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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:The summer has come.)

The Summer Has Come: Sensational or Not?

このQ&Aのポイント
  • The question discusses the use of 'the' before the word 'summer' and the possible reasons behind it.
  • In British English, the definite article 'the' is not used before season names like summer.
  • In American English, 'the summer' is used to denote the period of summer as it is seen as distinct from the other three seasons.

質問者が選んだベストアンサー

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  • Nakay702
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回答No.6

「補足コメント」を拝見しました。 >They spent a summer in the village that year. においては、話者はtheyが経験した夏とは物理的にも心理的にも遠いところにいます。(…)無冠詞のsummerはというと、話者にとって物理的または心理的に非常に近いところにあるような気がします。 >Summer has come. においては、夏の暑い時期がやって来た、あるいは、(…)というふうな意味を含意しているのではないかと思うのですが、いかかがでしょうか。 ⇒確かに、そういうニュアンスの違いを感じることもなくはありませんね。 ただ、その違いはa summerとSummerの差異だけによるものではなく、共起する他の語句、とりわけ動詞とその時制、それと語順など、当該の文全体から喚起されるイメージの差異に由来する違いではないでしょうか。 >It's been raining since morning. とIt's been raining since the morning. の違いは何か、ということがあります。どちらもthis morningを意味しているはずですが、前者は〈朝早いうちから〉という意味を含み、後者は単に〈その日の朝から〉という意味を含んでいるのではないかと思います。 ⇒since the morning のtheがあるかないかの違いですね。 確かに、定冠詞theは、もともとの古英語にはなく、指示代名詞・形容詞が転化してできてきたものですから、それがついているか否かで、かすかなりと違いはあると考えられます。その違いを訳に反映すれば、since morningが「(無色透明の)朝から」となるのに対し、since the morningは「(その・例の・前に述べた)朝から」のように、「何らかの形容ないし限定がついている」と見えるのは自然な(そしておそらく共通の)印象でしょう。 >私が言いたかったことは、もともとイギリス英語では無冠詞のsummerとthe summerがあって、そのうちthe summerからtheが脱落していったということだと思います。 だから、Summer has come. におけるsummerとin summer におけるsummerとでは(含まれる)意味が異なるのではないかと思います。 ⇒そうですね。 冠詞が現れるのは12世紀中葉とされますので、それ以前は裸のsummerしかなかった(ただし、格変化があった)ことになります。ということは、12世紀以降はsummerとthe summerが並行してあって、使い分けられた。そして、さらに一旦the summerとなったものからそのtheが脱落していった、という経緯は考えられないことではありませんね。(なお、前便で、《The summer has come.と定冠詞のついた表現の方がむしろ本来の形だった》と述べましたが、それは近代英語での話です。) >もともとtheが必要ないのに後からthe がつけられたケースもあるのではないかと思います。たとえば、He runs the fastest of all. におけるtheがそうだと思います。これについても意見を聞かせて頂けるとありがたいです。He is the fastest runner of all. が正しい用法だとして、ある移民の集団が、(本来はtheは名詞につくものなのに)最上級が使われるとtheが使われると勘違いしたという可能性があると思うのですが、いかがでしょうか。 ⇒一部にはそれもあると思います。言語学の用語で言う「正しすぎ」(Hypercorrection) または「過剰訂正」(Overcorrection)という現象ですね。例えば、between you and me をbetween you and Iと「正しすぎ」してしまう、というような場合です。本件では、「最上級は明確な限定だから、theをつけるべきだ」とばかりに「直して」しまうのでしょう。 上で「それ《も》ある」と言いましたが、それは、「ほかにもあると思われる」ということです。つまり、「副詞的形容詞、またの名、内関補語」(勝手に命名)としての用法です。例えば、They live happily in the island.というのは正常な表現ですが、これをThey live happy in the island.と言う場合があります。liveを不完全自動詞と見立てて、happyを補語にとるSVC構文です。 この言い方を使う人は、They live happily in the island.とThey live happy in the island.は意味が違うのだと言います。前者は「幸福そうに暮らしている」(外見的)という意味で、後者は「幸福に暮らしている」(内面的)という意味だと言います。つまり後者は、They are happy and live in the island.を短縮したような表現だと言うのです。(方言よりもっと小規模な「個人語」(idiolect)のようなものかも知れません。また、フランス語・スペイン語などの、ロマンス系言語からの翻案借用かも知れません)。 前置きが長くなりましたが、要するに、He runs the fastest of all. のfastestを形容詞とみなしている、ということです。そして、He runs the fastest of all.は、He runs and is the fastest of all. を短縮して言ったのだ、というわけです。 >最後にもう一つ、I like the summer better than the winter. について >私が問題にしたいのは、I like the summer better than the winter. がイギリスでもともと正しい用法だったのかということです。(…)どういう必然性があって定冠詞が選択されたのだろうかと疑問に思うわけです。 ⇒これは、さほどむずかしく考えなくてもいい問題だと思います。 定冠詞の特殊用法として、「同じ種類のものを代表して表す」という機能があるからです。少々ぎこちなくなりますが、その意味合いを組み込んで訳せば、I like the summer better than the winter.は、「私は冬(という季節)よりは、夏(という季節)の方が好きだ」といった感じになるでしょう。

feeders
質問者

お礼

大変勉強になりました。ありがとうございます。

feeders
質問者

補足

--おかげでいろいろなことがわかりました。実は、私は高校生相手に英語を教えている者なのですが、(それにしては、質問内容と例文にお粗末なところがありましたが)、the summerに関しては生徒の質問にきちんと答えられないのでもどかしさを感じておりました。今、やっと、ある程度でもきちんと教えられそうな気がします。ありがとうございました。"Growth and structure of the English language" は図書館に置いてあるようなので読んでみます。 これだけ教えて頂いて、あつかましながら、なおかつ教えて頂きたいことがもう3点あります。 お願いします。一つ目は、The summer has come. です。通常の理解では、the summerは特定の夏、つまり話者にとっては今年の夏をさすものと思われますが、Summer has come. (単に夏がやってきた)という古い形が、特定性をもたない一般的な意味でThe summer has come. というふうに使われているパターンがあるのかということです。  つまり、The summer has come. に、(単に夏がやってきた)という意味と、(今年の夏がやってきた)という意味の両方があるのかということです。  もう1点は、I like the summer better than the winter.についてです。定冠詞の特殊用法として、「同じ種類のものを代表して表す」という機能があるということでしたが、これはNO2の回答者の方もおっしゃっていたことと同じだと思います。 その場合、毎年めぐってくる個々のa summerが持つ差異を捨象して典型的なsummerを想定したものがthe summerであるというふうに理解していいのでしょうか。 もちろん、こうした用法であるかどうかは文脈に依存することが多いとは思います。上の例文では一般的な夏と一般的な冬が対比されているので文脈的に問題ないと思われます。  では、The summer has come. はどうなのでしょうか。(単に夏がやってきた)という意味なのでしょうけど、(今年もいつものように)夏がやってきた、という意味合いで、つまり毎年巡ってくる夏がまたやって来た、という意味でなら、同じ種類のものを代表して表しているように見えます。いかがでしょうか。  最後の1点ですが、今回回答者様に教わったことは季節に関してだけでなく、moroning, afternoon, evening, nightにも同じように当てはまるのでしょうか。 これらがtheの後に使われるケースはinやduringなどの期間を表す前置詞に先行されることが多いように思いますが、実際には主語の位置でも使われるようです。Morning has come. とThe morning has come. は同じものだとネイティブ達は言っています。Summer has come. とThe summer has come. との関係と同じとみなしていいのでしょうか。 よろしくお願いします。お手数を取らせて申し訳ありません。自分の勉強不足を痛感しています。

その他の回答 (6)

  • Nakay702
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回答No.7

「補足コメント」を拝見しました。 >私は高校生相手に英語を教えている者なのですが、 ⇒深い洞察のわけが分かりました。 (私も院生時代に都立高校で担当したことがあり、楽しかった頃を思い出しました。) >The summer has come. に、(単に夏がやってきた)という意味と、(今年の夏がやってきた)という意味の両方があるのかということです。 ⇒はい、その両方の意味があると言えるでしょう。 定冠詞の主要な機能は「限定・非限定」の区別ですが、独立の意味をもつ実詞(名詞・形容詞・副詞)に比べて、theはその意味的実体が希薄です。そもそも、theの脱落の要因もそこ(情報量が少ないこと)に由来したのでした。 このことから、定冠詞theの「限定」という機能は、(あまり科学的な言い方でなくてすみませんが)薄く伸びたベールのように、あるかないか分からないほどに薄く、全体にボヤ~っとかかっている、というような状況なんですね。ということは、theの機能はゼロ、すなわち「非限定」から最大限、すなわち「特定」までを何となくカバーする、つまり「両方の意味がある」、ということになると思います。 >もう1点は、I like the summer better than the winter.についてです。定冠詞の特殊用法として、「同じ種類のものを代表して表す」という機能があるということでした(…)。 その場合、毎年めぐってくる個々のa summerが持つ差異を捨象して典型的なsummerを想定したものがthe summerであるというふうに理解していいのでしょうか。 ⇒はい、ただし書き付きで、そう理解していいと思います。 冠詞全般の意味機能は、ごく大雑把に言って「指示方法」と「指示範囲」の2つに大別されます。前者に関しては、定冠詞が「特定・既知」を、不定冠詞が「不特定・未知」を表し、後者に関しては、定冠詞が「全体」を、不定冠詞が「部分」を表わします。 上記の「限定・非限定」の「領域侵犯」は定冠詞内での侵食現象でしたが、「全体・部分」間の場合は、冠詞全体の「侵食独占」現象ということになりますから、それなりに起こりにくい現象ではあるはずです。けれども実際にはこれも起こりつつあります。つまり、おっしゃるとおり、「個々のa summerが持つ差異を捨象して典型的なsummerを想定したものがthe summerであるというふうに理解していい」と、私も考えます。 しかし、「起こりつつある」だけで、もちろん、完全に「成敗された」わけでないことは、現実には「theとaが相補分布する」状況を一瞥するだけで分かります。それでも、不定冠詞としての「存在の影が薄い」と懸念される場合は、aでなくoneを使うわけですね(不定冠詞が数詞から転化してきたという経緯を物語っています)。 繰り返しますが、確認します。「大は小を兼ねる」を地で行く現象がここでも起こりつつあって、「個々のa summerが持つ差異を捨象せずに」、その意味機能をthe summerが含み込みつつある、と言えるのではないでしょうか。すなわち、「定冠詞の、広義の外延的意味機能が広がりつつある」と推測されるようなのです。「aが頼りないときはoneを使う」という事実がその1つの証左になると思います。 >最後の1点ですが、今回回答者様に教わったことは季節に関してだけでなく、moroning, afternoon, evening, nightにも同じように当てはまるのでしょうか。(…)Morning has come. とThe morning has come. は同じものだとネイティブ達は言っています。Summer has come. とThe summer has come. との関係と同じとみなしていいのでしょうか。 ⇒はい、時間の長短の違いのみですから、そう言えると思います。 つまり、1年の1/4区切りの名称が、1日の1/3~4区切りになるという、「物理的時間区分」が変わるだけで、言語の意味論的な差異を生むわけではありませんので、「Morning has come.とThe morning has come.との関係」は、「Summer has come.とThe summer has come.との関係」と同じであるとみなしてよい、ということになるでしょう。

feeders
質問者

お礼

長年の疑問が解消しました。おかげで生徒たちにも自信を持って応対できると思います。ただし、あまり詳しくならないように、はしょりながらですが。ありがとうございました。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12513)
回答No.5

「補足コメント」を拝見しました。 >We demanded that she should be silent. (イギリス用法) が、なぜアメリカではWe demanded that she be silent. になるのかということを調べていくうちに、もともとの形がshe be silentであって、その形のままでアメリカにわたり、一方イギリスではどういうわけか後に(言語改革がなされたとか聞いています) shouldがつけられたのだと何かの本で読んだことがあります。 ⇒仮定法現在の用法がすたれていく中で、その一部は直説法現在へ、それ以外の表現(仮定性が強い場合)が、仮定法未来に移行した、という経緯に呼応する変化だと思います。 >the summerのtheが歴史の途上で脱落した経緯について記述してある書籍があるようでしたら、ご紹介頂けませんでしょうか。 ⇒Otto Jespersenの "Growth and structure of the English language" にはその記述があります。だいぶ昔大学の選択科目「英語発達史」受講の折(ン十年前のことなので記憶が定かではありませんが)、映画「マイ フェア レディー」に登場するヒギンズ教授のモデルになった英語学者(Henry Sweet)の著作でも触れられていたように思います。 >では、The summer has come. についてはどうなのでしょうか。ここでのthe summerが特定の夏だとすれば、歴史的変遷とは無関係です。つまり、歴史的変遷が影響したのは一般的な文脈で使われるケースだけなのではないかという気がするのですが、いかが思われますか。 ⇒はい、大体そう言えると思います。 >アメリカでもSummer has come. はよく使われます。この方がよく使われているようです。このことからも、歴史的変遷が影響するのは主として期間を表すケース、つまりinやduringの後に置かれる場合だと思うのですがいかがでしょうか。 ⇒部分的には当たっていると言えるかも知れませんが、全体を俯瞰すれば違った局面が見えてくると思います。表現方法の違いや変遷経路の差異・区分は、「総じて~と言える」とか「~の傾向がある」という程度です。いろいろ複雑に入り混じっているのが現状で、言語地理学の目で言語地図の「等語線」や「等音線」を見ると、複雑に錯綜する様は一目瞭然でしょう。(メイフラワー号の頃もすでに両用入り乱れて、まちまちだったと想像されます。) >I like the summer better than the winter. がgoogleの検索で、 I like summer better than winter. よりはるかに少ないことを考えると、このタイプに関しても歴史的変遷とは無関係のような気がします。ご意見を伺いたいと思います。 ⇒「冠詞がつく・つかない」の区分は、意味による違いもあるとは思います*が、むしろ環境による違いが大きいと言えるかも知れません。 Summer has come.は、Summerが主語で、かつ文頭にありますが、in the summerでは数語がひとかたまりになって、副詞句として用いられていますね。それだけSummer has come.は頻度が高く、日常用語化している、ということですよね。言葉は、多用されると「すり切れやすい」という傾向があります(言語構造の持つ誘因と言えます)。 そこで、言語使用者は無意識裡に経済化を求めて、短縮しようとする作用が強く働きます(人間の側が持つ動因と言えます)。そういう言語使用者側の行為の連続があり、伝染があり、相互作用があり、慣習化があった結果、無冠詞の用法が次第に勢力を得て定着してきたものと考えられます。 *「かくかくしかじかの環境ではこれこれの意味で用いられることが多い」というような関係があり得る、という点で「意味による違いもある」ということです。

feeders
質問者

お礼

これまで不分明だったことに光が差し込んできたような思いです。ありがとうございました。

feeders
質問者

補足

お礼コメントより先にこちらの補足コメントに入れたつもりだったのですが、入っていませんでした。 --よくわかりました。非常に参考になりました。Jespersenの著作は探してみます。ありがとうございました。ところで、もう少し質問させて頂きたいと思います。 これまで、ネイティブスピーカー達から、Summer has come. とThe summer has come. は全く同じ意味のものだと聞かされてきました。そうだとすれば、どちらの夏も話者と聞き手にとって特定の夏(つまりその年の夏)ということになります。 でも、私には両者が同じものだとは思えないのです。というのは、例えば無冠詞のwaterとa waterの違いを考えてみます。これはラネカーの考えを参考にしたものですが、waterを遠くから(例えば上空を飛ぶ飛行機から)眺めると、waterは一つの姿を持つ地形です。水の流動性や冷たさは意識されないと思います。ところが、その飛行機が高度を下げて水面スレスレに飛行するとき、waterはa waterとしてとらえられないし、湖面の波しぶきや水の清冽さが意識されるのではないかと思います。 同様に、They spent a summer in the village that year. においては、話者はtheyが経験した夏とは物理的にも心理的にも遠いところにいます。よって夏の暑さをまざまざと意識することはないと思います。では、無冠詞のsummerはというと、話者にとって物理的または心理的に非常に近いところにあるような気がします。Summer has come. においては、夏の暑い時期がやって来た、あるいは、さらに拡張して、summer sportやsummer vacationの時期がやってきた、というふうな意味を含意しているのではないかと思うのですが、いかかがでしょうか。  同様の問題設定として、It's been raining since morning. とIt's been raining since the morning. の違いは何か、ということがあります。どちらもthis morningを意味しているはずですが、前者は<朝早いうちから>という意味を含み、後者は単に<その日の朝から>という意味を含んでいるのではないかと思います。いかが思われますか。 また、They go to the sea in (the) summer every year. においては、夏という期間を意識することはあるでしょうが、夏の属性としての暑さや夏独自の風物はそれほど強く表明されていないように思います。 つまり、私が言いたかったことは、もともとイギリス英語では無冠詞のsummerとthe summerがあって、そのうちthe summerからtheが脱落していったということだと思います。 だから、Summer has come. におけるsummerとin summer におけるsummerとでは(含まれる)意味が異なるのではないかと思います。    もう一つ、もともとtheが必要ないのに後からthe がつけられたケースもあるのではないかと思います。たとえば、He runs the fastest of all. におけるtheがそうだと思います。これについても意見を聞かせて頂けるとありがたいです。  たしか、<「冠詞がつく・つかない」の区分は、意味による違いもあるとは思います*が、むしろ環境による違いが大きいと言えるかも知れません>とおっしゃりましたが、次のようなケースは想定できませんか。 He is the fastest runner of all. が正しい用法だとして、ある移民の集団が、(本来はtheは名詞につくものなのに)最上級が使われるとtheが使われると勘違いしたという可能性があると思うのですが、いかがでしょうか。 最後にもう一つ、I like the summer better than the winter. について この文は一般的な好みを言い表しているので、準一般論ということにしておきます。 もともとこの文は正しい文であったのが言語経済的にI like summer better than winter. になったと言うことですよね。  私が問題にしたいのは、I like the summer better than the winter. がイギリスでもともと正しい用法だったのかということです。  定冠詞が使用されるということは、もちろん環境の問題もあるでしょうが、最初に定冠詞が選択された時点では、意味の上での選択だったはずです。その場合、この文でtheを使う必然性があったのかと言うことを問題にしたいわけです。  in the summerというふうに期間を表す前置詞の後であれば、1年を4分割したものと意識されて、4項対立的にtheがつくことは納得できますが、明確に期間を意識したわけではないような使い方の場合、どういう必然性があって定冠詞が選択されたのだろうかと疑問に思うわけです。もちろん、相当昔の話だし、当時、何でもかんでも意味と文法的整合性が重視されたわけではなかろうとは思います。よろしければご意見を頂ければと思います。

  • koncha108
  • ベストアンサー率49% (1313/2666)
回答No.4

アメリカでもSummer has come. The summer has come. 両方使いますよ。一般的な冠詞のルールに従って使い分けているだけだと思います。 summerのような季節には冠詞はつかないのが普通ですが、ある年の夏、ある場所の夏、ある出来事がある夏など毎年ある夏、どこにでも共通に来る夏ではなく限定したければtheをつけると言うだけのことだと思います。夏と言う期間を表すためにtheをつけていると言うことは無いんじゃないですか?使われる場面によりますから絶対ないとは言いませんが、それがtheがつくと言う一般的な説明と言うことは無いでしょう。 theをつけるつけないかは曖昧な領域があって、公式文章をネイティブ動詞で話し合っている最中にtheをつけるつけないで議論しているのを見たことがあります。例えば、iPhoneは固有名詞でtheをつけませんが、iPhone experienceのようにすると、固有名詞でもあり必ずしも皆がみんなそうとらえているわけでもなく、かと言って、あえて固有名詞として押し出そうと言う表現的な思惑でつけるべきかつけないべきか別れたりします。

feeders
質問者

補足

アメリカでもSummer has come. The summer has come. 両方使いますよ。一般的な冠詞のルールに従って使い分けているだけだと思います。 --そうだと思います。 summerのような季節には冠詞はつかないのが普通ですが、ある年の夏、ある場所の夏、ある出来事がある夏など毎年ある夏、どこにでも共通に来る夏ではなく限定したければtheをつけると言うだけのことだと思います。 --そうだと思います。ただし、例えば、 They go to the sea in the summer every year. だと、特定の「ある年」ではありません。こうした一般的なケースを想定して質問をしました。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12513)
回答No.3

ご質問の趣旨から逸れるようで済みませんが、以下のとおりお答えします。 >The summer has come.やThe morning has come.という文に違和感を感じています。 >冠詞をつけないSummer has come.やMorning has come.だったら違和感はありません・ >違和感を感じるのは、定冠詞がついていることです。 ⇒お言葉ですが、ベクトルが逆のような気がします。 つまり、The summer has come.と、定冠詞のついた表現の方がむしろ本来の形だったようです。一般に季節を表す語は、本来定冠詞がついていたわけですが、英語史上だんだんそれを取り去った形が使われるようになり、今ではそれが普通になった、ということのようなのです。しかも、これに類する語はほかにもいろいろあります。 例えば、次のようなものがそれに当てはまります。 *食事、学科名:  After supper he went out for a walk. Mathematics is one of the difficult subjects. *建築物(本来の目的で使用される場合):   We go to church on Sundays. *家族関係を表す名詞(固有名詞的に用いられる場合):   Mother is cooking in the kitchen. *身分・職業を表す語(補語、同格名詞として用いられる場合):   He is professor of economics in the university. Victoria, Queen of Great Britain などなど。 >アメリカ用法では、the summerは夏の期間を表します。theがつく理由は、1年を4分割して取り出したsummerは他の3つの季節と対立関係にあるので、特定のものと見なされるということだと思います。 ⇒旧大陸から新大陸に流出・移植された言語(英語・スペイン語・フランス語など)は、かなり共通して、いわゆる「アルカイズム」(擬古調=ふるい言い方の保存)が見られると言われます。 ということは、the summerのtheが歴史の途上で脱落した経緯は上に見ましたが、アメリカ用法ではこの変化が起こらなかった、というのが実体のようです。つまり、言い方を変えれば、the summerはアメリカ用法として現れてきたのではなく、反対に、昔の形を温存した結果である、ということになりそうです。

feeders
質問者

補足

----実は、私も同じような想定をしたことがありました。というのは、We demanded that she should be silent. (イギリス用法) が、なぜアメリカではWe demanded that she be silent. になるのかということを調べていくうちに、もともとの形がshe be silentであって、その形のままでアメリカにわたり、一方イギリスではどういうわけか後に(言語改革がなされたとか聞いています) shouldがつけられたのだと何かの本で読んだことがあります。 季節名にtheをつけるのはいろんな観点から合理的だと思うので、イギリス用法の無冠詞の用法に違和感を覚えていたのです。おそらくthe summerがもともとの用法であって、summerはイギリスで独自に発達したものだろうという気がしていました。(ちなみにIrelandでは一般的な文脈でthe summerをイギリスよりもよく使うそうです--アイルランド人の話) そうすると、国教徒達がメイフラワー号でアメリカにやってくる以前は、イギリスでもthe summerが普通だったはずです。古文書を調べればそのことがわかるはずですが、こうした質問をこれまで2,3人のイギリス人にしてきたのですが、誰もそのようなことは知りませんでした。   でも、今回の回答者さんの回答のおかげで、これまでのわだかまりが解けました。 the summerのtheが歴史の途上で脱落した経緯について記述してある書籍があるようでしたら、ご紹介頂けませんでしょうか。 ところで、この問題にもう少し検討を加えて見たいと思います。 They go to the sea in the summer every year. におけるthe summerは期間を表しています。 このように期間を主として表すthe summerについては、歴史的変遷があったのだろうと思います。  では、The summer has come. についてはどうなのでしょうか。ここでのthe summerが特定の夏だとすれば、歴史的変遷とは無関係です。つまり、歴史的変遷が影響したのは一般的な文脈で使われるケースだけなのではないかという気がするのですが、いかが思われますか。 アメリカでもSummer has come. はよく使われます。この方がよく使われているようです。このことからも、歴史的変遷が影響するのは主として期間を表すケース、つまりinやduringの後に置かれる場合だと思うのですがいかがでしょうか。    I like the summer better than the winter. がgoogleの検索で、 I like summer better than winter. よりはるかに少ないことを考えると、このタイプに関しても歴史的変遷とは無関係のような気がします。ご意見を伺いたいと思います。よろしくお願いします。

回答No.2

> Children living in cold areas like the summer than the winter. Children living in cold areas like the summer more than the winter. でしょうかね。 まあ、総称の the ということになるでしょう。 ただ、普通は定冠詞無しの Children living in cold areas like summer more than winter. です。 一応、Google先生にもお伺いしてみました。 "like the summer more than"(10件) "like the summer better than"(14 件) "like summer more than"(約 32,600 件) "like summer better than"(約 11,700 件)

feeders
質問者

お礼

ありがとうございました。

feeders
質問者

補足

--回答ありがとうございます。うっかりbetter / moreを書き忘れていました。 グーグルの検索結果から判断するに、やはり誤りの文ではないかと思います。 もし、正しい文だと好意的に解釈すれば、 おっしゃるように総称の theとしか言いようがないですね。 でも本当にそうなのでしょうか。 総称のtheだとすると、普通は冠詞のない複数形に転換可能だと思うのです。例えば、The lion is a wild animal. (総称文) はLions are wild animals. に書き換え可能です。概念的な感じがなくなって具体的な感じが出ますが、とにかく意味的には同じだと思います。  ところが、 Children living in cold areas like summer more than winter. をChildren living in cold areas like summers more than winters. というふうに転換することはしないと思います。 ちなみにGoogleではlike summers more than は208件です。 そもそも、The lion is a wild animal. (総称文) が可能である背景として、個々のlionが持つ差異を捨象して典型的なlionを想定することができるということがあったはずです。 the summerを総称文で使うとしたら、毎年やってくる個々のa summerが持つ差異を捨象して典型的なthe summerを想定することになります。 普通は、この手の総称文においては、共時的に多数存在する個体が問題にされると思います。たとえばlionの例以外に、The computer is one of the greatest inventions in the world. におけるthe computerとか、The doctor should always respect the patient. におけるthe doctor / the patientとか。はたして年ごとに巡ってくるものを総称文に使えるものなのでしょうか。  冠詞の解説書には総称のtheは動物や植物について用いられることが多いと書いてあったりもします。 私自身は、毎年やってくる個々のsummerが持つ差異を捨象して典型的なsummerを想定することは可能だという気がしています。だとすると、一般的なまたは習慣的な文脈で言われたthe summer / the winter / the spring / the autumn はどれも総称のtheだと言うことになります。 同様に、morning, afternoon, evening, night についても同じことが言えます。  いかが思われますか。ご意見を頂きたいと思います。

回答No.1

> The summer has come. やThe morning has come. という文に違和感を感じています。 今ここに来ている「夏」 今ここにいる「朝」 ということなら、完全に限定されているので、つまり、太陽や月と同じくらいに限定されているので、the がないほうが違和感がありますが。 朝だろうが、季節だろうが、年月だろうが、期間を持つものでもあるし、それでひとかたまりとしても使えます。 言葉はある程度、遊びがないと、がんじがらめで使えない道具になってしまいます。 > the summerが期間を表すのだとすれば、 > 例えば6月から8月までの期間が一挙にやってきたかのような > 言い方に聞こえます。 この場合は、一つの季節。時間的長さがあることは無視。 The 21st century has begun. なんて、どうしますか? 100年がいっぺんに始まったわけではありますまい。 大体日本語だって、 「夏が来た」「21世紀が始まった」 というじゃありませんか。

feeders
質問者

補足

> The summer has come. やThe morning has come. という文に違和感を感じています。 今ここに来ている「夏」 / 今ここにいる「朝」 ということなら、完全に限定されているので、つまり、太陽や月と同じくらいに限定されているので、the がないほうが違和感がありますが。 --確かにそういえばそうですね。 the summerが一般的な夏を表すのであれば期間を表すはずですが、回答者さんの言われるように、話者にとっての特定の夏(今年の夏)を表しているのであれば、特に期間を積極的に表すわけではありません。  よって、The summer has come. は(今年も)夏がやってきた、ということですから、問題はありません。違和感は解消しました。The morning has come. も同様です。 > the summerが期間を表すのだとすれば、> 例えば6月から8月までの期間が一挙にやってきたかのような> 言い方に聞こえます。 この場合は、一つの季節。時間的長さがあることは無視。 The 21st century has begun. なんて、どうしますか? 100年がいっぺんに始まったわけではありますまい。 大体日本語だって、 「夏が来た」「21世紀が始まった」というじゃありませんか。 --私が時間的長さに言及したのはsummerが例えば6月から8月までの期間を表すものだからということではありません。 We enjoy swimming in the summer. というふうに(特定の夏ではなく)一般的かつ習慣的な文脈においてthe summerが使われた場合に期間の意味が前面出でてくるのではないかということだったのです。 ですから、The summer has come. においてthe summer が特定のsummerであれば期間を前面に押し出した表現にはならないと思います。 The 21st century has begun. もそうです。期間ということを前面に出しているわけではないはずです。違和感はあありません。 ですから、Summer has come. におけるsummerが期間を積極的に表すとは思っていません。summerは期間を含意するだけです。一方、一般的かつ習慣的な文脈におけるthe summerは期間を明確に押し出しているというふうに考えています。 ---もう一つ疑問に思っている文があります。検討して頂けるとありがたいです。 Children living in cold areas like the summer than the winter. という文です。 ここでは、the summerは一般的かつ習慣的な意味で使われているように思います。毎年やってくる夏です。この時のthe summerは文法的に問題はないのでしょうか? Children living in cold areas like summer than winter. が正しいと思うのですが。

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