値観を植え付けていくということになると思います。

0512265
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 現在、母の所からは距離の離れた場所に5年住んでいます。 やっぱり5年経っても二十数年間住んだ実家や地元の暮らしの呪縛からはそう簡単には逃れることが出来ません。 未だに夢にも出てきます。 特に私が母はもしかしたら何処かおかしいのでは?と感じ始めた高校生の時の記憶が最近よみがえります。 私が高校二年の時、母にバイトを始めたいと相談したら「門限は20時迄。それ以上は許さい」と言われたので、必死で条件に合いそうなバイトを探しました。沢山の求人先に電話で相談しましたが、20時迄の希望は何処も受け入れてくれる訳ありませんでした。 電話で断られた求人は母には教えていませんが、面接で落ちた先の結果は伝えました。 そしたら、「ほら見ろ。20時迄で雇ってくれる訳が無いだろ。馬鹿じゃないか」と言われました。 以降、母が何処かおかしいとは思いつつも、無理矢理一人暮らしする迄ずっと逃れられませんでした。 これからも、自分の生き方や価値観を探しつつ、母や地元での呪縛から自分なりに距離の取り方や向き合い方を模索して行こうと思います。 ありがとうございました。

  • LOTUS18
  • ベストアンサー率31% (1807/5783)
回答No.3

陰鬱な母親、って結構いるので大なり小なりみな 同じような経験をしているものではないでしょうか。 同じ人でも、年を取るとそうなっていったりもします。 女性は外的要因に影響を受けやすいので 自分はそうならないようにしよう、と思うことが大事です。 メンタルバランスが崩れて 危険だと思ったら、発散する方法や 解決する方法について都度考えてみることです。 陰鬱な母親は 全ての自分にとっての不都合を自分以外のせいにして 娘は同性ということもあり甘えもでて 無料の愚痴聞き屋、の扱いをするのです。 娘が活き活きしていたり、幸せそうだと気に入らない。 自分が把握できる行動範囲で管理監視し 自分ができなかったことは 最初から娘もできないと決めつけ可能性も奪う。 離れられたのは幸運です。がんばったのですね。 逃げることも時に必要です。 物理的に離れれば解決することが結構あります。 憎しみたいのも仲良くしたいのも心の中にあるでしょう。 今はそういう気持ちなのだ、といったん据え置き、 自分は自分で生きたいように生きればいいのです。 近所づきあいがうまくできなかったお母様と あなたは別の人格をもった別の人間なので 信頼できる人を増やすことができるし 自分が友達になりたいと思う人と友達になれるように 行動を起こすことができます。 大切にしたいものを、大切にしていいのです。

0512265
質問者

お礼

お返事ありがとうございます。 母と共倒れになるのが怖くて、半ば無理矢理実家からかなり離れた土地に引っ越してから今年で早5年になります。 5年たった未だに実家や地元での暮らしの影響か、知り合いと個人的に会ったり話したりするのが未だに苦手です。 友人や恋人は未だにいませんが、いつか信頼できる人が自分で見付けられる様に生きていたいと思います。

  • ll0157
  • ベストアンサー率21% (118/554)
回答No.2

貴方のようなお悩みを持ってる人は結構いるのではないかと思います。 私の娘が高校生の頃、「父親の事をどうとらえていいかわからない、父親と仲良くしたほうが良いの?父親を嫌うことをお母さんは望んでるの?私はどうしたほうが良いの?」といいました。 私はとても後悔しました。 私は夫に腹が立ち、娘を使って仕返しをしてることに気がついてたからです。 夫に不満を直接言えないので、夫の前では良い顔をして、陰で娘に悪口を吹き込み、父親嫌いの娘にし、娘に嫌われた夫に悲しい思いをさせる、 そういうことをしていました。 でも、私のような母親は多いはずです。女は裏の手を使いますから、 貴方の母親も目的は同じだと思いますよ。 貴方は母親の影響から逃れなくてはなりません。 わたしには救えませんが、本で「毒親とか母親の呪縛から解放」とかよく見かけます。 体験談もたくさんあると思います。 同じ体験者の事を書いた本でも、何かヒントが得られると思いますよ、 本も読んでみてください

  • habataki6
  • ベストアンサー率12% (1182/9781)
回答No.1

<私は現在20代で、親元から離れて4年一人暮らしをしていま<す。 成人すれば誰もが自立する事に成っています、将来ある 貴方は過去のことと決別するのが最良です。 自立しているのですから後ろなど見て脅えるより、 前方に有る明るい家庭を築くことが、貴方のする 事です。

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