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キリスト教では何度でも許されるのでしょうか
キリスト教に入信すると、悪をしても、悔い改めば許されるのでしょうか。 悪をして、悔い改めて許された後、再び悪をしてしまっても、また再度悔い改めれば再び許されるのでしょうか。 それを何度も繰り返し、何度も悪に戻っても、悔い改める度に、何度でも許されるのでしょうか。
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- veradico
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>それを何度も繰り返し、何度も悪に戻っても、悔い改める度に、何度でも許されるのでしょうか。 聖書から「端的に」答えれば、「おっしゃるとおり」です。しかし、できれば、さらに十分な知識と理解を得られるようおすすめします。 例えば、 ・「そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。『主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。』22 イエスは言われた。『あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。』」(マタイ 18:21,22 共同訳) ・「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」(ルカ 17:4 同) 上記の2つの聖句はイエスの言葉ですが、「許す回数を制限してはならない」という意味であることは明らかです。当時の宗教指導者たちは、聖書に書かれている事柄を越えて、許しの回数に制限を設けていたのに対して、神の子であるイエスが神からの知識を与えているのです。 ・互いに親切にし、憐れみの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい。(エフェソ[エペソ] 4:32) これは、使徒パウロの言葉ですが、神が人の罪を許す根拠が「キリスト」であると言っています。他の部分を読むとわかりますが、信者本人があらわす、イエスの払われた「犠牲」に対する信仰が、神が本人に罪の許しを与える「根拠」となるという意味です。また、神は、真に悔い改める人に対して「憐れみ」の心をお示しになることもわかります。 以上の通り、「何度も悪に戻っても、悔い改める度に、何度でも許される」というのは、聖書に「おおむね」調和しているといえます。 「おおむね」と言いましたのは、これが全てではないからです。というのは、まず、そもそも「罪の許し」とはどういうことでしょうか。許されるのと許されないのとでは、何が違ってくるのでしょうか。許されるだけで、命が与えられるのでしょうか。次に、例えば聖書のヨハネ第一5章16,17節では、死に至る罪があると書かれています。では、悔い改めれば、無条件で「許される」のでしょうか。これらの答えも知る必要があると思います。しかし、はじめから、ここで全部を論じるのも無理がありますので、ここまでにいたします。
- medamaclip4
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次はそうならない用に事前に気を付けましょう。
- mare5646
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心の底から悔い改めれば許されます。 つまり毎回反省しても心の底から反省しない限り許されはしません。 神様は何回でも反省を聞き入れて、心の底から悔い改める事を辛抱強く待っています。
キリスト教で、神の教えに反する事を異端と言います。 異端は、懺悔し、悔い改めたと認められれば(あくまでも認められれば)許されますが、再び同じ過ちを犯すことを戻り異端と呼び、 戻り異端は、問答無用で火炙りとなります。
- fujic-1990
- ベストアンサー率55% (4505/8062)
宗教団体経営学?の立場で言えば、すべての宗教は何度でも許します。 なぜならまず、神様に向かって「私、失敗しませんから」と胸を張れる人間はいないからです。 例えば、1度だけは許すが2度目の許しはナイとする神様いたとして、2度目の罪を犯してしまったと感じた信者の行動は、以下の三択になります。 許しは絶対に来ませんから、絶望のあまり自殺するか、サタン化して神様(その宗教)に徹底的に逆らうか、こんな自分でも許して心に平安を与えてくれる「他の宗教」に移るか、の三択です。 宗教(神様)や宗教団体にとっては、どれも困るのです。早晩、信者がいなくなりますから。 なので、どんな宗教も必ず、最後には許します。 ただ、「前回は免罪符2枚だったが、今回の罪は5枚ね」という具合に、許す基準が変わる場合もあります。許す条件は変わりますが、許すのは許します。 ※罪とその結果の罰は違う物です。免罪符というのは、罪を免ずるのではなく、その罪に基づく罰を免ずる符なので、免罰符とでも訳すべき? キリスト教も例外ではないはずです。許さなければ、信者がゼロになり、宗教として成り立たないからです。世界宗教として成り立っているからには、許す回数に限定はなく、結果として何度でも許しています。
- maiko0333
- ベストアンサー率19% (839/4401)
「悔い改め」は法律のような「懲役何年」といった甘いものではないですよ。 「もう2度としない」と神に誓うことです。 結婚するとき、神に誓いますよね。 それを反故「離婚」にした人間がどれほど信用が落ちるかおわかりですか? まぁ、許してしまう風潮もありますが。
- goody20059
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悪い事をしても、反省がなければ罪になると思います。悔い改めても同じ過ちを繰り返す人は一度、病院か専門家に見てもらいましょう。
- amanojaku1
- ベストアンサー率54% (265/488)
>回答No.2 amanojaku1 ちなみに聖書で「神」とか書かれている場合、文脈によって「父」または「子(イエス)」の場合があるので注意して下さい(「子(イエス)」も神です)。 イエスは刑罰的な行為も否定しています(『目には目を、歯には歯を』はハンムラビ法典)。 http://bible.salterrae.net/kougo/html/matthew.html >5:38『目には目を、歯には歯を』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 5:39しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。 5:40あなたを訴えて、下着を取ろうとする者には、上着をも与えなさい。 5:41もし、だれかが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい。 5:42求める者には与え、借りようとする者を断るな。 >5:43『隣り人を愛し、敵を憎め』と言われていたことは、あなたがたの聞いているところである。 5:44しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。 5:45こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。
- Osric
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まあ確かにどんな悪党でも、何度悪事を働いても許されるのでしょうが、そもそもは、生きていく中での罪、例えば戦争で人を殺した、食べ物を自分だけで食べて、人に与えなかったなど、やむを得ない罪を前提にしているのだと思いますよ。刑法に触れるような罪であれば、神様は許しても、法律は許さないわけで、あくまで、精神的なものと考えるのが、本来です。
- amanojaku1
- ベストアンサー率54% (265/488)
聖書的な教義では そのとおりです(現実は違うのかもしれませんが)。 ただし、イエスは「聖霊に対する罪は許されない」としています。 聖書的な教義と現実が違うことは珍しくありません。 http://2nd.erfect.jp/contents-pdf/preach/2013/150517.pdf > 主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。 「イエスは神(父)の右の座に着かれた」のだから、父(神)と子(イエス)は別の存在だと考えるのが妥当。
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