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「見苦しく生きる」ということに執着した人物

eroero4649の回答

  • eroero4649
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回答No.3

「戦国最弱の武将」とも呼ばれる小田氏治ですかね。 https://history-mania.info/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%B0%8F%E6%B2%BB%E3%82%925%E5%88%86%E3%81%A7%E8%A7%A3%E8%AA%AC%E3%80%82%E6%9C%80%E5%BC%B1%E3%81%AE%E6%AD%A6%E5%B0%86%E3%81%A8%E8%A8%80%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%94%B7%E3%81%AE https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%94%B0%E6%B0%8F%E6%B2%BB 潔い武将なら3回は切腹していると思われます。弱いのに死なないで天寿を全うしたというのはすごいですね。また上司としては無能だけれど、人間的には大変魅力的な人だったようです。たまにいるね、そういう人。 そして今川氏真でしょうね。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%B7%9D%E6%B0%8F%E7%9C%9F 「父親の仇の前で蹴鞠をする」なんて、こう、できるもんじゃないですよ、なかなか。でもそれをやったおかげで汚れた政治の争いごとには巻き込まれないでこちらも天寿を全うしたのですから「なんだかんだで長生きしたやつが勝ちだよ」なら、勝ちですね。 考えようによっては、源義経も「生きることに執着して、見苦しく死んだ」のかもしれません。切腹で死んでないですからね。行方不明になっているでしょ。どこで死んだかは分からないけれど、東北のどこかでひっそり野垂れ死にしたということじゃないですか。 平家にあらずんば人にあらずといわれるまでの権勢を誇った平家をぶっ倒したスーパースターとしてはあまりにも寂しい死に方ですよね。武士にとって切腹とは「名誉な死に方」であったことを思えば、「誰が切腹なんてするかよ。俺は逃げきれるところまで逃げ切るんだ」とどこまでも逃げることにこだわりました。捕まれば切腹が認められず斬首されるという不名誉極まりない処分が待っているかもしれないのに、「不名誉になるリスクを負って逃げるほうを選んだ」わけですからね。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 小田氏治を5分で解説。最弱の武将と言われた男の素顔に迫る。……これだけではもの足らなくなりました。負けても、負けても、部下からも、領民からも慕われた……感涙にむせぶ世界ですね。それと、戦国の世を立場をわきまえつつ、やることはやって、しかもよくぞ生き延びた……と。私なんぞは現代医学に支えられ、生かされて、やっと氏治に達した。1602年没ということは、まさに戦国の終わりとともに、……という印象ですが、それにしても上杉謙信と戦ったというのもすごい。 たまにいるね、そういう人。……「たまに」というよりも「希少生物」というような(*^_^*)(*^_^*)しかし、好感の持てる人物ですね。もちろん小説にはなっていないと思いますが、興味深い人物ですね。視点を変えれば、「天才」の称号を与えても良いかも。(*^_^*) それにしても、「眠れなくなるほど面白い日本史」……サイトの仕組みの全容がつかめていませんが、本当に「眠れなく」なりそうです。この暑さでは、年寄りには「命取り」です。(*^_^*)(T_T) そして今川氏真でしょうね。……NHKの大河「女城主直虎」で、尾上松也がやった役の人物ですかねぇ???ひいき目で見れば、「名家は名家なりに、家を守るというのは大変」ということと、「家として優れた人物を輩出し続け、育てていくこと」の難しさというものを感じます。その点、私のような「一般庶民」は気が楽です。(*^_^*) 「なんだかんだで長生きしたやつが勝ちだよ」なら、勝ちですね。……そうでしょうね。「家」とか、「格式」だとか、何だとかややこしいものは別にしても、生き物の本分としても「勝者」だと思います。 ふと、空想してみたのですが、そして知識も根拠もない空想に過ぎませんが、「義経」ほど、人々の期待が、その人物像を変えてしまった例も珍しいかも知れませんね。実際には、映画やドラマで描かれるほどに美男子ではなかったようですし、私の住んでいる島にも、義経伝説というのがいくつかあるようです。あの当時、どんな状況だったか分かりませんが、今の状況から空想しても、とても石川さゆりの歌の歌詞にある「竜飛岬」まで到達したとも考えられないし、ましてや津軽海峡を渡れたとは到底思えませんが、私の記憶に間違いが無ければ、「義経……ジンギスカン説」まであったような???(*^_^*)「何でだろう???」という日本人のルーツにも関係するのではないかという、バカバカしくも、ロマンに満ちた……少し自己陶酔気味(*^_^*)……疑問が湧いてきました。 「誰が切腹なんてするかよ。俺は逃げきれるところまで逃げ切るんだ」……言われてみると、確かに、あの当時としては、デビット・ジャンセン顔負けの大逃避行だったのかも知れませんね。

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